kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

97年、ベラルーシのソーセージ


今年の2月ぐらいからポツポツと次の作品を書いている。
タイトルだけかなり前から決めていて、どこでどう公開するか、そもそも人に見せるのか定かにもなっていない作品を書いている。

「あのコは加工肉が好き」という、冗談半分で決めたタイトルで、きっかけはアメリカ人のTwitterユーザーが悪趣味に食べ物で遊んでいる写真をあげているのをたまたま見かけ、それらを眺めながら浮かんだタイトルだった。
スパムメッセージってゆう昨今あまり使ってないワードもついでに思い出す。

人間の三大欲求は性欲・食欲・睡眠欲というが、これらをぐちゃぐちゃに暴力的にするというのは、つまりなんだろうな?と疑問が頭に浮かぶ。
簡単にわかるようで、そうでも無い。
オエっとなりそうな食べ物を嬉々として眺めるって、何それ…?
そんなダウナーな食イメージにふと浮かんだタイトルが「あのコは加工肉が好き」

何かが動きそうな気もしてくる。
陽炎で終わるかもしれない
…いや、やっぱ行けるんじゃない?
わかんないや。

先にタイトルを決めたは良いけれど、実は私自身肉はそれほど好きでもない。
スパムソーセージはうんと薄切りにしてカリっとよく焼いたらなんとか食べれる…くらい苦手で、トンカツも豚の生姜焼きもステーキも、大人になってようやく食べられるようになったし、すき焼きは肉よりもシラタキが好きなコだったし、親子丼よりは玉子丼が好きだったし、お中元に貰うボンレスハムなどは見向きもせず、ラーメンのチャーシューはシナチクよりも邪魔で、焼き肉でテンション上がる気持ちがかわからなかった。
せいぜい喜んで食べるのはハンバーグとトリの唐揚げくらい、そんな子供だった。それも「いくつでもいける」なんて事は無い。

「ワタシは醤油とお刺身の無い海外では生きていけない。海外で肉は肉でも鯨肉は好きと言ったら憎まれる」と、思っていた。(私の幼少期ではまだ鯨のベーコンは日本の庶民食だった)…鯨食はやっぱ憎まれる率は高いかも。世界の非難で日本は捕鯨をやめた。

…で、成長にするにつれ…というか成長して家を出て、食費に苦労するようになった頃、(西欧と同じ肉文化の)肉が食べれられる様になった。
好き嫌い克服は、金欠の空腹が一番だ。
…いや、私の実家は年中金欠病にかかっている様な家庭だったので、単にお金が無いって事だけでもない生活の危機感の空腹、それが一番。
親元というのは、それだけでも安心材料。なんらかんら、まだ守ってくれる場所だった。

そうしてやっと肉が食べられる嗜好に成長してみたら、海外ではヴィーガニズムという食思想が誕生していた。

「人間の都合で動物を殺害しない」
これも世界の精肉システムの度がすぎた結果の主張だという気もするけれど、日本は第一産業がことごとく少ないので、結局は世界の生産コンベアーに輸入しながら加担していく。社会では屠殺現場にひかれたカーテンの遮光率が上がる。
飢えないためにと言うよりは、生産性と欲求…資本を増やす目的がシステム化する。
日本でも「無駄な殺生は罪である」といった仏教の教えは遥か遠く。宗教などはゆとりのある暇人に任せておけば良いのだよ。

だいたい、その教えの元で家畜の屠殺業を押し付けられてきた穢多・非人の身分をお忘れか。
差別の根源は穢れと聖の二元論じゃないか。なにやら生命への苦言のように神がかりやがって、テメェの健康気にしているだけじゃねぇか

こちとら腹が減っているんでぃ

メシ喰わせろ
メシ喰わせろ
メシ喰わせろ  肉喰わせろ

…と、頭の中で一人やり取りしていると、今日もTwitterにゲロ飯写真が投稿される。かわいい猫ちゃん写真も、c girlのエロいつぶやきも同列に。
飽食時代のパンクス デタラメな感じ 全部出鱈目 飢えている国はあっち側 先進国の貧しい人々 キミ(アカウントの人)のことはよく知らない。

いや、屠殺は出鱈目では無いんだけれども…

だけれども…



97年に「ナージャの村」という、チェルノブイリ原発で避難地帯に指定されたベラルーシのある村でのドキュメンタリーがあった。
監督は日本の写真家、本橋成一

村人の殆どは出て行ったが、六世帯だけは村に残った。
タイトルになっているナージャは、当時8歳の女の子。
彼女は5人兄弟の末っ子で、村に学校がない(無くなった)ために映画の中盤から父親だけを残して近くの街へ母親と兄弟姉妹と引っ越す事とになる。

他にも、老いた母親の元に帰ってきた老年の息子、去年母親が死に、村の廃材を売り捌くビジネスをしている男、自分の家と無人となった隣家数棟を塀で囲って畑仕事や養蜂に勤しむ男、息子たちは出て行ったけれど自分たちは残ったという老夫婦などなど…残った六世帯はそれぞれに暮らしている。

ある日老夫婦は村を出た息子に手伝ってもらって、大切に育てていた豚を屠った。
3人がかりで首を縛る
豚の悲鳴が響き、首と口から血を流しながら丸々と太った豚は息絶え、それから
毛を焼いて肉を丁寧に捌き、内臓は腸詰にして自家製ソーセージをつくっていた。
この豚がまた夫婦によく懐いていてとてもかわいかった。
豚はあんなに人懐こいもんなんだな…と思う。
秋の収穫の後、厳しい一冬分の食料を倉庫に蓄え、自家製のウォッカでソーセージを食べる。
「やっぱり自分で作るのが一番美味いな」
とソーセージの出来に満足するおじいさんに、おばあさんは
「当たり前のことを…いまさら」と答える。
異国の撮影隊へのサービスの為のいまさらな一言だったのだろうか?

家畜を自分たちで屠るのは日常なのだろうから
生きるために大切に育て殺す

放射能で人の居なくなった大地に、凍る冬が来る。



ナージャの村」の映画の始まりは文章からだ

本橋さんがかつて出会った、チェルノブイリ原発事故の避難指定区域から出ていかない老人の事が語られる。
なぜ避難しないのか尋ねると、「人間の都合で汚してしまった大地から、都合良く逃げるわけにはいかない」と老人は答えた。
その言葉が心に妙に残っていた本橋さんは、老人との再会を望んでいたけれど、老人はその後牛泥棒に殺されてしまう。

老人の言葉を探しに、本橋さんは映画を撮ることにした。


この映画から随分と時が過ぎた
チェルノブイリ原発という名を、ロシアのウクライナ攻撃作戦に利用される戦争で、久しぶりに聞いた。
ベラルーシの大統領は、ロシアと共に攻撃されたら参戦すると宣告している現代

ナージャは今、生きていれば30代の女性。
どうしているんだろう?
放射能で汚された、母なる大地を離れなかった老人達は、もう亡くなってしまっただろうか?
放射能の後遺症はあったのだろうか



ケータイ・タブレットに上がっているゲロ飯
キミ(達)の皮肉は、さほど嫌いじゃ無い
あなたのことは知らないし、凝視もしないし、同じこともしないけど

なんだか引っかかる

なんの肉を喰ってるのか
空腹なのかも
よくわからなくなりそうだけれど

何に飢えているんだろう
それとも年中胸焼けなんだろうか



思想にケチつける訳でも無いし、止める気も無いのだけれど、
ヴィーガニズムはなんだかまだ、私には都市の幻想の中に居るような気がする。
ケチをつける気はない。
だって、私自身がこの幻想から出れているわけでは無いから。

そうそう簡単にはいかない気がしている。




………さてコーゾーさんの日記を始めるとしましょうか。
癌の為に胃を取られたコーゾーさんの。介護日記ですからね、これ。





コーゾーさんの手術が終わった後、ずっと不安に思っている悩みを誰かに打ち明けたくなった。
そこで、確か母親の介護施設を探すの数年前あれこれやっていた友達を思い出し、久しぶりに連絡してみた。
退院したら自宅に戻るのがコーゾーさんも奥さんも希望だけれども、現在入院している老人がほぼ同時に日常に戻れるか確かなこともないし、かといって私が一緒に暮らせるわけでもない。

二人だけで大丈夫だろうか?
できればいつも第三者が関われる場所にいて欲しい
ここは、あらかじめ介護施設は探しておくべきだ

そーいう、なんというか家族の心配という名のエゴが出た。

友達には、施設に大体どのくらいお金が必要になるのか聞こうと思っていたけれど、
お金の無い父親夫婦が、生活福祉で夫婦二人一緒に入れる介護施設があるように思えない

探したら…いや、あまり良いイメージは浮かばない
けど仕方がない 現実はそんなもの
コーゾーさんもいい加減、現実を受け止めなきゃいけない
二人一緒じゃなくとも、共倒れしないだけ良いでしょう?

…で、「久しぶり、元気?」で始まる連絡に、送った友達からの返事は来なかった

そのことに関して、気に病んだりしなかったが、反省した
久しぶりの連絡が介護についてだし

自意識が10代の頃よりも薄くなるので長生きはするもの…か、どうかはわからないけれど、
10代の頃の自分よりも今の方が生きていやすいと、過去の自分に教えてあげたい。
あ、落ち込まないで10代の私。
今、具体的に説明しないけれど……なんとゆーか、都合の良い自己憐憫もしなくなるので。

自分が突然不通にした誰かを覚えている 
どーゆう事情にしろ

そう言う事が、単純に周り回るのです。
直接関係がなくとも
人にやれば、自分にも来るのです


「家族のエゴ」はスッパリ捨てよう。考えを改めよう。
手術した後に「希望は諦めて介護施設に入れ」なんて話はやはり酷だ鬼だ。
コーゾーさんは、自分の身体を引きずり生活するのなんか、今に始まった訳じゃない。

納得していない諦めは、老人を頑なにしてしまうだけだ

そうしてなかなか権力を譲らない家父長制ができたではないか
その恨みのように、必要なくなれば口減しに姥捨をしたのが私たちの歴史ではないか
(一瞬にしてそこまで反省したわけでも無いんだけどね)

貧乏人に理想的な老後生活は無いかもしれないが、「老後は挑んではいけません」というしきたりも無い。 
だいぶボケてはきたけれど、アルツハイマーでも無いしね

ただ、兎にも角にも全て『自力』はいくらなんでも無理がある。
介護サービスをどうにか有効利用して社会と関わってもらいつつ、日々を送るのが一番だ。


今は、とりあえずは…だって、まだ時間はある
不安を一時期引っ込める事にする。



エアコンの注文から数週間後に工事の日程の連絡が入った。
工事日は早めに来て、窓の掃除をした。
寒い梅雨も明けて暑い6月末だった。

何年も磨いていなかったであろうガラスとサッシを拭く。新しいカーテンをかける。
大方窓掃除が終わったところで工事の作業員がやって来た。
早速作業にかかる。暑くてファン付きの作業用ベストを着込んでいる。

エアコンの工事が終わったら、新しいカーペットを敷く。
アトリエ代わりの、「ほぼ外」状態だった6畳の畳は、あらかじめ敷物をしていた為に荷物を撤去してみると思ったよりも傷んでなく綺麗だった。

工事作業中に義理兄弟がやって来た。
リハビリ中の奥さんの回復状況を説明してくれつつ、退院日の目安を相談。
二人同時よりも、コーゾーさんが先の方が良いだろうと言うことになる。

義理兄弟は奥さんの部屋を片付けていると、羽生結弦の特集雑誌や切り抜きに紛れて、ある俳優さんの載っている雑誌を多数見つけたそうで、
それが正直意外な俳優さんで「エロ本を見つけた気分」と言っていた。
「荷物で埋まっていた本棚も復活したから、見えるようにそこに並べとこうと思います」と、義理兄弟は言っていた。

いいじゃないですか。幾つになろうが美しい俳優にトキメクなんて。
退院したら、もう一回新しい生活が始まるんだし…

もう一回   

そんな話をしていると、工事作業は終わった。
設置の基本工事料金の領収書に私がサインして、後からのオプション部分の領収書には義理兄弟がサインした。
二人して苗字は違う。それは家主の親の苗字とも違う。
それぞれの子供達は全員、親の苗字と違う。サインだけだと身内というより知人の集まりみたいになる。

全ての作業が終わり、義理兄弟も帰り、試運転のエアコンを止め、もう一度窓を開けて外の空気を入れる。


部屋を見回す
うんと綺麗にするつもりでいたけれど、まだなんだか物が多い
人の物なんだから気にしなくたって良いのに

このあと、介護ベッドが2台、エアコンの部屋とその隣の部屋に入る。








…あぁ、そうだ
コーゾーさんの取り出された胃袋をまじまじと見た翌日に、洗濯物を届けに病院に向かった。
前日の雨は止んで晴れた日だった。
ちょうど正午に病院に着いてしまう
午後一時過ぎにしか入院患者の荷物は受け付けないので、先にお昼ご飯を食べようと近くのファミレスに入り、ランチを注文。
肉料理を選んだ。なんだか肉が食べたかった。

この数日後の朝、ウクライナ兵がロシア兵に生きたまま灯油をかけられ焼かれたニュースがテレビから流れていた
一緒に居たジャーナリストも処刑された…と、国境無き記者団からの発表があった

私は老夫婦の年金の口座のまとめやら手続きの記入間違いなどで
父夫婦のとっ散らかった家計を使いやすくする事に毎日が気が気では無く、そのニュースを横目に家を出た



日記帳を読み返すと、それらがただ箇条書きに記されている。