kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

kouzousannokotoの「かたずけ」を先にしましょうか

 

 

昨日は去りました 明日はまだ来ていません。わたしたちはただ、今日があるのみ。

さぁ、始めましょう

                          マザー・テレサ

 

ついこの間「今の私のネット環境を一掃しよう」と思った。

それはいきなり思い立ったわけではなくて、ずいぶん前から考えていた事ではあったのだけれど、この間その決断をした。

【結局、同じ環境のまま続けているから、ゲームから出られないのだ】という結論に達した。

 

新たな作品に挑んでも、過去作品の対峙にされるのがオチである。対峙されていく欲望を私からではコントロールは出来ない。

たから、「かたずけ」をすることにした。

 

一掃とは、部屋の中をきれいにする という事ではない

私自身が外れていく事である。

私をかたずける。

 

そんな訳である程度目途をつけてから、私は今のネット環境から出ていく事に決めた。

 

ずっと続けていたのも、いつかは全貌が分かるかもしれない、または辞めたら一生全貌は分からないままなのかもしれない、という不安や迷いがあったから。

 

けれど、そんな事はもうどうでもよい事だと、前にも増して強く感じる様になっている。

 

『あのコは加工肉が好き』を完結させたら、私は出て行こう

二度と、同じような形で作品を公表するのは辞めよう

再びネットに現れても、今までネット内で知られた人々には見つけられないぐらいは遠くに出て行こう

 

そう決心している。

 

ゲームに知らない間に入れられていて、私は今まで理解していた世界を失ってしまうと感じた。

失ったまま耐えられるだろうか…とてもじゃないけれど耐えられやしないと思っていた。

けれど、ここ最近の世界のありようを目の当たりにするにつけ、最初から自分が信頼していた世界など、存在していなかったのだと嫌と言うほど教えられた。

 

もういいんじゃないか…と辞める方向を考えていた2023年、10月7日にハマス内の軍隊からイスラエルへの奇襲攻撃があった

そこから、200日経たないうちに3万人近くのパレスチナ人がイスラエル政府によって殺されている 

殺人の背景にはアメリカを筆頭格に西欧が存在している

日本は、アメリカの支配下としてそこに加わったままでいる 

救助はなにもせず、ハマスへの支援金の停止に加わり、メディアは最初のうち悲惨な医療事情を報道したものの、外国人医師たちがパレスチナから避難帰国するあたりからパレスチナの事を報道しない。

だいたい、ウクライナ戦争に対しても最近は大して報道していない

あんなに対ロシアをアピールした親ウクライナの日本でも(ウクライナにはあまりそう思われていないかもしれない)実際の戦争が反人道に即している面が濃くなると、ピタリと扱いは止んだように思える。

戦争の【本当の顔】を知られる事を恐れている様に

 

それで、岸田総理はアメリカで「日本は軍事費を増大させた」と意気揚々と演説し、今年始めに起きた能登半島大震災の被災援助金は出さないでいる

 

【信頼】など、存在していない

そうそう

存在していないけれど、私はゲームの中で【信頼】について考えていのだった

(それは今も辞めていない)

なんて間が抜けているのだろうか

(しかも懲りずに続けている)

 

パレスチナでの虐殺犠牲者は殆どが子供と女性。大半がハマスではない一般市民

民族浄化による虐殺が公然と行われていても、国際社会の反応は敏速にいかない。

これらの残虐行為は10月7日を境に始まった訳ではない

70年近く続いた大国も関わるパレスチナ人への略奪行為が、半年前につながって、以前に無いくらいにクリアになった。

 

全てネット社会の変化に乗って

世界中のケータイの【私的サイズ画面】に、

ジェネサイドの様子がタイムリーに流れてくる

自分の部屋(画面)の中に飛び込んできたニュースに

声を上げる世界中の多くの一般市民

しかし、国際状況はそれでも恐々として進まない

支配層は、この変化に気付かないまま戦闘に突入したようだ

 

アメリカの今の大統領は歴代最高齢

おじいちゃんが時代に乗っていないのは仕方が無いのか

……それが世界のリーダーらしい

 

この状況でいつまでもゲームの中に居る場合ではない

【信頼は存在していない】という点で世界とゲーム内はつながったわけだから

ここに居る必然性は更に日に日に薄れてきた

本当に、全貌などどうでも良いのだ

 

それで、『あのコは加工肉が好き(間借り)』を考えながら、kouzousannokotoの日記を書いているのに、やはりまどろっこしくなる。

というか、kouzousannokotoの日記も辞めないと、また見つけられてしまうではないか。

 

コーゾーさんの日記は、長くなるであろう介護の日常と、困った人間である実父コーゾーさんへの鬱屈を解消する為に、個人的に始めた。

鬱屈と言っても、それでもこの日常は愛すべきものだという事は、わかりきっている。

私の生活風景は、災害で、戦争で、まだ奪われていない

人間が「老いていく」という憂いに訪れる先の死は、私の生活の中では、まだやさしさも含んでいる

コーゾーさんは社会から捨てられずに済んでいる

相手にはされないで来たとしても……だ

 

これが全ての人間に与えられないというのは、

あってはならないはずなのだ

少なくとも神さまは、そんな事は望んでいない

 

……あ、今のアメリカ大統領はコーゾーさんとあまり年齢が変わらない

 

 

 

さて

 

さてさて…さて

 

コーゾーさんの話はどこまでしていたんだっけ

(前回までを読み直す)

……去年の正月まで書いたのか

……去年⁈今年の正月じゃなくて、去年までか……もう日記じゃ無いな

 

とにかくどんどん かたづけて行こう

次回に続く

 

 

写真、上から順番に

 

 

尊厳ある死を迎える為にマザーテレサが建てた「死を待つ人の家」

それらと反対の世界にある

パレスチナイスラエル軍によって破壊されたシェファ病院

200日続く虐殺と戦火の中で悲鳴をあげている、パレスチナの医療関係者のメッセージ

そして「頭の無い状態」「皮膚の無い状態」の遺体が発見され、その中のいくつかは臓器が盗まれている と報告されたイスラエルによる戦争犯罪の報告記事

 

反対にある と書いたが、「死を待つ人の家」は暴力からほど遠い場所から建てられた訳ではない

その中から建てられた

医療や福祉は我々の宗教を超越した発見だ

そして、神さまは

人間への尊厳の無い死など、全く望んでいない

 

背いているのは誰だ