「老人が二人しかいない家なのに、やたら箪笥多いんですよね。」
「あ、言われてみれば」
「5つあるんですよ」
「…(数えながら)ほんとだ、5つもある」
義理兄弟とそんな話をしている。
コーゾーさんも入院して、夫婦二人が退院してからの介護ベッド2台が入る部屋を創りあげるために、どこをどう物を減らし生活導線を創るか、それぞれの病院や介護士さんやらと打ち合わせを何度も繰り返した。
2LDKの公団に箪笥が5で、でキャンバスに埋もれていたので知らなかったが食器棚は2つあった。
再婚時、それぞれの持ち寄りの生活品を全く減らすことも無くドッキングさせて生活はスタートしている。
大量の紙袋や包装紙やお菓子の袋や総菜が入っていたであろうプラッチックの容器なども、二人して捨てられない。一応、なぜそれを捨てずにいるのか、どう使うのかは理由がある。
理由はあっても、その出番は溜まる速度と比例しないので、ガラクタがごちゃごちゃある…といったビジュアルに出来上がる。
理由はあるにはあるのだけれど、実際にその文脈を室内から読み取るのは大変に疲れる。
何故なら、それは二人の世界だから。
俗にいうゴミ屋敷化している状態は、まったく読み取り不可能だし、本人にも他人に状況を言語で伝えるのは至難な作業だろう。
コーゾーさん宅はそこまでは行っていない。
物の整頓がうまくいかないのも、捨てられない事も大きいが、二人で一人というくらいの共同作業で動いていた室内で一人が倒れると、更に機能の速度が落ちる。
左側が不自由なコーゾーさんは一人で食器洗いする事は無理だし、洗濯物を干すことも出来無い。
食材を調理できても、切ることは出来無い。
洗い物がシンクに溜まれば、そこから部屋の中の全てが徐々に徐々に荒れ始めていく…といった結果を私たち身内は最初に見たのだ。
とは言っても、奥さんがどうにもならなくなって、コーゾーさんが一番最初に助けを求めた近所の方が、シンクに溜まった食器類や鍋などを見かね洗ってくれた後ではあったけれど。
洗いカゴの中に、大量の食器が積んであった。
それを「この家では食器は食器棚には片付け無いのが日常なんだな」と私は誤解して、しばらく洗いカゴの中から食器を使っていた。
「何で取ってあるのかよくわからない小物類」も、コーゾーさんと過ごしている時間は、コーゾーさんの使い方を真似した。(なかなか減らなかったが)
いきなり無くすのは、しかも奥さんが留守中に無くすのはショックを受けるんじゃないかと、私自身は兄や義理兄弟に比べて最初はとても慎重になった。
しかし一緒にいる時間が長い分、コーゾーさんにとって私が一番口うるさく感じているんだろうけれど。
当初の大掃除はコーゾーさんの大量の絵の道具やら本やらの処分に集中し、義理兄弟も加わると「タイミングですから」と、それら溜まった小物や包装紙を結果的には大分捨てることとなった。まぁ、遅かれ早かれそうなるのだけれど。
それから食器棚も一つにまとめ、大きな方は捨てましょう、と決まった。
食器棚を減らすということは、食器も減らす。
しかしここは完全に奥さんの領域なので、選別は義理兄弟にお願いし、一緒に整理する事にした。
大皿、小皿、大鉢、小鉢、お茶碗、グラタン皿、グラス、湯呑み、コーヒーカップ…などが床にずらりと並ぶ。
子供の頃や学生時代、友達の家でご飯をご馳走になった時に目にしてきた、よそのお家の食器。それは自分の家にはない物だけれど、何だか懐かしくも感じる。
「これ、よく漬物とか入れてましたねー。じゃ、処分で」とか
「カレー食べるときはこの皿でしたよー、捨て捨て」みたいなジャッジが義理兄弟から次々下されていく。
「あ、これ昔ミスドのポイントで貰えたやつですね」
「そうそうそう、パン祭りの皿もいらんでしょう!」
「こっちの花柄とか古道具屋で売れそう。昭和っぽくて」
「あーありそうありそう。捨てにしましょう」
「でも、こっちの可愛い」
「あ、持ってきます?」
「いいのかな?」
「どうぞどうぞ、持っていけるなら。この砂糖ポット私持って帰ります」
「トング二つあるから、一ついただきます」
「はいはいはい、さっきも見たな。いくつあるんだ。オタマもこんないらないね」
…なんてやり取りを続けてだんだん楽しくなってきてしまう。
そんな訳で、義理兄弟が子供の頃「クリスマスには出てきた」というグラスセットをお持ち帰りさせてもらった。
自宅にて↑
食器を整理して、おそらくずっと使わず仕舞い込んでいたコースターや布巾などを取りやすい場所に入れ直す。使い古していたのは処分。
奥さんは、貰い物やまとめ買いしたそれらの可愛い小物を何時までもしまっておいて、普段はボロボロになった物を使い込んでいた。
まだ使えるから…という理由で、タイミングをずっと逃しているんだろう。
うちの母親もそんなところがあって、母宅は物で溢れかえっていた。
買いだめしてあった健康食品なんかは、賞味期限が3、4年前だったりした。
一人でこんなに食べれる訳ないのだが、もしもの時の緊急時にたった一人…という不安が次々物を増やしていったんだと思う。
それ以外、ネットで小物買いにハマっていて、手作りのレース編みのクロス、ポーチ、同じ形のバレット数十個、同じ形のジャケット数枚などなど、およそ箱買いに似つかわしく無い物までがたくさんあった。
母のものは兄がほとんど処分していった。
兄は整理整頓が大得意で、きっちり物を管理している。
「俺に何かあっても、第三者でも必要書類はすぐ見つけられるようにしてある」とのことで、感心する。今回のコーゾーさんの作品整理と粗大ゴミの分配なんかはお任せした。
彼は、やはり捨てられ無いもの置き場と化していた押し入れも、全て綺麗にした。
その「整頓」は、コーゾーさんの自尊心を傷つけもしていたが、そこは繰り返し「新しい生活の為だからね」と言い含めた。
たぶん、我々子供たちの想像以上にコーゾーさんには葛藤があったと思う。
けど、何をできる訳でもない。リビングの隣の和室でじっとテレビを見ていた。
時々、子供らが「これ、いる?」と確認に来たり「この中かから、要らない手紙分けといて」とか声かけてくるぐらいしか用事がない。自分の家なのに。
この頃あたりから、コーゾーさんは私が作ってきたお惣菜を残すことが多くなってきた。
「一人じゃ食べきれない」が理由にしろ、自分で行く買い物のスーパーのお惣菜や冷凍食品なんかが冷蔵庫に入っていたりする。
口に合わなかったのかな?と思いながら泊まって一緒に夕飯を食べる時だと、よく食べてくれる。
その日、夕方前には帰るので、数日分の食事の買い出しをするのに献立を考えていると、「野菜は切っといてくれたらいいから」とコーゾーさんは言った。
「サラダ用に?」
「うん、それもあるけど…切っておいてくれれば自分で料理もできるから」
あぁ…そうね。コーゾーさんは奥さんとの生活を継続させたいのであって、介護生活に突入したい訳では無いのだ
「やり過ぎないでいいから」
「…うん」
そうは言っても、片道2時間かけて洗濯と茶碗洗いをしに来る状態もこちらとしては「過ぎる過ぎない」の問題でもなかったので、何となく腑に落ちない。役所への手続きや審査の代理でもバタバタしていた。
食材を切っといて冷蔵庫に入れていても、その存在を忘れてまたスーパーのお惣菜を買い足して、野菜をカビさせている。
家計が少ないというリアリティは、コーゾーさんの中の自立には入っていないという事を伝えたいが、コーゾーさんはこの調子でこれまでやってきたのである。今更、どんな言い方をしたら伝わるんだろう。
スーパーの惣菜と一緒に日課としてお菓子の買い出しは欠かせない。
しかし、一度に80歳を超えたお年寄りの食べる量としては多過ぎやしないか?
スナック菓子一人で一袋はペロリと平らげてしまう。
「おかず作り過ぎるから、どんどん傷ませちゃうんだよ。勿体無い」と言われると、腹が立つ。
あんたお菓子食べ過ぎよ、ご飯食べなさい!と、再び子育てに戻ったような事を父親に向かっていう事になる。
すると、子供っぽくも神妙な顔で「わかっているんだけど、もうこの年で我慢するの嫌になっちゃって。脳梗塞でたくさん我慢して頑張ったし…」と言う。
そうなると、こちらも力が抜ける思いになる。
正直、あなたの身体なんだから、好きにしたらいいよ…と言ってしまいたいが、じゃあ、なんで助けを求めたのよ…とも言いたい。
そんなに全てをコーゾーさんに伝えたって「どうしようもない」感が漂うだけだ。
気を取り直して、一人ならそれでもいいけど、奥さんのためにお菓子は控えろ。とだけ言う。
「わかっちゃいるんだけど…」と、禿頭を抱える。
そうよね わかっちゃいるわよね
あたしも、おとーさんの立場だったらお菓子どころか酒飲んでるかもしれないわよ
でも、身体はともかくお金のことぐらい、もうちょっと気にしなさいよ。
…は、言わない。
ギャンブルも、飲酒も、桁外れな浪費もしない売れない絵描きへの、お金の話はつかみどころがない。共同作業に参加していってもらって、現状把握してもらうしかない。
人間、ただ衣食住が整えば生きていける訳でもないことぐらい、身に染みて理解できる。
母は、娘から見てそのコントロールが悪かったな…と思う。頑張って頑張って、少し風変わりな職業能力も身につけて、いつも不安に陥って自分が先に壊れてしまった。
奥さんは、どうして来たのだろう?
もう、コーゾーさんには懲り懲りなんじゃないだろうか…
このまま大変な生活から離脱したいんじゃないだろうか…
そう宣言されちゃったら、どーすんの?コーゾーさん
紹介された消化器病院診察の日に戻る。
「検査入院か…まぁやっぱりなって感じだからな」
「う〜ん、そうねー…なんかでもお父さん、こう言っちゃなんだけど血が少ない自覚あんまり無いんでしょ?検査して『原因がわかりません』じゃないといいね…変な言い方だけど。検査するしか無いんだけどさ」
「そうだなー大変な病気も嫌だけど、検査し損も嫌だなぁ」
紹介された消化器病院で検査入院を告げられ、なんでこんなアホみたいな不毛な会話を父娘でしているかというと、何度か誤診(医者の言い分は変わるでしょうが)が重なり、奥さんが負担の大きい検査を繰り返させられた経験があるので、無知なりに疑心暗鬼気味になってた。
コーゾーさんはこの時の不満を時より爆発させるように医療機関への悪口は絶えない。
最寄りの病院も、ものすごい待たされるし。
貧乏人でお金の負担もあって、老人だからか説明の詳細がはっきりせず、たぶん老人扱いもされ、目の前の妻は見る見る症状が悪くなっていく経験は、それはそれは恨みも募ることであろう。しかし、医療機関としては付き添いもお願いしたいところなんだろう。
「どこか休憩して帰ろ。昼ごはん食べて」
「そうだね」
その日に大きな病院の入院手続きと説明を全て済ませたので、父娘は少しくたびれてもいた。
奥さんの入院、転院手続きで、義理兄弟の手伝いもしていたから多少慣れては来たけれど。
「あんまリ食欲も無いけど、アイスクリームが食べたいんだよ」
「あぁ…じゃあ、駅前まで出てファミレス入ろうか」
さっき血糖値の酷さを申告さけれど、今日ぐらい、アイスいっこぐらいいいわよね。
今日は暑いし…
ファミレスでアイスか…子供の頃、スケッチ兼ねたドライブに行くと言うコーゾーさんについて行って、兄と母に内緒でファミレスで二人アイスクリーム食べたりしたなぁ…と思い出す。
あのオンボロワゴン。クーラーも効かず、タバコの臭いが染み付いてて、山道を走ると車酔い確実だったけど、よくついて行ったのだ。
窓を開けて風を入れて、秋空に紅葉でキラキラ光る山の木々の風景を覚えている。
少女時代の私は、父親と気の合う娘だったと思う。
その父娘の間に、母が経済的現実と出口の無い不満で割って入る。
我が家は母子関係が父母逆転しているのか、母子関係が作用して結果その形なのか、自分ではよくわからない。成長するうち、母の悲鳴に気づく。
あの運転の得意だったコーゾーさんが、今はひょこひょこと杖をつき、左側を引きずっている姿を後ろから眺める。入院中は胃カメラ飲んで、下剤飲んで、腸検査カメラ…大丈夫かしら。退院の一週間後はヘロヘロじゃないの?
車の運転が得意だったあの頃はもう無い。
腹立つこと満載なコーゾーさんを失う日がいつか来るんだろうなぁと思う。
その時、私は多分泣いてしまうんだろう。あぁムカつく。
人混みの多い駅ビルの中でファミレスを探しながら、蕎麦屋の前に来ると
「蕎麦でもいいなぁ」とコーゾーさんは言い出した。
アイスと蕎麦となんの天秤なんだかわからないけれど、前回の病院帰りと言い、この人蕎麦屋好きだな、食欲無かったんじゃないの?と思う。
田舎にしん蕎麦を頼んで、いつものように啜るとすぐに咽せる。
半分食べたところで「もう食べれない」と残した。食欲無いのは本当なのだ。
お会計で自分のお財布を差し出そうとするところを「いいよ、大丈夫」と止めると、「そお?」とすぐに引っ込めた。
わかってんじゃない、経済環境……。
「この後、中央線でお前はそのまま帰りなさい。お父さん、バスで帰るから」
「…大丈夫?一人で」
「大丈夫だよ。いつもやって来たんだから。お前はやり過ぎだよ」
はいはい、そうですよね
店から出ると「筆立てが欲しい」と思い出したように言い出した。
一人で帰るなら荷物になるし、入院の日までに私が探しておくから。と説得して八王子駅で別れた。
検査入院の2日目、病院から連絡が携帯に入る。
「胃カメラの結果ですね、割と大きな腫瘍が見つかりまして……まだ腸検査が終わっていないんで具体的な治療方針はその検査後になるのですが、ご家族にご相談しないとならないと思いまして…」
「…はい…えっと…手術になるんですか?」
「そうですね、まぁ腸がまだなんで…手術内容もその後じゃないと決められないのですが…で、ですね、手術するにも糖尿病が今酷いので、血糖値を下げることから始めないと切ることも出来ないんですよ…今、血をサラサラにするお薬も飲んでいますから。で、お家にこのまま帰って血糖値をコントロールするのは難しいと思うんですよね」
「…そうですね」
「あとお歳ですので手術に耐えられるか循環器も見ないとならないです…ですから、このまま入院を延長することをお勧めしたいのですが……」
断る理由は無い
入院の前日、なぜかコーゾーさんは買い出しをして冷蔵庫をいっぱいにしていた。
「牛乳も買っちゃったし、シュウマイやジュースやネギも買っちゃったし…失敗した」
「うん、だいぶ買ったね」
「あんた持って帰って」
「ネギ持って電車乗るのは嫌だよ」
「そうか…」
「大丈夫よ、数日だし。まだ持つよ」
病院から連絡をもらった後、ボロボロになっていたダイニングチェアの買い替えをした。
兄が「この椅子だと危ない」と言って折り畳みチェアと交換して、使っていたボロチェアを粗大ゴミに出した後、コーゾーさんが「この椅子だとお尻の筋肉が年寄りは落ちていて痛いから、クッション付きじゃ無いと困る」と訴えたのだ。
「前のはクッション付きで、ボロボロだけどそれでも取っといたんだ」と少し恨みっぽく言った。
私は泊まって一緒に過ごして、初めてコーゾーさんのお尻に床ずれがあるのを知った。
「安いのネットで探すよ、奥さんが帰ってくるまでには間に合わせる」とその時はなだめた。
整頓され始めた部屋の中で、コーゾーさんは物が見当たらないと兄が捨てたと、何かと言うようになった。
私が風呂掃除をした後に、「風呂掃除用のブラシを買っといたのに、捨てられた!あれがあれば一人でも掃除できると思って買っておいたのに!」と言い出したので、いや、お兄ちゃんはお風呂場はノータッチだから知らないと思うよ?と説明した。
脱衣所の洗濯機の横の、洗剤や洗濯ネットがごちゃっと固まった中に百均のスポンジブラシがあったので、これの事?と訊くと「あぁ…それだ」と感情を引っ込めて、その後もぶつぶつ「どこに何があるのかわからなくなった」と不満を言っていた。
約束通り、入院前日に買ってきた『筆立てになりそうなもの』を二、三個見せ、コーゾーさんに選んでもらった。
どれも古道具屋やディスカウントショップで探した安物なのだ。
「うーん…これはガラスか…これもいいけど、こっちの陶器にしようかな」
イーゼルの前には、百均で買ったマグカップが筆立てになっている。
「なんだ、結局あの後買っちゃったの。持っていくって言ったのに」
「うん、でもこれはコップで使うから」
「食器、せっかく減らしたのに。まぁいいか一個ぐらい」と、そのマグカップは台所の流しの下にしまった。小さな食器棚は、もういっぱいだったのだ。
注文したダイニングチェアは、午後四時ぐらいに届くはずだ。
この日は早く来過ぎてしまった。
窓の外はあいからず眺めがいい
緑が揺れて、なだらかな丘になっていく遠くに沿って、団地が小さく並んで見える。
おもちゃのブロックが並んでいるように、それは安全そうな1日の中の風景にある。
待つ間、何もすることが無い。誰もいない、実家でもない身内の部屋。
冷凍庫を開けると、箱入りのチョコアイスが入っていた。
一人でそれを食べた。
家主が居ない間に、これ全部食べてやる…と、筆立ての記念写真を撮りながら思った。