kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

ラスト ブログ「あのコは加工肉が好き」

あのコは加工肉が好き 数字遊び ④

 

ブログ~数字遊び~のシリーズは、今回で最終回

森有正の用語で使いたいものがある。

「現実嵌入」という。

日本語は非常にユニークな言語である。どういうふうにユニークか?一言でいえば、日本語は語る人と聞く人の二人で具体的な関係の中でしか成立しない。『映画未満 ⑤章』より。

日本語をパリで教える事によって、言語を客観視し、森有正の日本語への気づきはある。

日本語は相手で言い方が変わる。ここが外国言語との違い。

誰に対しても「俺」や「私」や「僕」と言う訳でもないし、誰に対しても「あなた」や「お前」や「君」と言うわけでも無い。

関係を当てはめて、その現実が現れる。(それが上でも下でも)相手に合わせて成立する。

森有正は、それで日本語が劣っているというのではなく、ユニークだと言っている。

で、『映画未満』では、この関係(二人称)の中で成立している言語は、プライベートな関係に入れない時、よそよそしく感じるという。

それは、日本語にパブリックというのは成立するんだろうか?という疑問を立ている。

言語は我々の感性の裏づけである。おそらく、日本の二流評論家ほど「リアリティ」という単語を多用する人種もいないだろう。実はリアリティとは、相手とプライベートな関係に入れた時に感じる慰安の状態が基になっているのだ。リアリティというのは好き嫌いとさして違わないのだ。『映画未満 ⑤章』より

 

確かに、やたら「リアリティを追求する」とか「リアリティのある」とか言う評論家は多いが、それは「リアル」が現実とか真実、客観を絡めたパブリックな感覚を想定して使ってきている感じだ。

実際はその逆で、かなり接近している私的感覚に近い言葉であっても、何故か日本人は公的な客観視だとニュアンスで解釈してきているところがある。

よくインタビュアーが対象にプライベートまで接近し、聞き出し垣間見える「素顔」が、日本人の「リアル」でもあるかもしれない。

石子順造は「私的(プライベート)」と「公的(パブリック)」に分けて、「戦前・戦中の日本人は「私的」か「皇国民」かに内面は分裂していて、公的な個人が無い」と言っている。

老若男女、どんな立場だろうが変わらず一人称が「I(アイ)」では無い日本人という指摘に、石子の気になっていた事は近いかもしれないが、彼はそこからキッチュ論に流れて日本人を考えている。

 

「とても変わった手紙」は、日本語の中でだけ成り立っている一人称にヒントをもらった。

手紙を書いている「僕」は一般的に男言葉だ。標準語の中では。

今は女の子でも「ボク」というコは居るようだけれど、そこは別に意識していない。

というのは、あくまでも【関係性で読まれる】という事を探りたかったからだ。

それと、人は他人の性と個人をどういう風に捉えているのかも気になっていた。

更に厳密に言うと、男言葉である「オレ」は地方によっては女性も使う場所もある。長い内戦の歴史で、日本には多様な方言がある。

方言の数は「地方の数」というより、その時代の「国の数」で、これだけでも結構特殊だけれど、ここもテーマには入れなかった。

 

あともう一つ、『アフガン零年』(原題「Osama」)というアフガニスタン映画にもインスパイアされている。女性が一人で出歩くことを禁じられたタリバン政権下、男手を失った一家が生活するため、少女マリナが少年になりすまし働きに出る。

女とバレた彼女は捉えられ、宗教裁判にかけられて、そのまま家に帰ることが出来なくなってしまう。物語は少女が男装した実話を基に描かれている。

日本語は、相手が誰であるのか混乱した場合、どうなるんだろうか。

ネット社会での【関係性】や【現実】とはいったい何だろうか。

ルールのよくわからない数字ゲームの中に気付かず入ってしまったようだけれど、私はここからどうやったら出れるのだろうか。

いや、出なきゃならない。

そう思って書いた。

結構、いろんなことを賭けている。

 

私はカトリック信者だけれど、ネットの中でそれがわかると、性的に攻撃してくる人がいる。もちろん、あからさまにはしない。遠巻きにする。

性的な攻撃をしたがるのは、たぶんキリスト教の中の純潔に対し、(信者である私以上に)その人が反応している感じがする。

にっかつロマンポルノ時代の映画ポスター画像をタイミングをみてSNSに貼り付ける。

カトリックのシスターが、下半身を出して欲情している映画だった。

見て、笑ってしまった。

何故ならその日はちょうど2月5日。

豊臣秀吉の命令によって26人のキリスト教徒が処刑された日だからだ。

キリスト教の信仰を理由に最高権力者によって処刑が行われたのは、これが初めての記念すべき日に、その人は関係性がよくわからないカトリック信者を挑発したがっている。

 

まぁ、その人はこの処刑は知らないだろうが、彼も虐殺社会の血は引いているんだなと思った。

 

それは私もね。

 

文化の犠牲者の陰で生き延びてこれなければ、現代も無い。

たぶん彼自身の挑発の根拠は、欧米の性解放運動に根差していると思っているのかもしれない。

それが、表現の自由だと。じぶんは、その文化の子孫だと。

無邪気なもんだけど、あからさまにそう指摘したらその人は怒り出すかもしれない。

精神分析的にこれを捉えないで欲しい

その挑発は、古代から来ているわけじゃ無いし。

今現在の、成長したその人の在り方だ

最近、露出的なファッションをしたある韓国人女性DJが、ライブ中に日本の観客からセクハラを受けたと訴えて話題になっている。

フェミニストの味方の男性たちは、彼女の味方だ。もちろん、私も彼女の味方だ。

それはまぁいいとして、ところでこの日本男性たちは、修道女の童貞に関して同じように擁護してくれるだろうか。

なんとなく、否定しそうだと思っている。

西欧の性解放運動のライバルは、もともと教会の童貞観にもかかっている。

これが、女性の自由を奪ってきたから。

日本の新左翼はストリッパーや売春婦たちの人権を訴え、なかばその職業を神聖視しがちだったが、彼らは時より自分もまるで西欧の歴史の中に居るようだった。

世界の家父長制が同じでも、日本の教会に関する歴史は違う。

禁教令時代に捉えられたキリシタン女性の中には、犯され者も居たと思う。

転びバテレンたちは、転んだあと数日間売春婦と一緒に牢屋に入れられた。

 

こういうのは、戦争中の性暴力と似ている。

 

人権を守るのはいいとして、性的に露出のある女性を擁護するために、自分の意志で使徒職についた女性を現代だって差別してもいいわけではない。

政治的なフィルターで誤魔化されやすいが、露出のある女性にセクハラする輩と、修道女の貞操を失いたい輩と、なにか違いがあるのだろうか。

他者を自分の思い通りにしたい欲望と、表現の自由は=じゃない。

そう思っている自身を曝け出しせたとしても、そこに必ずしも相手との関係性が有るわけでは無いという事実は、頭には入れて置いて欲しい。 

たぶんその人の状態は孤独に近くなると思うが、あえてそれを見せたいのなら、すればいい。

モラルは意識の上では認識していても、ひょんなタイミングで崩れて人間の暴力が丸出しになるのは、わりと日常的なのかもしれないな…と思っている。

日本では、キリスト教徒女性は一般女性と同じだと見なさないのだろうか?

全員、修道女に見えるんだろうか? 

それはつまり、性的に閉ざされた生き物だと?

 

奇妙だ

 

その人自身の、他者を思い通りにしたい欲望がキリスト教というライバル・アイコンで隠せるとお思いじゃなかろうか。

人は結構、そうやって欲望を隠すのだ。

 

1974年、ナポリのスタジオモーラで行われたマリーナ・アブウィッチのパフォーマンス「リズム0」は問題作であり、今も人間の集団的欲望に関して問題定義を示している。

72のアイテムを前に、彼女は観客に次の様に伝えた。

「テーブルの上のは72個のオブジェがあります。希望に応じて私を利用することが出来ます。 私はオブジェです。

この期間では私が全責任を負います」

はじめは穏やかだった観客達は、一人がマリーナの服をナイフで切り裂き始めたところから変わり始める。

観客に首を切られその血を飲まれ、上半身を裸にされ鎖でつながれ連れまわされ、数人の男性に抱えられてテーブルに置かれ、銃弾の入った拳銃をつきつけられた さすがに他の客が止めに入ると観客同士で暴動がおこった。暴力が止まらない。

六時間後、マリーナが観客に向かって歩き出した時、全員が逃げ出して誰も彼女には近づかなかった。

作品「リズム0」の様子。

涙を浮かべているオブジェのマリーナ。

リズム(心音)は無いはずなので、その涙に気づく者が少ないのだろうか。

それはフランス革命時、ランバル公妃に対して民間裁判後の民衆が行った公開処刑の記憶を呼び起こす。

私は民主運動に反対ではないし、王室制度に賛同もしていない。

が、ランバル公妃の胴体と晒された生首は、自分も同じ人間として、集団暴力の質と方向が「似ている」と感じる。

マリー・アントワネットと親しかった地味な性格の公妃は、プロパガンダによってレズビアンのチラシも作られていたそうだ。

その噂から、マリー・アントワネットに公妃の生首に見せようと王妃が幽閉されているタンプル塔へ向かった殺人者たちは、「王妃に首へキスさせる」とも沸き立っていたようだ。

しかし塔内への持ち込みは許可されなかった

この時代の彼らは、たぶんほとんどカトリック信者だろう

王室と親しかった教会はやはり暴徒に襲われ、修道女は犯された

マリーナ・アブラモヴィッチ作品「リズム0」が作品として完結しているのは、最終的に集団暴力を殺人からではなく、マリーナがオブジェから個人に復活したショックから解消させたからだろう。

参加は事件を含んでいる危険な作品。表現者として、マリーナ自身にも深い恐怖と傷を残している。

彼女がハードなパフォーマンスに挑んでいた時代。

「リズム0」に参加した観客達の中で、最初の「全責任を表現者が負う」という契約に、自分は騙されたと感じた人は居なかっただろうか?心配になる。

そんな精神状態にならなかったか?

作品での集団的欲望の経験と、そこから解放された現実の間でショックは受けているはずだ。それもそれで、個人的には気の毒にも思う。

0「無」というよりは、人によってはマイナスになっていやしないだろうか。

その人の人生で、それが無に帰せていることを祈ろうか

…最初の契約は、参加者を刑事責任からは守っているんだろう。

映画監督、小津安二郎の墓。「無」とだけ墓石には刻まれている。



アフガン零年」で、アフガニスタン政権下、【少女が男装する】とはなんだろう?

主人公のマリナが自分の髪を切り落とした時、思い出したことが有る。

第二次世界大戦敗戦後、民間の日本人が満州からの引き上げる際に、迫るロシア軍から身を守るため母親が娘の頭を坊主にさせた。女の子だとわかると犯されるから。

男手は無い。戦争に行ってしまったから。

何十キロも歩いて港へ向かい、夜眠るときは穴を堀りその中に娘を隠し眠る。実話である

守れた人は居たから、現在私はそのことを知れたのかもしれない。

死んだ者も沢山いた

こういう話は、娘を持つ身なので辛い

これはつまり、

帝国日本軍が暴力的に西欧の歴史さながらアジアを植民地化したときに、その国の娘たちは性的暴力に晒された たくさん殺されている 

フェミニストに賛同するフランス人男性が

「男に守られる、お姫様の様な女性ではなく、女も闘うべき」と発言しているのを前に聞いた

そう?闘ってきてません?あなたのお母さんたち

そんなお姫様みたいだったの?伝統的な社会構造すべてが? …ほんとうにそうだろうか?

単純に、社会的地位が無かっただろうけれど

生きるために闘っているが、なにか思想的な文脈や社会の英雄的な活躍をしないと、なんなら男にならないと、言語を持っていないと、「闘う女」の中に入れてもらえないのだろうか? 「男には頼らない」と、口をそろえて言っていれば良いのだろうか?

男性の土俵に上がった女性たちは「女のくせに」といじめられてきているが、【上がったから】ってところがどうも個人的に引っかかる

マリナのやり方もある意味、土俵に恐る恐る上がって、自身の生命力は怯えていった

それは何故だろうか 女で弱いから? 

大勢の中での1人という、暴力構造がすでにあるからだ。

 

彼女の作品は受難の人の姿を作り出した。

その暴力の一致の中に入ってしまうと、暴力は見えなくなると証明した

上の写真のマリーナの背後に居る客の笑顔は不気味だが、彼らは『自分たちが参加している群衆現象』を、まだ発見していない人たちだとも言える。

 

それは、我々の日常だ。

私たちは聖ペトロの様に、鶏が三回鳴くまで

自分たちの不実に対して『他の誰かよりもうんと免疫がある』と思い込んで、模倣暴力には気づけないのだ。

 

土俵が変わらないのは家父長制の構造よりもさらに、暴力構造が模倣われ、土俵に「上がれる人物」のコピーが、性別関係なく続き、変わっていない様な一面を感じる。

上がれない者のうっぷんも、相変わらずある。

人間の模倣欲望と熱狂は大きく変化していない

 

お姫様だって、実はみんなでギロチンにかけれたじゃないですか

王朝じゃないけど、王朝が反逆者という犠牲者を死刑にするやり方に方法は変わらなかった。

民主化運動の歴史に、ここは含まれなかった訳ではない 

 

あなたの言う「お姫様」は、お城のお姫様ってより、資本主義のお姫様じゃん?

おとぎ話を、どこで手に入れたんだろう?

人の貞操を自分の自由にしたいって欲望も、思想を隠れ蓑にしても相も変わらず出てくるわけだし…

 

日本語は相手によって変わる

現実が関係で嵌入する

「とても変わった手紙」の僕は、自分と誰だか知らない誰かの関係はなんだろう?とずっと思っている。 

あれは「僕は誰だ」ではなくて「誰だか知らないあなたは僕にとって誰だ?」と言う悩みなのだ

自分は誰だか知っているので、僕からわたしになったのだ

たぶん、そうは読まれなかった

「あんたは、これだ 馬鹿」や「性別よりも自分であって」や「思いあがるな自意識過剰」や「バカはほっとけ、人は人」や「これは大衆的じゃない」みたいな返答の痕跡は見つけた。

大衆的じゃないのは確かだ

だいたい、僕からわたし に変わってしまうカタリ手に対するは読者の方が、「あんた誰?」になる。未熟 終わり方も中途半端で焦っている。

そういう意味で自信は持っていないけれど、誰だかわからないあなたが決めている、わたしで居れる時間がもう限界だ 

そもそも大衆的って、パブリックな現実にどの作品も出ていく事が無かったのに

関係性が築けないが、欲望の対峙だけは色が濃いので、わたしはこのままそのライバル関係に飲まれるだろう

焦りすぎて、ルネ・ジラールに学んだことよりも、ドゥルーズの著書を主に参考にしている。ドゥルーズ精神分析の構造を批判した。批判したが、結局その構造からは出ないで狂気に向かった。「狂気を分析するな」という態度だとしても、それが構造に戻ってしまう。

自分もそんなような動きだったと思う。

 

ドゥルーズは、社会の中のマゾヒズムに目をつけていて、それがサディズムとの対峙ではなく掘り下げている。

俗にいうSMは、性的趣向が違うのではなくそっくり同士だという。この倒錯的世界ではなく、社会の中でマゾッホはサディストとは出会わない。それだと、真のマゾ的な事を見逃す。

虐待者のサディストが、マゾの望みなど受け入れるわけが無い

ルネ・ジラールも社会の中のマゾヒズムに気付き、そこから模倣の欲望や、聖に隠されてきた暴力に関する人間学を広げていく

 

自分の身体に戻りたい と、手紙を書いていた僕は言う

アフガン零年」のマリナも戻りたかったと思う

 

物語では、生理が彼女の身体を少年から女性にし、彼女の性は性虐待の世界に飲まれる

 

アフガニスタンタリバン派と政府・米軍との戦争対立は、女性の犠牲を強いていく

政府警察では、性奴隷として少年の拉致が堂々と行われる

米軍が見て見ぬふりをしたので、我が子をさらわれた者はタリバンに流れる

聖なる戦いの生贄である

 

「彼女が生理になった」って始まる物語を、去年他に書いた

物語が流れ、続く 

 

続くが、私の中の「数字遊び」の関係は終わっている

その関係が最初は頼りだったけれど、

本は閉じられている いろんな影響を受け教わった

長谷川集平氏は、東京でのアカデミックな作風から離れて長崎に移る

そんなわけで、長谷川氏の中でも「とても変わった手紙」は東京的作品なんだろう

私は、ネット的作品だと思う

長崎と東京でぶつかった訳でも無いのだし

『映画未満』は、長く絶版しているから、探さないとならない

どこかで、誰かがまた読んだらいいなと思う

その人の旅としても

 

その他の私の物語の関係も、はっきりしないまま、たぶんいずれは終わるだろう

私の知らないところで、誰かが出会うかもしれないが、可能性は今のところ低い

いまは公開していないから

 

なにかの拍子に、ある日顔を出すのかもしれない

今は、目の前の作品が優先で、未来はわからない

どこかでゲームも続くかもしれない

 

私はそのゲーム会場に

誰だか知らないあなたと

居れたことは、一度も無いのだ

 

現実として

それはとても、残念な事だ

 

「あのコは加工肉が好き」 は、まだもう少し、どこかで続く

 

 

 

始め、数字はある本の「章」でした。章を何度も順番変えて構成し直して本の内容を頭に入れてたって話の ブログ「あのコは加工肉が好き」

あのコは加工肉が好き 数字遊び ③


好きな(お目当ての)数字を言ってみて下さい。

…3? OK

3は、「小津安二郎の正面性」

次……なんでもいい。ただ浮かんだ数字でもいい。どうぞ。

…7?はいはい。

えー…7は「テープレコーダー録音の雑音の多さ。僕らは選んで`聴いている`。機械の客観的音が現実なのか、それとも必要な音だけ聴き分ける主観的音が現実なのか⁈」

…ランダムに行ってみましょうか…数字と内容を結び付けといて下さい。

…9 「キュビズムについて」

…5 「森有正の`現実嵌入(かんにゅう)` について。誰でも学べるパブリックな場と、プライベートな関係に入る師弟関係」

…6 「現実は最初プライベートな場(二人の間)に現れる。では、パブリックな現実はありえるのか」

…2 「小津映画のローアングル。子どもの視線。正面性に固定されていたカメラがやがて上下左右、前後に動き始める」

…4「正面性のむき出し。黒澤明の3台のカメラ。モンタージュ理論より、カメラの前の現実が優先するという事」

…8「夏目雅子死亡。スター(それぞれのうぬぼれ鏡)を求めながら、実は自分のところまで引きずりおろしたい大衆。ハリウッドのスター・システム崩壊後のアメリカン・ニューシネマ。大スターは作らず、コマーシャリズムの中で生き延びるコツ。『パリ、テキサス』の制度上の親子や男女の安住」

…1「ポール・サイモン『それで、神が映画を創った』」

…90「『バード』チャーリー・パーカーの側に居たデイジーガレスピーの人生観の厳しさ」

…19「ゴダールのマリア

…42「クイケン兄弟による『バッハの無伴奏 バイオリン曲の夕べ』。バッハの自筆譜。ロマン派は奏者自身の物差しで、古楽奏者は作品の謙虚な解読者」

…35「『フール・フォア・ラブ』お話の中の宝探し」

…98「『ケン・ラッセルサロメ』。宮崎勤の残酷ビデオ」

…44「タルコフスキーサクリファイス』。日本人のタルコフスキー評で、‘眠い‘が多く観られるのは何故か」

…51「グレン・グールドのコンサート活動打ち切り。`コンサートの生贄`」

…57「住まいを追われる東京生活。『ロビンソンの庭』インターナショナルを気取った新しい地獄。囚われた自己陶酔」

…59「『ラ・バンバ』リッチー・バレンス、メキシコ音楽のロックンロール。ポール・サイモンのアルバム『グレイスランド』について」

…67「『ゴンドラ』愛されたことの無い者の愛する難しさ。アンドリュー・ワイレスの『ヘルガ』」

…85「マザー・テレサのドキュメンタリー。チャリティーの和訳」

…47「フラジル人、モモコの話。『ミッション』『ジュリオの当惑(とまどい)』」

…49「パゾリーニアポロンの地獄』『テオラマ』『豚小屋』『女王メディア』『奇跡の丘』」

…72「『愛しのロクサーヌ』ラブストーリーのハッピーエンドと悲恋。叔父、浦山桐朗の死んだ夜に、僕は八ヶ岳の山小屋の絵本の集まりに居た」

…99「オイディプスは自ら盲人になったのは何故だったろう。映画は少し休もう。児童小説『見えない絵本』の執筆を始める」

ランダムに数字を言ってくれる相手が、実際に居るわけで無しに書いているブログなので、自分でランダムにページをめくってみた。

何のページかと言うと、長谷川集平著『映画未満』(90)という30年以上前の映画評・エッセイ本だ。

85年から89年の4年間、長谷川氏の『キネマ旬報』への連載コーナーがまとめられている。数字は、連載回数の章数になる。

その章の内容を、ナンバーとを簡単なメモ程度に箇条書きで書き出してみた。

これだけでは正直内容は分からないと思うけれど、それでもなんとなく魅力的ではないだろうか?

映画評とありつつも、話は絵本理論や近代絵画理論、モンタージュ論に音楽と(音楽もジャズからブルーグラスからクラッシックからロックまで)、毎回あちこちに広がる。ご本人の中で流れはあったのだろうけれど読者側は何度か読まないと、全体像がよくつかめない。

だから一つ一つの章を、一ページ目から最後まで流れで読んでいても、正直最初はあまり頭に入らなかった。

読み直すたびに、毎回読んだことが無い章を読んでいるかのように、記憶に残っていない。

「あれ、おかしいな」

記憶に残らないのは、興味が無いんじゃない。

タイトルが無いので、テーマの先入観も無いから記憶に残りにくいのかもしれない。

気になる片鱗を見つけながら、ページ数順どおりの流れでは、何故か内容が細切れになってしまう。自分の知らない音楽も多い。1章1章の内容が多面だ。

この多面は内容が濃いともいえるけれど、リアルタイムな気分に沿って若々しい文体だったとも言える。

実際の連載は一回につき次の掲載まで日にちの間がある。

この間だけでも、たぶん読む印象は変わるだろう。

そういうテンポで書かれたものを、まとめて読むと頭に入りにくいのかもしれない。

とにもかくにも、執筆当時、博学な20代の長谷川集平氏の知識が、その二十年後に読者となった、平凡な主婦である30代の私には最初読み取りにくかった。

でも、どうにか読み込みたい。読み込まねばならぬ。

そういう欲望が強く湧き出てくる。

ほぼ、強迫観念の様な学びの欲求。(なんで、そうだったんだろう?)

とは言っても、広い広いこの世界。全てオリジナルで勉強するなんてありえない。

そんな人間、この世に居ない。

高いお金出して学校に入りなおす…と言ったって「何を学びたいか」すら具体的じゃない。

自分の中の欲望の萌芽に、名前がついていない。(今にいたっても、名前はついていないみたい)

とりあえず『映画未満』を教科書にしていこう…どうこれを読みこなそうか。

そこで思いついたのが、氏が『絵本つくりトレーニング』という別の著書で説明解説していた「モンタージュ論」にヒントをもらう事にした。

本を、一回バラバラに解体して、自分の中で構築しなおす。

解体と言っても、そんなに大層な事じゃ無い。

章を順番どおりではなく、ランダムに組み合わせる。

例えば、4・9・98・67 と、バラバラな数字を組み合わせ、その並び順に読んでいく。

この時、読む順番を物語の「展開」として読む。…つまり…

黒澤明の3台のカメラ → 〇キュビズムについて → 〇『ケン・ラッセルサロメ宮崎勤の残酷ビデオ → 〇『ゴンドラ』愛されたことの無い者が愛する難しさ。アンドリュー・ワイレスの『ヘルガ』

という感じで、前後のつながりが関係ないエッセイを、一つの話の起承転結となるように頭の中で構築しなおし、流れを作る。

また翌日に57・85・6・3

といった感じに、適当な組み合わせの数字で流れを作る。

数字の組み合わせは、全て偶然。

意図的なものは(少なくとも私には)存在しない。

一冊の本のエッセイ・コラージュを頭の中で何度も何度も繰り返す。

すると不思議な事に、前後のつながりが変わるだけで同じ章でも内容に多様な印象が残る。その結果、さらに不思議な事に、一つ一つの章の内容がより浮き出てくる。

【流れを再編集(モンタージュ)することによって、一冊の本をあらゆる角度から読んでいる感じ】

これが私の「数字遊び」の始まりだ。

一冊の本を読んでいた。

私にとって、数字の象徴は章の内容を指していて、

何かのグループ分けとか、境界線ではない。

数字は、単体の内容を持っているけれど、単体で存在していない。

例えば、3が最初に来て「ずっとそれだけ」という事が無い。

次に、他の内容の数字がつながり、【流れ】をつくる。

この流れの波のなかで、再び3がやって来る事もある。

それで、3とまた出会いなおし、また次の数字(内容)につながる。

単体の数字が何かの真理のような権威は無い。

だって実際、私たちは数字をそんな風には使っていない。

数字は停滞ではなく、流動で 対峙ではなく、展開だった。

すくなくとも、私にとっては。

私、個人の中では。

けど、たぶんあるゲームの中では数字は「停滞」で「対峙」になっている。

なんでだろう?

それで、さらに『映画未満』を書いた長谷川集平氏に、いま私は全く会いたいと思わない。

私の知への出発点であったとも思えるのだけれど、いま私は彼の話を聞きたいと思っていない。

最初はそうじゃなかったはずだ

何故、こんな風に変わったのだろう?

この疑問は長らく進まず、深い悩みになっている。

その結末というか、句読点をつけるためにも

数字遊び④に続く…

 

 

 

そして2023年の長崎原爆の日に投稿していた、ブログ「あのコは加工肉が好き」


あのコは加工肉が好き 数字遊び ②


8月9日、長崎の原爆雲を少年だった私の父は長崎の小浜で見上げていたそうだ。

父方の祖父はそのころ、小浜で塩を作っていて兵役を免れていたと聞いた。

祖父は小浜の人間ではない。福島、会津の出身。東北人である。

出稼ぎの肉体労働で九州にやって来ていて、それからどういった流れなのかよくわからないけれど、小浜の温泉で温泉熱を使った塩田業に着き、造塩が軌道に乗ってから福島の家族を呼び寄せて、戦中は小浜で暮らしていたらしい。

どこも物不足の時代だったけれど、貴重品の塩作りという職業柄なのか比較的不自由しない生活だったと聞いた。

祖父が風呂場に拘っていて、広い洗い場の窓から大きな川魚見える様に生簀を取り付けて、それが「まるで水族館みたいだった」と子供の頃、父から聞いた。

「戦時中に水族館みたいなお風呂」

幼少期、鹿児島で空襲の火の海を、中学生の叔父に背負われながら逃げ回った母の戦時中の体験と、父の経験はかけ離れていて、その話を聞くたびに子供心に運命とは不平等なものだと思った。

それも、戦争が終わった頃には温泉も枯れてしまって塩田業は廃業、一家は東京の下町に上京して極貧生活に戻ったという。それでも父方の祖父が戦争へ行かずに済んだのはラッキーだったんじゃないかと思える。(戦時中は口が裂けても言えない事だ)

父が見上げた原爆雲から数日後、ホロ付きトラックが何台も父の暮らす村の公民館前にやって来た。

好奇心旺盛な少年だった父は、街から届けられたホロの中の荷物が気になって覗いてみた。

そこには、全身大火傷を負って、皮膚がドロドロにただれている負傷者が呻きながら大勢乗っていた。

あまりの惨状に父は一目散に逃げだし、裏山で吐いた。

その夜から数日、鼻血が止まらなくなったと言っていた。

鼻血が被爆者達からの放射線の影響かはわからない。

精神的なショックも影響していたんじゃないだろうか。

 

今朝は強い台風が九州へとゆっくり向かっている。

8月9日は長崎原爆の日である。

関東地方の空も不安定で、強い雨の後に晴れ間がのぞき、また曇ったり…と、グルグル空が動いている。

 

78年前の8月9日、元純心女子短期大学長の山田雅子シスターは、上空で原子爆弾がさく裂した頃、浦上教会近くの藪の中に居た。

爆心地からさほど離れていない場所に居て、酷い火傷の被害にあわなかったのは、藪の木々に守られたからだとおっしゃっていた。

轟音と爆風に身を縮めて、落ち着いたころに藪から出ると一面焼け野原だった。

浦上大聖堂は崩れ落ち、500年の迫害で財産を全て奪われた信者たちが、茶碗の欠片で土地を耕し、再建した浦上のキリシタン部落も姿を消した。

純心会の仲間はそこで殆どが亡くなった。

家族も、その日を境に会えなかった。遺体は見つからなかった。

すべてが一瞬だった。

山田シスターに、私はカトリックの受洗前の数か月間、要理勉強や聖書の勉強をみていただいていた。

代々の潜伏キリシタンの末裔で、シスターのお婆さんは幼いころ禁教令によって親が入れられた牢屋の前で遊んでいたらしい。拷問を受けた親戚も居ただろう。

私が出会った頃、既にシスターは学長の座を引退されいて、那須山の中の3人しかいない修道院で過ごされていた。

私はシスターの元へ月に数回、勉強に通っていた。

小柄で、知的でユーモアいっぱいのお婆さんだった。

教え方の本当に上手い方だった。

シスターの経験はどれも貴重で、私は原爆のあとに何を見てきたのかを一番質問したかった。けれど、その辛い体験をやすやすこちらが切り出せるはずも無く、何も聞けなかった。

一つだけ、原爆投下の日以来二度と会えなくなったご両親を想う時、うんと幼かった頃の思い出が蘇るとおっしゃっていた。

夢中で遊んで家に帰ってくると、お兄さんから「お前、どこに行ってたんだよ?お父さんとお母さんずっと雅子を探してたんだぞ」と叱られた。

お出かけをするご両親が、娘も一緒に連れて行こうとずっと帰りを待っていてくれたそうだ。結局時間もおして、入れ違いで出られた後だった。

「その時、自分を探してくれていた両親を想うと、切なくて切なくてね。わんわん泣いたのよ」とおっしゃった。

もう会えなくなった家族との思い出は沢山あるけれど、決まって思い出すのがこの時の感情で、鮮明によみがえる。

まるで良き羊飼いが、懸命に一匹の子羊を探してくれているかの様で、子羊はその愛情の痕跡を恋しい恋しいと探って、その人の姿は見えない。

それは原爆体験の話では無いが、私が山田シスターから聞けた唯一の原爆にまつわる話しだった。

山田シスターはそれから2年ほど後に、胸の持病が原因で亡くなられた。

私はもう那須から今の住まいに引っ越した後で、シスターには会えなくなっていた。

代母になってくれた女性から、シスターの即報を聞いた。

そういえば、いつもゼイゼイと息をされていた事を思い出した。

「どこかお悪いんですか?」と訊けなかったのは、普段の声もよく通る声で、いつでもニコニコされていて、そこまで身体が悪いとは思っていなかった。

直接の原爆体験を話すという事は、きっとかなりの意志が必要になると思う。

生き残ったほとんどが、原爆症を恐れながらただガムシャラに生きるしか無かったはずだ。

忘れられるなら、忘れて終いたい事だらけだったろう。

そうじゃなくとも、被爆者として差別されながら生きなくてはならなかったなら、ひたすら口はつぐむしかなくなる。

だから、その経験を話せる人と言うのは、改めて本当に貴重だ。

それも年々少なくなってきている。

ウクライナとロシアの戦争で、周りの国々は兵器の実践率をいま見極めているそうだ。

「必要な兵器」と「不必要な兵器」に分類している

あの戦争は世界の先駆けた実践かのようだ

アメリカがトランプ政権の頃、不必要な兵器を高い値段で日本は買わされていたそうだが、バイデンになってからはどうなんだろうか?

 

日本は予算の軍事費を増やし、相変わらず、軍事に疎い国としてそんな買い物をボスにさせられているんだろうか。

「買い物をする」という点で、やはり戦争は資本主義的市場なんだな…と思う。

「実践的で現実的な戦争の話」と言いたいが、この政治の動きはそんなきれいな物事でも無いだろう。

国の為に殺害する兵士を横目に、資本の為に人は戦争もするのだ。 

だいたい、かつて日本がそうやって世界に戦争を仕掛けたのだし。

だから#1 で書いたルネ・ジラールの『高度に差異化された社会において想像だに出来ないような、ミメーシス的な自由参加』ってやつがこんなところにも当てはまると思う。

この自由参加は、どうしようもなく引っ張り合いが起こり、そこから逃れられなくなる。

戦争を何故止められないのか…は、このミメーシスが全体的に一致しているからだ。

否応なしに、参加が求められ、求めている。

ヒューマニズム的な理屈や言い分は通らなくなる。

この通らない状態を「きれい事では済まされない」という言葉に転換されていると、よく思う。

「済まされない」と言いながら、本心の欲望はいつでも隠されている。

動く資本の説明は後回しである。抑止の行為は、行為そのものが力関係の元、全体の欲しい物事は合致している。負けたら得られないだけではなく、奪われる

終戦記念日の度に耳にする、

戦争の様な愚かな行いは、けして繰り返しません という誓いは誰に対してだろう?

ライバルに対して?

負けたから言わされているのか?

未だにそんなところに居るのだろうか

父は戦時中、母は戦後に祖父の仕事の都合で長崎で過ごしている。

私の両親二人とも長崎で生まれてはいないが、不思議と二人して子供の頃に縁がある土地だ。

母が少女時代に過ごしたのは長崎、佐世保。ご存じ、米軍の街でもある。

母は2年ほどしか居なかった佐世保時代が、自分の人生の中で最も穏やかな時期だったらしく、苦労ばかりの25年の結婚生活が破局した後に、佐世保の旧友に連絡を取って交流を復活させていた。

それで、私自身はカトリックの洗礼を受けたので、長崎は日本カトリックの歴史として関りが出来たが、それは精神的な面で、実際の土地にはまだ近づいていない。

いずれ行かないとならないだろうと思いながら、まだ足は向いていない。

2023年8月9日 長崎原爆の日に寄せて

~数字遊び~③に続く

画像は、原爆で亡くなった妻にロザリオの祈りを捧げる永井隆博士

博士も被爆白血病の末に亡くなった。

そして浦上教会にある 被爆のマリア

 



序曲から、まだブログだった頃の「あのコは加工肉が好き」へ

あのコは加工肉が好き 数字遊び ①

 


何で持っていない性器を

あるように 見せるんだろうな

そう見せても、どっかで いいんだよ

男の土俵の中に居るから

その方が 社会に受け入れられやすいんだ 本当は

制度の中なら 言葉に出さなくてもいいし

それが社会なら 理屈もいらない

フェミニズムだって こんなところは 含んでるよ

「とても変わった 手紙 6」より一部

 

 さて、「とても変わった手紙」は葬り去ってあげないとならないので、再び戻ってきたブログはここから始め、解体して行こうと思います。

SNSで先日話題になっていたファンアートがあって

今更なほどに広まったんですけれど、それが↓これ

 映画「バービー」と映画「オッペンハイマー」をコラボさせたこのファンアートに、興味深い記事を CDBさん(正式なユーザー名がよくわからない)という方がnotoに書かれていまして、それには日本人の我々から見た場合、原爆の炎の中ではち切れんばかりのキュートな白人女性と、凛々しくダンディズムを匂わせている男性の姿は不謹慎な悪ふざけに見えるが、これはアメリSNSの正義である…と。

いわゆる「ホワイトフェミニズム」の構造を見事に、鮮やかに描き出したクリティカルなアートはない。 とおっしゃっている。

それは『不謹慎な悪ふざけ』ではなく『アメリSNSの正義』であるという話、『バービー』と『オッペンハイマー』原爆の父の肩に乗るフェミニズム表現の自由について|CDBと七紙草子 (note.com)

原爆は第二次世界大戦の帰結として投下された。

それは第二次世界大戦の敗戦国とは関係ないところでの、冷戦の始まりでもある。

ここで力を付けた国家が今現在も続いている。なるほどやはりこれは政治だ。

軍事力(原爆)に支えられたフェミニズム

なるほどね…なんて文章を読み進めながら、実はこの冒頭に自分で書いていた箇所を思い出していた。けど、それは映画「バービー」の事ではない。

映画「バービー」に関しても、はたしてそれはホワイトフェミニズムに特化した作品なのかも、見ていない私には定かじゃない。

言ってしまえば、このファンアートは両作品の何も触れて無く、ただドッキングさせたミームとして存在しているんじゃないのかと思える。

その文脈がCDBさんのSNS分析には当てハマったんじゃないかと思える。

オッペンハイマーの映画も観ていないので、この作品が原爆投下後のオッペンハイマーの人生をどのくらい描いているのかわからないが、晩年の方が彼とアメリカを描く上では欠かせない部分のはずだ。

アインシュタインが言っていた通り核は科学では無く、政治として扱われた。

という事は、オッペンハイマーのリーダーシップとは関係なくどのみち投下されたと言えなくもない。

この場合の政治とは、「戦争を終わらせる為に」ではなく「戦争が終わる前に」投下されていた とも言えるほどに、核開発は絶妙に政治利用されている。

アメリカじゃなくとも、他の国が使用したかもしれない…時間の問題として

戦争の緊張状態の結果、核兵器開発のスピードを上げてボタンを押したのがアメリカなのだ。冷戦の開幕として。

お陰様で、核所有国はメキメキと数を増やし

今では北朝鮮も開発に余念がないほどに成長した。70年前には想像もしなかった事だ。

原爆は世界大人気兵器である。

彼らにとっても、オッペンハイマーは「原爆の父」だ。

それはこの科学者を科学者として苦しめ続け、あの炎は地獄の火としてオッペンハイマーを焼き続けるだろう。

ファンアートが現したミームは、ザックリそういう事なんだけれど「白人アメリカ人が演じている」というてんで、CDBさんのSNS文脈に代わるのだと思う。

ではバービーじゃなくて、黒人女性は同じポーズを取らないか…というと、取ると思う。

なぜなら、いまや白人社会にだけ原爆が存在しているわけでは無いから。

人種は何が出てきてもおかしくはない。

バービーがキム・ヨジョンに代わっても別に絵に違和感はない。

それだと思想がリベラルではない…と反論があったとしても、

思想の差異よりも「世界観が似ている」という点が肝なのだ。

フェミニズム的な言語にするのは、その他の思想と変わりなく時代性なんだと思う。

暴力の痕跡はずっと古代である。

現実の中では、バービーはオッペンハイマーの肩に乗って居られないだろう

実際のオッペンハイマーは自分をクリシュナ神話に例えている。聖なる裏の生贄行為を自覚していた。

その肩に乗ったバービーの美しい肌は、ケロイド状に焼かれるだろう。

大火傷を逃れられたとしても、被曝症で姿は望み通り激変するだろう…

そこは平等に 放射能も熱波も人種・男女差別はしない。

あのファンアートに関しては、不謹慎以前にそういう風にしか私には言えない。

ここがちょっとCDBさんと見解が違ってくるところかもしれない。

ロマン派特有の囚われたかをしている空気を相手にした場合、(その囚われの中では、バービーもオッペンハイマーも神のごとく超人のごとく、選ばれ被曝しないのだ)いくら「政治」という観点からの歴史観だとしても、既に色々と自由にはなっていない。

政治は核兵器を利用したが、それは人類は化学的に核コントロール出来ていないと証明している。

人間というのは、模倣をする生き物だ

核兵器に、既に個性など無い

似たように依存をしている。

ライバルを否定し合う といった行為もお互い差もなくやるのである。

国境を超えて、そっくりな死体をたくさん作ってくれる。

イマジンがこんな形で…あぁ、すみません…またやってしまった。

冒涜はしていないですよ。

それでも、天国も地獄も無い ではなく、地獄がすぐそこにあるじゃない…と文句を言いたくなる時がある

もう一つ、CDBさんの分析で気になっているのが、SNS上のフェミニズムにまつわる「権力への意志」だ。

男性社会の権力に立ち向かうフェミニズムが、同じ物事を欲望しているとしたら、それはなんであろうか。

権力のモデルとして、往年のスタイルを模倣しているのは、ずっとだ。

別に、これはフェミニズムに限った話でもない

モデルは敵対関係に変化して、憎しみのライバル関係へと変わっている。

つまり、家父長制を憎みながら非常に惹きつけられてもいる。

世界大戦以降の宗教的反発も、似たような二重構造の模倣が行われている。

生贄の儀式はどれもこれも同じである。

女性が自由になるために原爆は必要ないが、

あのファンアートは女性の権利とは関係がない核兵器依存社会に対してのあからさまな答えを出さない。

つまり、答えは回避してその土俵と同化してしまったのだ。

日本は戦争を起こし長引かせアジア諸国を傷つけた国だ。

その責任がある

その責任として、仮に原爆が制裁として下された罰なのだとしても、攻撃されたのは責任者では無かった。 

その選別能力のない爆弾である。爆弾の爆発に意志は無い。

 

その代わりに

この無意識に、生まれて間もない子供までが、命で責任を取らされてたという事だ

何を破壊したかったのか、じつのところ誰もわかっていないんじゃないだろうか

戦時中日本の少年誌表紙をここに貼ってみる

少年の笑顔は何に笑いかけているのか 

ファンアートの架空人物の笑顔と、時間が動いていないかの様に類似している部分がある

バービーはそもそも、子供の為のおもちゃだった

2023.8.6 広島、原爆の日に寄せて

ブログは②に、続きます。

 



 

消えてしまった「あのコは加工肉が好き」の始まり部分を「kozosannokotoの日記」に再度公開 ここが始まり

「あのコは加工肉が好き」序曲


日曜日の朝。夫に吉祥寺の駅まで車で送ってもらう

その日は確か、八王子の父の家に用事があった。

いつもは車で行くけれど、気まぐれに電車で行く事に決めたんだった。

用事は早々に切り上げて、帰りにどこかで一人ゆっくりしようと思っていた。

家を出る頃、リビングのテレビは人気のアニメ番組がついていた。

別に家族の誰もその番組は観ていなかった。ただ、ついていた。

主人公が海賊王になりたがっている冒険ファンタジー漫画。

その主人公の名前を、最近捕まった特殊詐欺グループがネット名で使っていた。

きっと彼らも子供の頃からその漫画を愛読していたんだろう。

つまり、そのくらい有名で人気なアニメ番組。

この時のアニメの場面は、和装の美しい兄(その人も海賊なのかは知らない)が、そっくりな顔の負傷した妹(この人も海賊なのかは知らない)を、救出するところだった。

彼は妹を仲間に任せ、着物の上半身を肌き、誇張が強く少し異様な筋肉美を見せつけながら刀を両手にいざ、敵に立ち向かおうとしていた。

これを「侍魂」と少年少女たちは思い成長していくんだよなぁと考えながら、

けど、着物の色も立ち居振る舞いも歌舞伎の世界なのよね。と、思った。

この漫画に限らず、いまのところジャポニズムな和装のファンタジー漫画の色は歌舞伎だと思う。

舞台の魔術を漫画に持ってきている。

歴史の勉強しているわけじゃ無いんだからいいんだけれど、大和魂に魅かれているより、舞台の魅力(魔力)に魅かれているわたし達なんじゃないかとよく思う。

誇張が異様な肉体は、歌舞伎だと大層な衣装に大変身しているはずだ。

漫画では様式美と人間の肉体変身が一体になっている。

なんだか興味深いなと思った。

場面は切り替わって、主人公が(それは人間なんだけれど)信じられないほどの巨大な大きさの敵と不思議な能力で闘っていた。

ちゃんと読んだことも観た事も無いのでストーリーは知らないのだけれど、この漫画でいつも気になるのが人のサイズ差がめちゃめちゃある、というところ。

最初、巨大な人は妖怪かなんかなのかと思っていたけれど、そういう事でも無さそうだ。

何がどう影響しているのかよくわからないけれど、とにもかくにも手足がゴムみたいに伸びる主人公の少年(青年?)は無鉄砲にもその巨大な超人と超人対決をするのだった。

彼に勝ち目はあるのか! どうなんだ ル〇ィー!…

日本は伏字文化である。

「なんで少年漫画ってみんな超能力者になりたがるの?」

吉祥寺まで運転している人に訊く

「ファンタジーもんだからじゃね?」

「野球でもサッカーでも、すぐ超人化するじゃん」

「あー...ねぇ?」

「なんでも、どんどん超能力で凄くなればいいんじゃん」

「その凄く成り方で読ませんのよ」

「敵が次々と凄く成るってなんなの?」

「次々としょぼくなったら、誰も読まねーだろ」

「でも多くない?超能力化しちゃうの 敵も味方も結局全員が魔法使いよ?」

「しょうがないだろ、素じゃ大人に負けるんだから」

この運転手もきっと、かつて超能力が欲しかった少年

私の質問に運転手の答えは会話として合っていなかったけれど、私は納得した。

私もかつて超能力が欲しかった。

かつて…「かつて」なんだろうか?

そのあたりは、みなさんどうなんでしょう?

本音で行ったら、今だってやっぱり欲しいのだろうか。

巨大な敵をやっつけられる、3DもびっくりなSFファンタジーな自分自身が。

そんな感じで、現代社会のAIって発展しているのだろうか。

だって、道具っぽくないし。超人頭脳って感じだし。

超人の定めを、超人じゃない私は一つだけ知っている。

それは

「勝ち続けなければならない」

これである。マジでマジで。

AIの未知な部分にプログラミングされていたっておかしくないくらいの定めだと思う。

繰り返しておくけれど、私は超人じゃない。

これから、何か新たに書こうと思っているんだけれど、その場所をまだ用意していない。

どこか公表場所は無いかな…と考え考え、「新作を書き始めるよ」ってブログを書くところから始めてみた。

そんなわけで、もう始まっています。

あのコは加工肉が好き①(序曲)

………………あ、この始まりは変態動物ならぬ変態始まりにしたい。

つまり、数日後にはこのブログ自体が変化している可能性があります。

その変化を次の「あのコは加工肉が好き ②」の入り口にしたい。

意味がわからない?

まぁ、今は。そのうち分かるようにします。すみません。

この変態にはこれと言って意味はない。

単純に「場所が無い」ので、移り変わりながら順応させていくしかないのだ。

なぜか、そんな定めになってしまった。

ひとつのところに安住出来ない。なんてことだ。

ずっとここで書けばいいじゃない...って事も出来ない。

なぜなら、「あのコは加工肉が好き」はブログにしたい訳では無いから。

…なぜ、場所が無いのだろうか…

それもこれも、きっと「あのコは加工肉が好き」が超人では無いせいだ。

凄い超能力が使えたら、「あのコは加工肉が好き」は自分の50倍ぐらいの大きさの敵とだって闘って、自分の領土を持てたはずなのに。仲間と共に王国を築けたはずなのに。

しかし、現実はそんな甘美なものではない。

「あのコは加工肉が好き」には、仲間なんていない。始まったばかりだから。

そんな憧れは、泡の様に消えてしまう。

定住なんて淡い期待は捨てるのだ。

日々、あったような…無かったような…で、消えていくのだ。

くよくよしないで「あのコは加工肉が好き」

さぁ、行こう。

なんの為に?

素じゃ、負けちゃうあんたの為によ。

20数年連れ添っている運転手は、「銀行に寄りたい」と言ったらちゃんとその近くにおろしてくれた。

「じゃーね、ゆっくりしといで」

「用事で行くんだよ」

「どうせ、帰りどっか寄るだろ」

「うん」

「帰りの時間はLINEして」

「うん」

「一回コールして。多分、寝てるから」

うん

わかった

ありがとね

吉祥寺はいつも人でいっぱいだ

コロナ初期のころも、吉祥寺は人手が他の街よりも有って

それがニュースになっていたなぁ…と、毎回思う

でも、練馬区の方も人は結構居た。

カメラ(世間の目)が練馬区には来なかったってだけで、

スーパーなんか自宅業務になったパパまでそろって買い物に来るので、

物凄い事になっているとパートをしている友達が言っていた。

海外暮らしの日本人の作家が「これだから日本は危機管理が…そのてん先進国では…」みたいなことをツイートしていて、先進国警察になっていたけど、まぁ、それもご最もなんですけれど、せっかく海外にいるのだし後進国の深刻さから気にかけてあげるべきなんじゃないかと当時は少し思った。全世界大流行なんで。

だって、日本は給付金一回しか出て無いんだから、なんらかんら街に人の流れはありますよ。感染怖かったけど

セックスワーカーには保証金出なかったし(それも「先進国では…」って批判の材料なのだけれど)

社会の流動が無いと生活は枯渇していく

学費が払えなくなった学生とか、一人暮らしの女性の生活苦が深刻で…自殺者も出て…なんてニュースが続けてあって、その前からよく耳はしていた「パパ活」がなんか前よりも聞くなぁ…なんて思っていた。

パパ活って、つまり愛人とは線引いているんでしょうか?

言い方変えてるだけで変わりないのか。

よーするに、言い方は就活のパロディだけど、古代からの職業で…あれ、これ前にも書いたな。

まぁいいや

『だらだら坂』の鼠を知ってますか?

向田邦子の短編小説『だらだら坂』にでてくる鼠は、中小企業の社長。あだ名が鼠

身体が小さく、せかせか動く。

社長になった今もタクシーはワンメーター上がる前に降りてしまう。

そんな小市民的な社長。

その鼠も愛人を持ち、麻布の中古マンションに囲った。

20歳のトミ子。身体が太く大きく、これといって美人でも無い野暮ったい女の子。

肌の色だけが光るように白く、ハダカになると腹が鏡餅みたいだ。

言われた事だけはするけど、それ以外気を回したりしない。

そんな気の利かないトミ子にいつもせかせかしている鼠は気持ちが安らいだ。

ひとつ、鼠がトミ子に命じた事。それは[隣近所と付き合うな」

しかし、ひょんなことで隣近所のスナックの雇われママと、トミ子は交流を持つようになり、彼女からの帳面付けの仕事も得る様になっていた。

ある日、鼠が海外出張中にトミ子は目の整形手術をしていた。

怒る鼠。しかしトミ子は謝らない。

「あの、細い目が、おふくろのあかぎれの様な細い目が好きだったのに」

それからトミ子はだんだんと奇麗になってき、明るくよくしゃべるようになっていく

トミ子の住むマンションまでは坂道になっている。

そこを登って行く前に、いつもタバコを一本吸ってから登って行く

男の花道の様にゆっくりと…

しかし、今トミ子は自分の手から離れていきそうだ

…………あぁ、トミー君は行くんだね

二十歳の若い娘なら、そりゃずっと囲ってもいられないでしょ。

向田邦子は、当時(日本の高度成長期)の男心を描くのが上手いと言われていますけれど

それは、母系国だってことが手に取ってわかったんでしょう。

トミ子は整形して自由を得たのだろうか

鼠の囲いからは出て行こうとしているけれど、

その顔はたぶん、都市に反映されている顔になっているんだろう

それが生きやすいなら

それを手に入れようとするんだろう

ひょっとしたら、都市の囲いの中かもしれないけれど

自作に「将来は整形したい」って中学生の女の子を出したことがある。

主役じゃ無いけれど、彼女の事が、ときより気になる。

自分で書いているけど、それほど書いた人物を書いた本人が知っているわけではない

彼女も、ふらふらと流行の顔の中に出ていくんだろうか

高校は結局進学しただろうか

意思は独自の意思の様で

そうでもないかもしれない

入試を捨ててるなら、通信制の高校って手もあるよ

…なんて、余計な心配を親戚のおばさんみたいにしてしまう。

自分で書いたんだけど。

彼女はなんか魅力のある方へ行こうとする…………って事とも違う

出ていきたがってるっていうのは、

受け入れてもらいたがっている

 

 

…………あ、電車乗り換えなきゃ

 

…………えーと乗り換え口 乗り換え口…………

 

 

 

 

 

あのコは加工肉が好き (間借り)

 

#5

 

 

誰だか知っている人へ

 

「死んだ女の子」(原題 Kiz Cougu)という詩があります。

トルコの詩人、ナーズム・̞̞ヒクメットが56年に発表して、歌にもなった。

#5は、そのオマージュです。

 

 

 

Dear  Favorite Songs

 

 

唄をつくろう

でも一人では無理

あなたの手を借して

だって 私には手が無い

 

唄をつくろう

ずっと創りたかったの

でも一人では無理

だって私には喉が無い

 

だから あなたの喉を借りたい

 

声が出ない

私には唇も無い

焼けてしまった 私のすべてが

 

書き集めた詩を

読み上げる眼が無い

 

ここにあった 私の全てが

あなたに あげるはずだった物事

 

すべて 奪われてしまった 

 

私が守ろうとしなかったとは 思わないでね

出来る限りのことをしようと 走って

 

走って

走って

走って 身を隠せるところを探したの

 

あの恐ろしい場所で

 

神の言葉を使って

誰かが世界に嘘をついている

全ては神を殺す行為

 

私は小さなその人を

抱き締めて走ったの

 

走って

走って

走って 私の足は動かなくなった

 

唄をつくろう

始めのメロディー

たぶんきっと 誰か聴いている

 

誰にも壊せない 唄を

 

唄をつくろう

あなたの声を借して

だって私には

もう声が無い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

「クリニックですからね、設備が無いので内視鏡検査出来ないんですよ。なんでうちで紹介状書いてくれたのかな?」

 

ここで、私たち父娘は病院とクリニックの違いを知る

 

「……あ、ありますね確かに…わかりにくいけど、よく見つけたな。どこか泌尿器科のある病院で、行けるところありますか?紹介状書きます」

と、泌尿器科クリニックの先生は、胃腸科病院が持たせてくれたコーゾーさんのCT画像を見ながら言った。

 

この数週間前に同じように、胃腸科病院の主治医に「行ける泌尿器科はあるか?」と尋ねられて、最寄り駅の場所を伝えた時の「クリニック」に反応は無かったけれど、我々の主治医の判断が不確かじゃない事だけはわかった。

そうか、そんな小さな腫瘍なのか。

先生、忙しかったんだ。二度手間になったけれど…待ち時間入れたら四度手間くらいしている気分だけれど、いいんです。早期に見つけてくれて感謝しますホント。だいたい、前もって確認しないこちらが悪いのだバカバカ。

 

駅前のクリニックのロビーは混雑していた。

12月の始めごろだった。

秋の始めに終えたCT検査結果から、ようやく泌尿器科を訪れたのが12月。

というのも、この前に眼科受診やら脳検査やらをし、11月終わりに奥さんとコーゾーさんはコロナ感染してしまい、すんなりスケジュールが組めなくなっていたのだ。

…で、ようやく行った先が内視鏡検査設備の無いクリニック。

 

クリニックのロビーで、コーゾーさんが「来年の2月に個展を開きたい」と言い出した

 

「……え?どこで?」

「場所代はね、かからないの。市でタダで貸し出しているスペースがあるから。

数枚だしね、水彩画数枚。大したことじゃないよ」

 

何の成果も無かったクリニックの会計待ちで、そんな話を始める。

「ここのすぐ近くだから、終わったら(展示場を)見に行こう」と提案される。

 

もう、日が暮れる

冬の赤い陽の中を、老人とゆっくりゆっくり歩く

歩道橋の遠くに、街の音が聞こえる。

こういう時を覚えておこうと、なんとなく想った。

 

コーゾーさんは、急速に物忘れが激しくなった。コロナの後遺症なんだろうか?そんな症状はあったっけ?

この日も出かける前に、家の中で家の鍵を無くす。(その後、次の夏の始めに見つかった)

病院の日も、時間も、前日に確認しないと忘れている。

出かける時に、いつものポシェットを忘れている。マスクも忘れる。

 

母が亡くなる1年前ぐらいに、急速に物忘れが酷くなっていたのを思い出す。

実家に行くと、家の中はメモが書いてある付箋があちこちに貼られていた。

カレンダーに書ききれないのか、その周りは付箋だらけだった。

玄関には「鍵閉め」と貼ってあった。

パソコンにも付箋がいっぱい貼ってあった。

どのファイルに何が入っているのか覚えられないらしい。その隣には、ファイルの開け方のメモがあった。

プリンターにも「ここが電源」と貼ってあった。

それでも60代から独学で始めたパソコンなので、母がそれからずっと実用しているのが偉いなと娘は思った。

化粧品、一つ一つに「ファンデーション」とか「日焼け止め」とか「アイシャドー」とか貼ってあった。

これは、表示がよく見えないらしい。

「火の元栓」が、一番大きな字だった。

昔から火の不始末を怖がっていた人で、ほぼ強迫観念のように火の元を出先からも気にしていた。

「前世に火事で死んでいるんじゃないかと思うの」と母は言っていた。

が、現世ではお風呂のお湯の中で死んだ。火の元は大丈夫だった。

 

今回コーゾーさんに腫瘍が見つかって、胃は大分進行した癌だったし、この先次々と転移していても仕方が無いという気分でいた。

コーゾーさんもひょっとしたら、そんな気持ちでいたのかもしれない。

「個展もこれが最後だと思う」と言った。

83歳だから、そりゃ最後になるのかな。

 

コーゾーさんが案内した会場は、市の集合施設ビルの上にあった。

会場というか、大きなガラス窓の在る通路の展示スペースだ。

展示スペースは、壁にショーウィンドー型に設置されていて、それが6つ並んでいる。

作品を照らす照明もついている。

階には市民が借りられる体育室や会議室があって、展示物を眺められるように、休憩のソファーとテーブルが窓際にあった。

施設利用者は割と多く、通路はそのたびに人通りがある。

陽当たりもよく奇麗で明るいのも良い。そして確かに搬入が楽そうだ。

 

けしてギャラリーでは無いけれど、お金の無いコーゾーさんには十分だ。

八王子は東京都だからか、私の住む街より公共施設が充実しているなと思った。

毎年都心に積雪予報が出ると、朝早くからテレビで中継されているところだというぐらいの認識しか、八王子には無かったけれど。

 

ちなみに新たな泌尿器科の予約は、奥さんが最初に運ばれた総合病院にした。

電車で行くと面倒だったが、車で行けば大した距離は無い。

電話すると、泌尿器科の担当医は週2回来る。そのうちの1回は午後から手術になってしまう。予約は込み合っていて、一番早い日にちで診察が年明けの6日になった。

 

間が空いてしまうけれど仕方が無い。

老人なので腫瘍はすぐに大きくなる心配は無さそうだし、待つしかない。

コーゾーさんは、おしっこの時なんの違和感もないらしく、今回も他人事の様な顔をしている。

 

その年の12月はとても寒かった。

北陸、日本海側は大寒波で10人以上の死者が出た。

コーゾーさんは左半身が温まりにくいので、寒さが苦手だ。

抗がん剤の副作用と、コロナ後の不調でますます具合は悪そうだった。

それでも「絵は描いている」と言っていた。

 

晦日が近づく29日。

その日は仕事も休みだったので、朝から風呂場を大掃除してダウンジャケットを近所のコインランドリーで洗っていた。

乾燥機が回る音を聞きながらウトウトしていると、携帯電話が鳴った。

出ると、ケアマネージャーのKさんだった。

 

なんでも、コーゾーさんはクリスマスの日に転倒して肋骨と右手首を打ったらしく、その日から上半身が腫れて、利き腕の右側も動かせないらしい。

「え…右も?」

「はい、私も昨日初めて知って。それで、年末なので病院もやっているかどうか…うち(介護サービス)でやっているクリニックも、年末ちょっと難しそうで…。年明けも4日からなんですよ」

 

やばいじゃない、なんで電話しないのよ

……利き手動かせないから連絡できなかったのか?電話出れるかな?

とにかくコーゾーさんの携帯に電話する。

……と、数コールで出た。

 

「はぁい」 いつもの間延びした様な声

「あ、あたし。肋骨打ったんだって?大丈夫?」

「うん…痛いんだけどね、あっためてたら大分良くなったよ」

「……え?あっためてたら?……打ち身じゃないの?」

「うん…そうなんだけどね、血行が悪くなってたみたい」

「…………?え?……?腫れてないの?」

「今日は大分腫れも引いてね…」

 

打ち身をあたためて、腫れが引くもんなのか?

 

「右手もね今日は動かせるし…(右を)下にして寝てたから痺れてたのかな?」

「え?…でも腫れてたんだよね?」

「うん」

「息して、肋骨が痛かったりしない?」

「うん、大丈夫」

 

……そうなの?大丈夫なの?

 

本来なら念のため、病院を探してレントゲン撮って…ぐらいするものなのかもしれない。

けど、慌ただしい年末の救急病院探しは、急を要する気配のないコーゾーさんと話しているうちに、めんどうになってきた。

 

「あのね近くの病院でも、年明けは4日からになっちゃうんだけど…」

「うん、大丈夫じゃない」

「……電話出来る?」

「出来るよぉ、そのくらい」

「……買い物とか、行けないでしょ?ヘルパーさんも休み入っちゃってるし」

「コロナの時に東京都が届けてくれたのが、食べきれないで沢山あるんだよ。沢山あって、困るぐらい」

「欲しい物は無いの?」

「(奥さんに何かないか訊きながら)……うん、無いって。食べ物は余ってるんだよ」

 

ふぁふぁふぁ~と、歯の無い口の声で笑っている

 

「じゃあ、何かあったら電話してね。とりあえず、明日またあたしから電話するから」

 

うん、うん、じゃあね。と、コーゾーさんは電話を切った。

 

結局そのまま腫れは引いたらしく、年内はコーゾーさんの家へは行かなかった。

年明け、2日に顔を出した。

お年始のお菓子と、前日に夫の実家から沢山もらった野菜をおすそ分けに持って行った。

コーゾーさんと奥さんは、正月もいつも通りだった。

ほんの少し、筑前煮やなます雑煮の正月料理を二人で作った。と奥さんは言っていた。

二人そろって「コロナから、あんまり食べれない」と言っていた。

 

「痛みはどう?どこで転んだの?」と尋ねると、コーゾーさんは「めまいで倒れたんだけど、抗がん剤の副作用だよ」とか、「寒いからね、布団から出て温度差で…」とか、倒れた理由が次々変わった。

これは、言った事を忘れているんじゃなくて、全ては自分の憶測でしか無いので、思いついたことを次々言っているだけだ。

思えばコーゾーさんは昔から、自己診断で医者には行きたがらない人だった。

コーゾーさんの足の親指の爪は、昔のケガが元で変形している。

その時も、自己診断で医者に行かず自然治療した。

おかげで、今は足の爪を切るのに苦労する。入院中も、指まで切りそうで怖いと、看護師さんは切ってくれなかったそうだ。

 

「それで、あっためてたら治ったの?」

「そうなんだよ。ほら、右手も今はもどったけど、ぶっくり腫れてたんだから」

と、うれしそうに言った。

奥さんも、ホントにすごく腫れてたんですよ。と、困った様な心配顔で言った。

 

体調はイマイチの様子だけれど、コーゾーさんはうれしそうにしていた。

 

思えば、コーゾーさんと正月に会うのは、

コーゾーさんが家を出て以来だった。

 

 

あのコは加工肉が好き (間借り)

 

 

#4

 

誰だか知ってる人へ

 

 

 

 

 

 

雄山羊は彼らのすべての罪責を背負って無人の地へ行く

雄山羊は荒れ野に追いやられる

 

レビ記 16-22)

 

 

その夜はお寿司だった

近くの回転ずし屋にケータイでお父さんが注文していた

「特上にするぞ」と、お父さんは言って、

でもあたしは生魚が無理だから、なっとう巻きと、たまごと、アナゴを別で頼んでもらった。

 

家族の誰もが大して食欲は無かったけど、特上を三人前とあたしのお寿司をお父さんは頼んだ

犬が死んで骨になったそれまで、

一昨日の晩からほとんど家族全員眠っていなかったので

「お疲れ会」の様に、あたし達は晩ごはんの用意をした

 

うちの犬は三日前の晩に急に具合が悪くなって

お父さんとお母さんは夜中に救急のどうぶつ病院に犬を連れて行って

その晩は入院させた

 

翌朝、具合は更に悪化して延命治療しか残されていない状態だと病院から連絡が来た

 

「入院先でひとりぽっちで死んじゃうのはかわいそう」

と言って、お母さんは犬を連れて帰る決心をして

お父さんもそれに同意して、会社に行った。

 

連れ帰った日に、犬は死んだ 金曜日の夕方

あたし達は間に合わず、お母さんが看送った

 

帰ってからあたしたちは わんわん泣いた 

お父さんがあんなに泣くのは初めて見た

お兄ちゃんは部活の合宿で、その日は居なかった

 

8月の特に暑い日で、

小さな遺体が腐らないように、冷房を強めにして

アイスノンや保冷剤で犬を包んだ

 

リビングの真ん中に犬の遺体を置いて、

お墓参りで使うお線香をたいた

 

眠れないで疲れていたので、

みんなで犬を囲んでフローリングの上でゴロゴロして

お兄ちゃんが帰って来るのを待った

犬を焼くのはその後にした

 

ちょうど土曜日だったから お父さんも家に居れた

「きっと犬は日を選んでくれたんだよ」と、お母さんが言った

 

横になりながら犬の顔を見ていると、また涙が出た

眠っている時と変わらなく、かわいく見えたから

 

一人が泣くと、みんなつられて泣いてしまう

 

昼12時過ぎにお兄ちゃんが帰って来た

 

お兄ちゃんは、リビングに入って静かだった

お父さんが「あげてやって」と、お兄ちゃんにお線香を渡した

 

お兄ちゃんはちょっと躊躇いながら、お線香をもってライターで火をつけた

 

「息吹いて消しちゃだめだよ。手で仰いで消して」

と、お父さんが言って、お兄ちゃんはぎこちなく手を仰いだ。

お母さんが「うちのこ、お線香のあげかた知らなかったのね」と言った 

あたしも知らなかったから

 

お兄ちゃんとお父さんは、小学校の頃ぶりに、普通に話した

 

だから、この数分が本当は家族全員ぎこちなかった

 

お兄ちゃんは、やさしくて固い顔で、家族に見られながら

だから緊張して

冷たくなった犬の小さな頭をそっと撫でていた

 

 

動物の火葬車は、午後三時に予約が取れた

家の前で近所の子達が遊んでいたので、離れた場所に借りてる駐車場を使って

火葬をして、骨もそこでみんなでひろった。

 

 

晩ごはんのお寿司は、ひとつのテーブルをみんなで囲んで食べた

いつもは、ダイニングテーブルとローテーブルに分かれて食べてたけど

 

犬の骨壺はテーブルの上座に置いた

誕生会みたいだな と思った

 

居なくなった犬の話をいっぱいした

それでみんな、くたくただった

 

 

 

「肝臓も肥大しいて、すい臓にも…このボコボコと丸く見えるの分かりますか?おそらく腫瘍です

それで、心臓が…この真ん中の影になっているところ…これが異常に大きくなっている。原因は心臓の周りの膜に水…まぁ、血なのですが、水が溜まってしまっています。

それが今、心臓を圧迫していてうまく動いていません。まず、緊急に水を抜く手術をしたいのですが…」

 

数カ月前の血液検査とは比にならない悪い数字が並んでいた

どういう事なんだろう?

肝臓の数値が前回より悪いので冬にもう一度検査した方がいいかもしれない。とは、かかりつけのお医者さんは言っていたけれど、それ以外は異常無い診断だった。

 

毎年、検査結果は良かった

 

老犬といっても、こんなに急にすべてが悪化する訳が無い

 

内臓全て、こんなに悪いなんて

今の状態からしたら、きっと普段から具合悪かったはずなんだけれど

犬はその朝は早朝に私を起こして、いつもの調子でご飯食べていた

 

救急病院の獣医師が「心臓にも腫瘍があります。溜まっている血は、おそらく腫瘍からの出血の可能性があります。全身を回る場所なので痙攣起こしたのも、脳へ腫瘍が転移している可能性も…」

 

どんどん気が遠くなる。ショックで貧血を起こしている。でもどうにか聴いているフリをした。

 

「明日にかかりつけのお医者さんに連絡をとられるまで、入院するかご夫婦で話合ってください」

 

待合室に返され、ソファに倒れた

 

「大丈夫か?」

「かわいそう 気づいてあげれなかった 馬鹿だった」

 

涙がにじむが、そんなのも自分に対する憐憫の様で、情けない

最期に苦しませた

 

「…いや、もう年寄りだからな」

 

と、夫は言った後に、入院させよ と言った

 

次の患者に取り掛かって、もう深夜の獣医は忙しそうに狭い院内を動き回る。

建物の外観からして元コンビニをリフォームした病院で、待合室のすぐ横にパソコンのデスクがある

人の病院ではありえないような構造だけれど、同じな訳はない

対応は人の病院以上に丁寧だ なぜそう感じるんだろう

 

「…あのコ、ブドウ飲んじゃったんだって」

「なんで知ってるの?」

「さっき、電話対応してるのが聞こえた 隣の区から来てるよ」

 

待合室からも良く見える診察台で、ムク犬が大人しく注射を打たれている

その後、吐かせるようだ

犬に食べさせてはいけない人間の食べ物を、うちは大して意識しないでいた

獣医には内臓の状態で、すぐに判断出来たろう

 

「いろんなモノ食べさせちゃったね、うちは」

「十分長生きで、好きなもん食べたんだよ 人間だって…そうだろ」

 

駄目だ、都合よく考えられない

 

担当獣医が次の診察が一段落した時に、また呼ばれた

入院の手続きをお願いした

 

「詳しい原因は、わからない状態です。持病だと思って下さい」

と、獣医は気遣ってくれた

 

 

 

深夜2時過ぎ

雨が降り始めた

 

 

 

 

 

犬は気が付いたら居た

俺と誕生日が数カ月しか離れていない

だから、犬は本当に家族みたいな感じだけど

あいつは俺の事を好きだったか知らない

 

父さんは24歳で俺の父さんになった

大学出て2年後って思うと、早いよね

でも、父さんは高卒で直ぐ就職したから

社会人5年目 …それも早いけど

 

俺には無理 絶対いやだ

でも、父さんは24で俺の父親になって

俺は父さんに懐かない赤ん坊だった

 

生まれながら相性が悪いんだよ

血のつながりとか、関係なく

 

母さんは「そうじゃなくてね」と言っている

「あんた、初めての子だったから爺ちゃん婆ちゃん含めて、あんたの取り合いになっちゃったの

赤ん坊は大人のそんな事情は関係ないけど でも、なんとなく不安になっちゃったのかもね それであんたは赤ん坊の頃、お母さんが居ないとダメになっちゃったの」

 

神経質で扱いにくい子供だったって事か

 

4,5歳の頃、父さんと二人で留守番が心細かった記憶はある

ギャン泣きして 怒られたような

別に虐待されたわけじゃ無いけど 

この人の前で泣いたら怒られるんだと思った

 

妹が生まれて、やっぱ俺は男だからって

なんか距離取られてたと思う 実際

爺ちゃんは逆に 長男だからって、俺を特別に持ち上げる

 

父さんは爺ちゃんに俺を譲りながらイライラしている

父さん自身は次男で 

長男の忠雄おじさんと差を付けられて育った

 

俺は凄く父さんの様子を伺っていた

 

なんか思い出したんだ

 

爺ちゃんと父さんでは、対応が真反対で

「男だから」って動機はおんなじ

 

子と孫は違うとは言うものの 小学生の頃は混乱した

どっちに行っても家から捨てられる気分になった

 

犬はウチに居て、そんな事は感じたりしたことは無かったのか?

犬なんだからさ …犬だからか

そんな危機意識無く16年以上過ごせてた感じ

 

中学の頃、仲世が帰りながら自分の家の犬の話した

寂しいと、側に来てくれる とか言ってた

ほんとかよ?とか思ったけど、女子にそういうと機嫌悪くなると思って

ふうん とだけ返事した

仲世のこと好きだったか実はわかんないけど

なんか一緒に帰ってた時期があった

 

犬ってそんなところない?って仲世に訊かれ、返事があいまいだった記憶がある

「…家で俺、ボーっとしてるから」

「ふーん………うちの犬は居てくれる」

 

…なんでそーゆー話になったんだっけな?

仲世の言い方で、あれ?がっかりさせたか?って思った

でも、うちの犬は父さんの座る座椅子に寝っ転がってるもんだったから

しんみり犬は浮かばなかった

 

俺は父さんの座椅子に座ろうなんて思ったことは無いから

犬のやることは、そんなもんだと思ってた

仲世ががっかりしても、俺はそんな気にしてなかったかも

 

だから、仲世はあの日帰ってから、

犬に側に居てもらってたかも

 

合宿終わって、学校で解散してから

そんなことを考えながら 家に帰ってた

変な事思い出してた

 

家の玄関に入ったら、部屋が線香臭かった

犬はいつも寝てた犬クッションの上に寝かされていて

犬のお気に入りのブランケットがかけられていた

 

父さんはその隣の父さんの座椅子に座って

「おかえり」と、俺に言った

 

その人は、とても寂しそうだった

 

 

 

 

 

嫁からLINEが届いた

間に合わなかった

 

おじさんが電車の中でボロ泣き

 

間に合わなかった

 

行っちゃったか……

 

満員電車の中、無理やりドア側に移動した

…昨日からの雨が降っている

 

窓の外に広がる真っ暗な街で

窓ガラスに反射している

自分の顔が見える

 

 

 

帰らなきゃ…

 

…帰んなきゃな…

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

去年の夏、コーゾーさんの入退院には何でか台風がついてきた

抗がん剤治療を始めるため、8月9日に入院して14日に退院のはずだったけれど、薬の副作用の関係で退院が延期になった。

コーゾーさんが副作用の下痢でうんうん唸っているあいだ、病院の外の世界では台風が通り過ぎて行った。

一人残る奥さんが心配だったけれど、ヘルパーさんがちょくちょく顔を出すので、それでなんとかなった。良かった。数カ月前に倒れたとは思えないほど回復していてくれている。

 

それで私は、退院予定だった14日は汚れた洗濯物を受け取りに八王子へ向かった。

台風は前日に過ぎて、その日は晴れていた。

洗濯物はずっしり重くなっていて、全部ぬれていた。

渡されるとき、看護師さんに特に何も言われなかったけれど、漏らしたらしい。

漏らしては着替え、漏らしては着替えをしてた。紙パンツ持たせてあげたら良かったな

 

半身不随の身体で、衰弱して下痢したらそりゃ間に合わないだろう。下着は軽く水洗いだけしてくれていた。

荷物を受け取ってから携帯にコーゾーさんから電話が入る。

洗濯物が漏らして汚れている事を非常にすまなそうにしている。

「いいよ、いいよ気にしないで。抗がん剤大変だったね。大丈夫?」

「うん、今はね。大丈夫なんだけど」

「薬、結局は始めることになりそう?副作用が酷かったら辞めておくって先生言ってたじゃない」

「うん、なんかね…便秘だったから下剤も一緒に飲んでたし…抗がん剤は飲んでいくみたいよ」

 

…え?そうなの? 下剤一緒って…じゃあ副作用とも言えないのでは…?

 

いまいちピンと来ないが、本人が承諾したのでその二日後の退院から抗がん剤の指導が始まった。

二週間飲んで一週間の間を開ける。が、投薬のペースになる。

そのための手帳も渡される。毎日の体温、食欲や排便の様子も記入する欄がある。

きっと、そんな几帳面に毎日書けないだろうな性格的に…といった予測は結局当たる。

 

そもそも、毎日の薬もちゃんと飲んだりしない

一回に6錠ほどの薬を一日三回、それプラス抗がん剤の管理が入る。

そんなの、コーゾーさんが出来るだろうか?…といった判断を最初のうちから私がしたら良かったのだが、いつもの「子ども扱いするな ずっとやってきているんだから」を、そのまま鵜呑みにした。

コーゾーさんの「ちゃんとやってる」は、昔からだいたい嘘なのだ。

 

鵜呑みにしたのも、信じたんじゃなくて私自身がなるべく関わりたくない気持ちが強くなっていたのだと思う。

この時期、なんだかやたらナーバスだった。たぶん、老夫婦が退院したての頃に露骨に出した私の母親に対する印象に、根に持っていたんだろうが、あれだけ注意した食生活は元に戻ってしまっていたのも関係している。

料理担当のヘルパーさんを味が口に合わないから外してくれと、ケアマネージャーのKさんに伝え、料理は二人ですることになった。

Kさんから連絡があり、やはり食生活管理は二人で大丈夫だろうか?と言われる。

大丈夫な訳がないが、コーゾーさんは言ったら聞かない。血糖値はやはり悪くなる

 

胃が亡くなって数カ月しか経っていないので、コーゾーさんも体調はなかなか戻らない。毎日行っていた散歩も行けず、寝込むことが多くなる。

抗がん剤の影響か、血糖値が芳しくない影響か、胃が無くなった影響かわからないが、いつも体調がすぐれない様子だ

…たぶん、全部が影響している。

一つ良かった事は、噛めないと消化が難しいため、Kさんが毎週の訪問歯科の調節をしてくれた事。思った以上に早く入れ歯が出来上がった。

 

何故か同時期、担当医の機嫌も悪い。なにがあったのか知らないが、診察の時イライラ対応されることが多々あった。

ざっくり感じたのは「彼女は忙しそうだ」ぐらい。

そんな状態で真面目な担当医に、いい加減な老人の自己管理(話は要領を得ず、たいてい長い)。もちろん手帳記入は怠っていて、しかも手帳そのものを忘れてくる。相性最悪。

 

総じてみんなで機嫌悪い

 

「(血糖値)どんどん悪くなりますね。ちょっと、こちらだけの判断で薬出す訳にいかないんで、この病院の糖尿科、このあと予約とって、受診してください。」と、早口に言われる。病院通いの日程が増える。

 

夏が過ぎ、秋に差し掛かっていた

下半身のCT検査を終え、膀胱に白い影が見つかる

「とても小さいので、すぐにどうと言う訳は無いと思いますが、泌尿器科に一度受診お願いします」

 

泌尿器科か…。

その前に、糖尿科で言われた眼科の受診をしないと。あと、脳外科も随分行っていないので、検査しないとならない。

 

コーゾーさんの最寄りの駅の眼科を予約して、その日は駅前で待ち合わせした。

イートインがあるパン屋で、お茶飲んで待っていてとコーゾーさんに言われる。

 

時間より少し早めについて、そこでお昼にしようと思っていた。

早めと思っていたけれど、コーゾーさんも直ぐにやって来た。

コーゾーさんは時間を勘違いしていた。

奥さんとも一緒に来ていて、受診の30分後に待ち合わせて買い物して帰る、とのことだった。

 

「…え、この病院午後は診察2時からだし、予約受付無いから待たされるよ?」

「あら…どうしよう。まぁ、いいや、待ってる場所わかってるし」

 

わかってるって、待つ方は何時間待つと思っているのよ

遅くなると電話させるが、何故かなかなか繋がらない。待ち合わせ場所に行ってみるが、そこには居なかった。

2時近くに、着信に奥さんが気づいた様で電話をくれた。

「…あぁ、あのね今まだ診察してなくてね…うん…すごい混んでて待たされてるから、あと…1時間かかるかも…」

 

…まだ受付もしてないっつの…時間間違えたとは言えないのね…

 

結局そこから1時間半後に診察は終わる。

昔やっていた白内障の手術はちゃんと定着していて特別な問題は無く、糖尿病の影響も出ていなかった。

ここ最近で初めて「特に問題ない」という診断だった。

コーゾーさんは精神的に少し元気になった感じだった。

 

駅ビルを出ると、あたりは夕暮れに包まれていた。

奥さんが待つイトーヨーカドーの飲食コーナー、ポッポに向かう。

二人はそこを「大判焼き屋」と呼んでいた。

奥さんは買い物カートに既に買い物を終えていて、私たちを待っていてくれた。

 

「お待たせしちゃって、診察は特に問題なかったですよ」と告げる。

内臓とは関係ないけど、奥さんも嬉しそうだった

 

特に問題は無い すばらしい。

 

これから、二人は帰ってから夕飯の支度をするんだな

 

 

「おつかれさま、またね」とコーゾーさんに言って、私も帰った。

そのころは、犬が家で留守番していた。