kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

あのコは加工肉が好き (間借り)

 

#5

 

 

誰だか知っている人へ

 

「死んだ女の子」(原題 Kiz Cougu)という詩があります。

トルコの詩人、ナーズム・̞̞ヒクメットが56年に発表して、歌にもなった。

#5は、そのオマージュです。

 

 

 

Dear  Favorite Songs

 

 

唄をつくろう

でも一人では無理

あなたの手を借して

だって 私には手が無い

 

唄をつくろう

ずっと創りたかったの

でも一人では無理

だって私には喉が無い

 

だから あなたの喉を借りたい

 

声が出ない

私には唇も無い

焼けてしまった 私のすべてが

 

書き集めた詩を

読み上げる眼が無い

 

ここにあった 私の全てが

あなたに あげるはずだった物事

 

すべて 奪われてしまった 

 

私が守ろうとしなかったとは 思わないでね

出来る限りのことをしようと 走って

 

走って

走って

走って 身を隠せるところを探したの

 

あの恐ろしい場所で

 

神の言葉を使って

誰かが世界に嘘をついている

全ては神を殺す行為

 

私は小さなその人を

抱き締めて走ったの

 

走って

走って

走って 私の足は動かなくなった

 

唄をつくろう

始めのメロディー

たぶんきっと 誰か聴いている

 

誰にも壊せない 唄を

 

唄をつくろう

あなたの声を借して

だって私には

もう声が無い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「クリニックですからね、設備が無いので内視鏡検査出来ないんですよ。なんでうちで紹介状書いてくれたのかな?」

 

ここで、私たち父娘は病院とクリニックの違いを知る

 

「……あ、ありますね確かに…わかりにくいけど、よく見つけたな。どこか泌尿器科のある病院で、行けるところありますか?紹介状書きます」

と、泌尿器科クリニックの先生は、胃腸科病院が持たせてくれたコーゾーさんのCT画像を見ながら言った。

 

この数週間前に同じように、胃腸科病院の主治医に「行ける泌尿器科はあるか?」と尋ねられて、最寄り駅の場所を伝えた時の「クリニック」に反応は無かったけれど、我々の主治医の判断が不確かじゃない事だけはわかった。

そうか、そんな小さな腫瘍なのか。

先生、忙しかったんだ。二度手間になったけれど…待ち時間入れたら四度手間くらいしている気分だけれど、いいんです。早期に見つけてくれて感謝しますホント。だいたい、前もって確認しないこちらが悪いのだバカバカ。

 

駅前のクリニックのロビーは混雑していた。

12月の始めごろだった。

秋の始めに終えたCT検査結果から、ようやく泌尿器科を訪れたのが12月。

というのも、この前に眼科受診やら脳検査やらをし、11月終わりに奥さんとコーゾーさんはコロナ感染してしまい、すんなりスケジュールが組めなくなっていたのだ。

…で、ようやく行った先が内視鏡検査設備の無いクリニック。

 

クリニックのロビーで、コーゾーさんが「来年の2月に個展を開きたい」と言い出した

 

「……え?どこで?」

「場所代はね、かからないの。市でタダで貸し出しているスペースがあるから。

数枚だしね、水彩画数枚。大したことじゃないよ」

 

何の成果も無かったクリニックの会計待ちで、そんな話を始める。

「ここのすぐ近くだから、終わったら(展示場を)見に行こう」と提案される。

 

もう、日が暮れる

冬の赤い陽の中を、老人とゆっくりゆっくり歩く

歩道橋の遠くに、街の音が聞こえる。

こういう時を覚えておこうと、なんとなく想った。

 

コーゾーさんは、急速に物忘れが激しくなった。コロナの後遺症なんだろうか?そんな症状はあったっけ?

この日も出かける前に、家の中で家の鍵を無くす。(その後、次の夏の始めに見つかった)

病院の日も、時間も、前日に確認しないと忘れている。

出かける時に、いつものポシェットを忘れている。マスクも忘れる。

 

母が亡くなる1年前ぐらいに、急速に物忘れが酷くなっていたのを思い出す。

実家に行くと、家の中はメモが書いてある付箋があちこちに貼られていた。

カレンダーに書ききれないのか、その周りは付箋だらけだった。

玄関には「鍵閉め」と貼ってあった。

パソコンにも付箋がいっぱい貼ってあった。

どのファイルに何が入っているのか覚えられないらしい。その隣には、ファイルの開け方のメモがあった。

プリンターにも「ここが電源」と貼ってあった。

それでも60代から独学で始めたパソコンなので、母がそれからずっと実用しているのが偉いなと娘は思った。

化粧品、一つ一つに「ファンデーション」とか「日焼け止め」とか「アイシャドー」とか貼ってあった。

これは、表示がよく見えないらしい。

「火の元栓」が、一番大きな字だった。

昔から火の不始末を怖がっていた人で、ほぼ強迫観念のように火の元を出先からも気にしていた。

「前世に火事で死んでいるんじゃないかと思うの」と母は言っていた。

が、現世ではお風呂のお湯の中で死んだ。火の元は大丈夫だった。

 

今回コーゾーさんに腫瘍が見つかって、胃は大分進行した癌だったし、この先次々と転移していても仕方が無いという気分でいた。

コーゾーさんもひょっとしたら、そんな気持ちでいたのかもしれない。

「個展もこれが最後だと思う」と言った。

83歳だから、そりゃ最後になるのかな。

 

コーゾーさんが案内した会場は、市の集合施設ビルの上にあった。

会場というか、大きなガラス窓の在る通路の展示スペースだ。

展示スペースは、壁にショーウィンドー型に設置されていて、それが6つ並んでいる。

作品を照らす照明もついている。

階には市民が借りられる体育室や会議室があって、展示物を眺められるように、休憩のソファーとテーブルが窓際にあった。

施設利用者は割と多く、通路はそのたびに人通りがある。

陽当たりもよく奇麗で明るいのも良い。そして確かに搬入が楽そうだ。

 

けしてギャラリーでは無いけれど、お金の無いコーゾーさんには十分だ。

八王子は東京都だからか、私の住む街より公共施設が充実しているなと思った。

毎年都心に積雪予報が出ると、朝早くからテレビで中継されているところだというぐらいの認識しか、八王子には無かったけれど。

 

ちなみに新たな泌尿器科の予約は、奥さんが最初に運ばれた総合病院にした。

電車で行くと面倒だったが、車で行けば大した距離は無い。

電話すると、泌尿器科の担当医は週2回来る。そのうちの1回は午後から手術になってしまう。予約は込み合っていて、一番早い日にちで診察が年明けの6日になった。

 

間が空いてしまうけれど仕方が無い。

老人なので腫瘍はすぐに大きくなる心配は無さそうだし、待つしかない。

コーゾーさんは、おしっこの時なんの違和感もないらしく、今回も他人事の様な顔をしている。

 

その年の12月はとても寒かった。

北陸、日本海側は大寒波で10人以上の死者が出た。

コーゾーさんは左半身が温まりにくいので、寒さが苦手だ。

抗がん剤の副作用と、コロナ後の不調でますます具合は悪そうだった。

それでも「絵は描いている」と言っていた。

 

晦日が近づく29日。

その日は仕事も休みだったので、朝から風呂場を大掃除してダウンジャケットを近所のコインランドリーで洗っていた。

乾燥機が回る音を聞きながらウトウトしていると、携帯電話が鳴った。

出ると、ケアマネージャーのKさんだった。

 

なんでも、コーゾーさんはクリスマスの日に転倒して肋骨と右手首を打ったらしく、その日から上半身が腫れて、利き腕の右側も動かせないらしい。

「え…右も?」

「はい、私も昨日初めて知って。それで、年末なので病院もやっているかどうか…うち(介護サービス)でやっているクリニックも、年末ちょっと難しそうで…。年明けも4日からなんですよ」

 

やばいじゃない、なんで電話しないのよ

……利き手動かせないから連絡できなかったのか?電話出れるかな?

とにかくコーゾーさんの携帯に電話する。

……と、数コールで出た。

 

「はぁい」 いつもの間延びした様な声

「あ、あたし。肋骨打ったんだって?大丈夫?」

「うん…痛いんだけどね、あっためてたら大分良くなったよ」

「……え?あっためてたら?……打ち身じゃないの?」

「うん…そうなんだけどね、血行が悪くなってたみたい」

「…………?え?……?腫れてないの?」

「今日は大分腫れも引いてね…」

 

打ち身をあたためて、腫れが引くもんなのか?

 

「右手もね今日は動かせるし…(右を)下にして寝てたから痺れてたのかな?」

「え?…でも腫れてたんだよね?」

「うん」

「息して、肋骨が痛かったりしない?」

「うん、大丈夫」

 

……そうなの?大丈夫なの?

 

本来なら念のため、病院を探してレントゲン撮って…ぐらいするものなのかもしれない。

けど、慌ただしい年末の救急病院探しは、急を要する気配のないコーゾーさんと話しているうちに、めんどうになってきた。

 

「あのね近くの病院でも、年明けは4日からになっちゃうんだけど…」

「うん、大丈夫じゃない」

「……電話出来る?」

「出来るよぉ、そのくらい」

「……買い物とか、行けないでしょ?ヘルパーさんも休み入っちゃってるし」

「コロナの時に東京都が届けてくれたのが、食べきれないで沢山あるんだよ。沢山あって、困るぐらい」

「欲しい物は無いの?」

「(奥さんに何かないか訊きながら)……うん、無いって。食べ物は余ってるんだよ」

 

ふぁふぁふぁ~と、歯の無い口の声で笑っている

 

「じゃあ、何かあったら電話してね。とりあえず、明日またあたしから電話するから」

 

うん、うん、じゃあね。と、コーゾーさんは電話を切った。

 

結局そのまま腫れは引いたらしく、年内はコーゾーさんの家へは行かなかった。

年明け、2日に顔を出した。

お年始のお菓子と、前日に夫の実家から沢山もらった野菜をおすそ分けに持って行った。

コーゾーさんと奥さんは、正月もいつも通りだった。

ほんの少し、筑前煮やなます雑煮の正月料理を二人で作った。と奥さんは言っていた。

二人そろって「コロナから、あんまり食べれない」と言っていた。

 

「痛みはどう?どこで転んだの?」と尋ねると、コーゾーさんは「めまいで倒れたんだけど、抗がん剤の副作用だよ」とか、「寒いからね、布団から出て温度差で…」とか、倒れた理由が次々変わった。

これは、言った事を忘れているんじゃなくて、全ては自分の憶測でしか無いので、思いついたことを次々言っているだけだ。

思えばコーゾーさんは昔から、自己診断で医者には行きたがらない人だった。

コーゾーさんの足の親指の爪は、昔のケガが元で変形している。

その時も、自己診断で医者に行かず自然治療した。

おかげで、今は足の爪を切るのに苦労する。入院中も、指まで切りそうで怖いと、看護師さんは切ってくれなかったそうだ。

 

「それで、あっためてたら治ったの?」

「そうなんだよ。ほら、右手も今はもどったけど、ぶっくり腫れてたんだから」

と、うれしそうに言った。

奥さんも、ホントにすごく腫れてたんですよ。と、困った様な心配顔で言った。

 

体調はイマイチの様子だけれど、コーゾーさんはうれしそうにしていた。

 

思えば、コーゾーさんと正月に会うのは、

コーゾーさんが家を出て以来だった。