kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

あのコは加工肉が好き (間借り)

  
#3


誰だか知っている人へ



気温が40℃に上がる昼間に
寒いって言っている
友達のアパートに向かった

友達は 夏風邪を引いていた
今流行りの疫病かと思ったけれど、
違う様だった

僕は今、ソイツの枕元でこれを書いている
スポーツドリンクとアイスノンをお土産に持ってきて

iPadでは、ボクシング中継が流れている 
友達はそれを薄いマットレスで横になりながら眺めている

彼の熱は38.8
虚な眼の先は白熱する試合

ギラギラの陽が当たっている、ベランダの室外機は
音がすごいよ
ほんと、そのまま爆発しそう
その下に滴る冷却の水滴

水滴は水溜りになって、中で幽霊がずっと喋っている
全然黙らない ずっと喋っている
ずっと逃げて生きている(?)って幽霊は言っている

「なんで?」
「だって、殴られるから」

ネットで配信されているライト級の試合
南米とアジアの選手で それが誰だかは知らない
世界戦のどこに位置するのかわからないタイトルマッチが

うんと広い砂漠の真ん中での
目撃者の居ない戦闘の様に
それは ある日のニュースの様に
この部屋に繋がっている


僕も友達の熱が伝染ったんだろうか

ゴロンと、仰向けになる



ねぇ、君はさ
なんでまだ「優しさ」とか「いい人」の事なんか
問題にしているの?
そんなん、どうでもいい事だろ?

君自身が今も将来も、それらで判断されていると
信じてんの?

信じているなら
今すぐ変えろってのも難しいだろうけど
それでもさ
誰も優しくも、いい奴でも無い中で
それを誰が決めるの?

その人間性を決断してるのって、誰?


俺らに重要なのは、
リンチをするか しないか だ


リンチって暴力はいつでも有効
その時のネーミングは変わっていたとしても

何故なら、緊張状態に意見は全員一致しているし
誰も責めないだろ
ターゲットが多数になる事はない


本当だよ
人の優しさを問う前に
もっと、人間味のある話をするとしたらね




そうして 君は

君は しない方 へ行くんだね?

それで、いいのさ。

君はそれを選べばいい

それで 良いんだ

ここに「優しさ」や「いい奴」を混ぜるのが

今流だとしても どうでもいいんだよ

話を長くする必要なんか ないだろ

君の敵にも リンチはするなよ

そう、簡単じゃないんだよ



君の決断の悩みは

しない方を選んだ時に 単純に

生きるのが難しくなる事が

あるからだろう

誰かの復讐を

君も受け継いだ子孫だ

僕だってさ


そうして いつの間にか
自分たちが リンチの餌食になりもするかも



そもそも

「リンチをする」って
口に出して言う奴が少ないけどね

言う人は 普通じゃないね

分裂した誰かが
わざわざ、言い出すかも

その狂人と、普通な僕らの暴力の疫病がそっくりなんで
大抵、僕ら気まずい思いをしている


あぁ、これはパラドックスじゃないよ
僕は、そんな話はしていない



人間味のある話は、こんな事

倫理じゃ間に合わないだろうけど
狂気のまま 放棄も出来ないでいる事だ


ゴングが鳴った
ラウンドは、あと幾つ残っているんだろう?

名誉の復讐に誰かが襲われる
あれ悪魔?ちがうよ…
どこかのホームレスだ

僕らは 大勢だ

あのコが死んだら平和が訪れると?

…まさか…


白熱のリングを見つめる
熱よ 間に合え

間に合え

間に合え

間に合え




夕暮れが 窓の外に広がる
炎天下では 光化学スモッグ警報が出ていたけれど
人影の消えていた住宅街に
夕方は違う 息遣いが動き始める

自然保護活動家の あのコ
警察に捕まったって

友達は規則正しい寝息を立てて
眠っている
熱は少し下がったみたいだ
ボクシング中継は終わっていて
試合は、どちらが勝ったかを見過ごした

ボクシングのリングを照したライトが
誰かの夢なのかチャンスなのか
それは定かじゃないけれど
この部屋とは地続きになっている

部屋の蛍光灯は まだ灯け無い

ここには、ソイツの屈託や失敗や
凶暴や怯えが 所々に落ちていたり、収納されていて

枕の中には、いなくなった女の子の影がある

ブルースを教える父親は、この街でまだ出会っていない

家から離れて やって来た場所さ

照明が灯され、全てが目に入っても
僕はまだ、それらについては話さない

試合の残響で

僕は友達の体温を測る

脈打っている 温度を測る



友達は眠っている

僕は今晩は、ここに泊まるつもり

病人には
「側に居てやる」
ぐらいしか、やり方を僕は知らない


蛇口から、水道水をコップに注いで
ぬるい 水を喉に流し込む

ベランダの 溜まった冷却水は
ただの 黒い影になって

ツヤツヤと 室外機の音で揺れている


君の夏を、そのうち話して

そのうち

君の話を聞かせて



ではでは








………………………………………………





退院から一ヶ月ほど過ぎたころ、コーゾーさんの家に新たなCDラジカセがあった。
イトーヨーカドーで、数千円で売っていたらしい

ヨーカドーは便利だ。

コーゾーさんは、リビングキッチンのテーブルの上にある、それの前に座っていて
部屋に入ってきた私が「あ、買ったんだ」と言ったらスイッチをオンにした。

バッハか何かが流れたと思った。

「いいじゃない」みたいな事を私は言った。
CDラジカセに、すごいね!とはちょっと言えない。

部屋の片付けをしていた時に、動かないCDラジカセが3台ぐらいあって
廃棄を確認したら「捨てないで」と言われていたのを子供達は捨てたので
「お父さんは、もう一度買ったぞ」という顔をコーゾーさんはしていた。

「良かったじゃない」

もう一度、音楽のある生活になったなんて。


その後も、
「お客さん用の籐の椅子」とか「灯が裸電球だった部屋の新たな照明」とか「至る所に吊るしていた服をしまう棚」
とか、おそらく贅沢品とは言えない新たな物が少しずつ増えていっている。全部、イトーヨーカドーで買った

ヨーカドーは便利だ。 配達もしてもらえるし

けれど生活保護が降りた際、その補助としての新たな電化製品だったエアコンは、
猛暑の日でも、二人はまだ使っていなかった。
義理兄弟が尋ねた際にそのことが発覚し
「せっかく付けたんだから使ってー」と、さりげなく冷房にしてきたらしいが、
半身不髄のコーゾーさんと奥さんの体感温度差も客観的にわからず、
生活習慣に無かったクーラーを老夫婦にどう使わせるか、子供同士のLINEで話し合った結果
電子湿度・温度計を、これもやはりさりげなく置いてくる…と言うことに決まった。

なぜ、こんなに「さりげなく」「さりげなく」言っているのかというと、
この頃のコーゾーさん老夫婦は、何かと援助を拒否していたからだ。

今まで滅多に人の訪ねてこなかった二人の生活は、一般的には普通のことでも二人にとっては介護と捉えていて、
それで「あんまり介護されて逆にボケちゃうと困る」が、夫婦の主張だった。
…いや、夫婦というよりもコーゾーさんの主張の方が強い様に思える…

退院から少しして、奥さんが「出来そうな気がするの」と言い出した。
何が出来るかというと「入浴を一人で」出来る気がする と言う事だった。

「だから、やっぱりデイサービスは行かなくてもいいと思うの」

あらら、奥さんに関しては、コーゾーさんと同じように私が説得するわけにもいかず、義理兄弟にお任せした。
義理兄弟は、介護士さんと何度か奥さんの動きの範囲をチェックして
最終的に、奥さんの主張は受け入れられた。
デイサービスは入浴では無く、週に数回午後からのリハビリトレーニングとして通うことになった。

ずっと家の中に篭っていた老夫婦が、病院、訪問医療の日、ヘルパーさんの日、薬局の日、栄養士、デイサービス と
スケジュールが埋まっていく。

コーゾーさんは「病院も一人で行けるよ」と言うが、
手術で食事量も落ちている老人が、人混みにやたら出かけてコロナ感染するのも危険なので
常に私が車で送迎することにした。

ケアマネージャーのkさんは、娘さんが八王子まで通うのは大変だからコーゾーさんも訪問医療しませんか?と言ってくださったのだけれど、
術後1年くらい様子を見ていたい主治医の方針で断念した。


コーゾーさんの術後の経過はまずまず良好

主治医から「特に問題はない様なので、抗がん剤治療に切り替えたい」と、7月の終わりに告げられた。
高齢なので、無理に抗がん剤は使わなくてもいいんじゃないかと思っていたけれど、主治医としては一番弱い量でも、一応抗がん剤を使った方が安全だという判断だ。

今の元気さ加減で負担なさそうに見えるのだけれど、
無理に強い薬で副作用に悩まなくても良さそうに思えるのだけれど
コーゾーさんも「抗がん剤は嫌だなぁ」と言っていたけれど
…本人の返事を待たないで私が「抗がん剤はいらない」と言う訳にはいかない

コーゾーさんは「うーん…そうですねー…」と言いながら
割と即答で「じゃあ、やってみます」と答えていた

あ、言っちゃった……
……まぁ、本人が良いと言うのなら…
……てか、この人言われたらすぐ「出来る」って言っちゃう人だった…

ちゃんと飲んでよね…
薬サボる常習犯なんだから



「それで、ですね…この病院の決まりなんですけれど、抗がん剤を開始する前に副作用がどのくらい現れるのかチェックするため、1週間入院していただかないと、処方ができないんですよね」



…え?また入院?



コーゾーさんは、退院一ヶ月も経たないうちに、再び入院する羽目になった。

軽くショックを受けているコーゾーさんを横目に、
私は奥さんは数日間 一人で大丈夫だろうか…と、そちらが心配になっていた。



一人で入浴も、大丈夫だろうか
夜も一人で

介護は最小限をモットーの老夫婦の生活は、
二人で支え合って、成り立たせている生活だ