kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

あのコは加工肉が好き (間借り)

  
#3


誰だか知っている人へ



気温が40℃に上がる昼間に
寒いって言っている
友達のアパートに向かった

友達は 夏風邪を引いていた
今流行りの疫病かと思ったけれど、
違う様だった

僕は今、ソイツの枕元でこれを書いている
スポーツドリンクとアイスノンをお土産に持ってきて

iPadでは、ボクシング中継が流れている 
友達はそれを薄いマットレスで横になりながら眺めている

彼の熱は38.8
虚な眼の先は白熱する試合

ギラギラの陽が当たっている、ベランダの室外機は
音がすごいよ
ほんと、そのまま爆発しそう
その下に滴る冷却の水滴

水滴は水溜りになって、中で幽霊がずっと喋っている
全然黙らない ずっと喋っている
ずっと逃げて生きている(?)って幽霊は言っている

「なんで?」
「だって、殴られるから」

ネットで配信されているライト級の試合
南米とアジアの選手で それが誰だかは知らない
世界戦のどこに位置するのかわからないタイトルマッチが

うんと広い砂漠の真ん中での
目撃者の居ない戦闘の様に
それは ある日のニュースの様に
この部屋に繋がっている


僕も友達の熱が伝染ったんだろうか

ゴロンと、仰向けになる



ねぇ、君はさ
なんでまだ「優しさ」とか「いい人」の事なんか
問題にしているの?
そんなん、どうでもいい事だろ?

君自身が今も将来も、それらで判断されていると
信じてんの?

信じているなら
今すぐ変えろってのも難しいだろうけど
それでもさ
誰も優しくも、いい奴でも無い中で
それを誰が決めるの?

その人間性を決断してるのって、誰?


俺らに重要なのは、
リンチをするか しないか だ


リンチって暴力はいつでも有効
その時のネーミングは変わっていたとしても

何故なら、緊張状態に意見は全員一致しているし
誰も責めないだろ
ターゲットが多数になる事はない


本当だよ
人の優しさを問う前に
もっと、人間味のある話をするとしたらね




そうして 君は

君は しない方 へ行くんだね?

それで、いいのさ。

君はそれを選べばいい

それで 良いんだ

ここに「優しさ」や「いい奴」を混ぜるのが

今流だとしても どうでもいいんだよ

話を長くする必要なんか ないだろ

君の敵にも リンチはするなよ

そう、簡単じゃないんだよ



君の決断の悩みは

しない方を選んだ時に 単純に

生きるのが難しくなる事が

あるからだろう

誰かの復讐を

君も受け継いだ子孫だ

僕だってさ


そうして いつの間にか
自分たちが リンチの餌食になりもするかも



そもそも

「リンチをする」って
口に出して言う奴が少ないけどね

言う人は 普通じゃないね

分裂した誰かが
わざわざ、言い出すかも

その狂人と、普通な僕らの暴力の疫病がそっくりなんで
大抵、僕ら気まずい思いをしている


あぁ、これはパラドックスじゃないよ
僕は、そんな話はしていない



人間味のある話は、こんな事

倫理じゃ間に合わないだろうけど
狂気のまま 放棄も出来ないでいる事だ


ゴングが鳴った
ラウンドは、あと幾つ残っているんだろう?

名誉の復讐に誰かが襲われる
あれ悪魔?ちがうよ…
どこかのホームレスだ

僕らは 大勢だ

あのコが死んだら平和が訪れると?

…まさか…


白熱のリングを見つめる
熱よ 間に合え

間に合え

間に合え

間に合え




夕暮れが 窓の外に広がる
炎天下では 光化学スモッグ警報が出ていたけれど
人影の消えていた住宅街に
夕方は違う 息遣いが動き始める

自然保護活動家の あのコ
警察に捕まったって

友達は規則正しい寝息を立てて
眠っている
熱は少し下がったみたいだ
ボクシング中継は終わっていて
試合は、どちらが勝ったかを見過ごした

ボクシングのリングを照したライトが
誰かの夢なのかチャンスなのか
それは定かじゃないけれど
この部屋とは地続きになっている

部屋の蛍光灯は まだ灯け無い

ここには、ソイツの屈託や失敗や
凶暴や怯えが 所々に落ちていたり、収納されていて

枕の中には、いなくなった女の子の影がある

ブルースを教える父親は、この街でまだ出会っていない

家から離れて やって来た場所さ

照明が灯され、全てが目に入っても
僕はまだ、それらについては話さない

試合の残響で

僕は友達の体温を測る

脈打っている 温度を測る



友達は眠っている

僕は今晩は、ここに泊まるつもり

病人には
「側に居てやる」
ぐらいしか、やり方を僕は知らない


蛇口から、水道水をコップに注いで
ぬるい 水を喉に流し込む

ベランダの 溜まった冷却水は
ただの 黒い影になって

ツヤツヤと 室外機の音で揺れている


君の夏を、そのうち話して

そのうち

君の話を聞かせて



ではでは








………………………………………………





退院から一ヶ月ほど過ぎたころ、コーゾーさんの家に新たなCDラジカセがあった。
イトーヨーカドーで、数千円で売っていたらしい

ヨーカドーは便利だ。

コーゾーさんは、リビングキッチンのテーブルの上にある、それの前に座っていて
部屋に入ってきた私が「あ、買ったんだ」と言ったらスイッチをオンにした。

バッハか何かが流れたと思った。

「いいじゃない」みたいな事を私は言った。
CDラジカセに、すごいね!とはちょっと言えない。

部屋の片付けをしていた時に、動かないCDラジカセが3台ぐらいあって
廃棄を確認したら「捨てないで」と言われていたのを子供達は捨てたので
「お父さんは、もう一度買ったぞ」という顔をコーゾーさんはしていた。

「良かったじゃない」

もう一度、音楽のある生活になったなんて。


その後も、
「お客さん用の籐の椅子」とか「灯が裸電球だった部屋の新たな照明」とか「至る所に吊るしていた服をしまう棚」
とか、おそらく贅沢品とは言えない新たな物が少しずつ増えていっている。全部、イトーヨーカドーで買った

ヨーカドーは便利だ。 配達もしてもらえるし

けれど生活保護が降りた際、その補助としての新たな電化製品だったエアコンは、
猛暑の日でも、二人はまだ使っていなかった。
義理兄弟が尋ねた際にそのことが発覚し
「せっかく付けたんだから使ってー」と、さりげなく冷房にしてきたらしいが、
半身不髄のコーゾーさんと奥さんの体感温度差も客観的にわからず、
生活習慣に無かったクーラーを老夫婦にどう使わせるか、子供同士のLINEで話し合った結果
電子湿度・温度計を、これもやはりさりげなく置いてくる…と言うことに決まった。

なぜ、こんなに「さりげなく」「さりげなく」言っているのかというと、
この頃のコーゾーさん老夫婦は、何かと援助を拒否していたからだ。

今まで滅多に人の訪ねてこなかった二人の生活は、一般的には普通のことでも二人にとっては介護と捉えていて、
それで「あんまり介護されて逆にボケちゃうと困る」が、夫婦の主張だった。
…いや、夫婦というよりもコーゾーさんの主張の方が強い様に思える…

退院から少しして、奥さんが「出来そうな気がするの」と言い出した。
何が出来るかというと「入浴を一人で」出来る気がする と言う事だった。

「だから、やっぱりデイサービスは行かなくてもいいと思うの」

あらら、奥さんに関しては、コーゾーさんと同じように私が説得するわけにもいかず、義理兄弟にお任せした。
義理兄弟は、介護士さんと何度か奥さんの動きの範囲をチェックして
最終的に、奥さんの主張は受け入れられた。
デイサービスは入浴では無く、週に数回午後からのリハビリトレーニングとして通うことになった。

ずっと家の中に篭っていた老夫婦が、病院、訪問医療の日、ヘルパーさんの日、薬局の日、栄養士、デイサービス と
スケジュールが埋まっていく。

コーゾーさんは「病院も一人で行けるよ」と言うが、
手術で食事量も落ちている老人が、人混みにやたら出かけてコロナ感染するのも危険なので
常に私が車で送迎することにした。

ケアマネージャーのkさんは、娘さんが八王子まで通うのは大変だからコーゾーさんも訪問医療しませんか?と言ってくださったのだけれど、
術後1年くらい様子を見ていたい主治医の方針で断念した。


コーゾーさんの術後の経過はまずまず良好

主治医から「特に問題はない様なので、抗がん剤治療に切り替えたい」と、7月の終わりに告げられた。
高齢なので、無理に抗がん剤は使わなくてもいいんじゃないかと思っていたけれど、主治医としては一番弱い量でも、一応抗がん剤を使った方が安全だという判断だ。

今の元気さ加減で負担なさそうに見えるのだけれど、
無理に強い薬で副作用に悩まなくても良さそうに思えるのだけれど
コーゾーさんも「抗がん剤は嫌だなぁ」と言っていたけれど
…本人の返事を待たないで私が「抗がん剤はいらない」と言う訳にはいかない

コーゾーさんは「うーん…そうですねー…」と言いながら
割と即答で「じゃあ、やってみます」と答えていた

あ、言っちゃった……
……まぁ、本人が良いと言うのなら…
……てか、この人言われたらすぐ「出来る」って言っちゃう人だった…

ちゃんと飲んでよね…
薬サボる常習犯なんだから



「それで、ですね…この病院の決まりなんですけれど、抗がん剤を開始する前に副作用がどのくらい現れるのかチェックするため、1週間入院していただかないと、処方ができないんですよね」



…え?また入院?



コーゾーさんは、退院一ヶ月も経たないうちに、再び入院する羽目になった。

軽くショックを受けているコーゾーさんを横目に、
私は奥さんは数日間 一人で大丈夫だろうか…と、そちらが心配になっていた。



一人で入浴も、大丈夫だろうか
夜も一人で

介護は最小限をモットーの老夫婦の生活は、
二人で支え合って、成り立たせている生活だ



あのコは加工肉が好き (間借り)


#2


誰だか知っている人へ


これはきっと、僕の最後の仕事になるんじゃないかと思う
多分、そうなる

今度こそ、終わりに近づいていると思うんだよ
きっとね

曖昧にしていたことがさ

僕は 君が誰だか知っている
全部は知らない

でも、顔と 名前と 何をしている人かは知っている
君は 僕を知っているだろうか

知っている とも言えるし
全く わからない とも言えるかな?

君は 僕のことを見てきたね
なんでだかは 正直なところ わからない

一個 言えることは
君が欲しかった 何かが あったんだろう

僕にも欲しかったものが あったよ
それが 君なのかどうかは はっきりしない

僕は君に恋したけれど
だからって どうしようも無いことは わかっていた

君を欲したら、きっと僕は君のことを壊しちゃうだろう

もちろん、肉体的に痛めつけたりしないよ
精神的に追い詰める意地悪も 出来る限り 出来る限りはね しない

それでも きっと壊してしまだろう

なぜなら、君が欲しがっていた物事は、結局は僕じゃ無い可能性が大きいから
君がそれに気づかないように、僕は嘘をつかないとならない

見えない契約書の様な そんな詐欺行為

見えないし 法にも触れないから
罰せられる事は 無いけれど

誰も気には留めやしないだろうけれど

けど 神様は きっと全部 知っているだろう


街に出て、CDショップを回っていた頃が懐かしい
輸入レコード屋の棚を漁ったり ジャケットの紙の匂いとか


そこで偶然 君には出会いたかったよ
ちっぽけな街の片隅で


でも、君はそこにはいなかったんだ


そう そこには 僕ら一緒には
居なかった

 
そんな漫画みたいな偶然を
神様はくれなかった


こんな事を想ってしまうのは
その頃が楽しかったにしろ 孤独で


君も何か
共有するんじゃ無いかと思えたからかも









…はぁ、間借り生活の #あのコは加工肉が好き② です

#とても変わった手紙 のトーンは割と暗めなので、引き続きの僕も元気なさげですね。
まぁ、書いているのは私なんですけれど。
#あのコは加工肉が好き は、別に#とても変わった手紙の続編とかでも無かったのですが、成り行き上そうなって来ましたね。
この先、どう転がるんだかな?
元の構成は、前回の#ハートホテル みたいな物語だったのですけれど、奇形化されている#とても変わった手紙 が気の毒になったので、自分で自作を救出しようかなと思い直しました…

この僕の喋り口調は、確かサリンジャーの小説をいくつか読んで(そもそも著書が多く無いので、あれとあれ。そう、あれとあれ)
僕 の一人語りを作りました。

彼は怒りと虚無感に苛まれている人なんですけれど、彼の怒りはちょっと分かりにくいですね。
元気ないので、怒っている様にも見えなかったかも。
でも、現実的にそんなもんじゃないかと思いますけどね いじめられっ子の怒りは…見た目なんかは
これは誰にも見せない自分のディス・ノートじゃなくて、誰かに宛てている手紙なので、見える範囲がそんな感じとは読まれなかった様です。
彼は彼の自尊心と自意識で怒りを公にしてもいないのかもしれないし
心の中では毎日「死ね死ね死ね死ね」って想っているのかもしれない
(そこのあなたも、そんなところ無い?)

で、そういう心境も手紙の相手には告白しているんですよね
感情にかまけて、誰かをぶっ潰してやりたい と
僕の危険なところは ○○を じゃなくて 誰かを なんですよね

というのは、誰だか知らない人に攻撃を受けているので、やり返すのも誰だか知らない「誰か」なんです。
恐ろしい話ですね
この僕も、誰だか知らない 狂った怒りの模倣者になっているんですよ。
(このあたり、もう少し深く掘っていきたいですね)

そういう地獄にいる様なんですね
…で、それでもどうにか留まろうとしているんです

大震災の当日に(怖くて)「眠れない子へ」って眠り方を教えてくれているお化けのアイコンのツイートをRTしている彼女の、その人の唄の事を思い出しながら。

ほら、ラブレターだ
ただ、このラブレターはその彼女に宛てては書いていないんですが…
手紙の相手は、違う誰かなんです。
書き始めたきっかけが、彼女じゃ無かったのでしょうね。もう疎遠になっていたのかも。


でも、僕が一番「怒っていない人」に受け取られたのは
彼が自分で『大震災後に最初書き始めた詩』が、子供が親に尋ねるように 神様に尋ねていたってところかな
それがやたら「聖」に受け止められたんでしょう 

日本の宗教観は大変に独特なのと、震災で多く出た死者のために「祈り」という言葉がメディアにも乗りました
で、そういう大きなメディアに乗ると、政治は利用もしますよね。
「祈れ」「がんばれ」「優しく」がだんだんスローガンの様に震災者をくたびれさせ、対峙するように視聴者は無意識にも強制的な善意に感じてきます。

というわけで、祈りも優しさも言葉としては既にスカスカ状態です。
でも、この後も言葉は繰り返しイニシエーションの様に袋叩きに合います
集団で言葉にストレスを感じさせられたのだから仕方がない。
スカスカなんで、その通過儀礼もスカスカしていますが。

#とても変わった手紙 の前半は、大震災発生からF原発が曝発して、怒りの市民にとってのカタルシスには非常に反する立場に読み取られた可能性も大です。
綺麗事の神秘主義というか。
その波にどう反応したのかよく分かりませんが、去年お亡くなりになられた安倍前首相の奥様、昭恵夫人がこの頃の前後に、なんちゃって科学の神秘主義を匂わせながら、「語り合う場」としての居酒屋店主デビューいたしました。(外国の方が読んでいたら意味がわからないでしょうが、書いたままに受け取ってください。そのままなので)
で、この神秘主義新左翼の言葉でしゃべる極右に変化もしていきます。わー謎。

また後で時間系列に合わせる意味で今書いておきますが、#とても変わった手紙 を書いた頃の日本の政権は民主党政権で、今の巨大政党自民党は野党でした。
自民党の極右風はこの後に吹き散らかします。 

あーどんどんカオスになっていく


とりあえず、書いた当初は
彼女の唄だ、神様だ、夕陽だ、怒ったら負ける(実際には「夕陽の色が、怒りに見えたら負ける」)だとー!なに寝ぼけてるんだこの野郎!的な感情はあったかな。

まぁ、それでもイマジンは歌うんでしょうけれど
(一応断っておきますが、私は今なにも冒涜していません。でも、気に障ったらごめんなさい)


SNSにも書いたのですが、僕は自分の怒りを最初から最後まで抱えています
その怒りを自分ではどうにも出来ないでいます

このまま行くと気が狂います

そういった怒りを、原発反対運動に転化し、政治運動に、社会運動に、自然保護運動に転化して感情を表すべきでしょうか?
そういう方向に持っていったら、ひょっとしたら何かしらの共感はあったでしょうか?

そうかな?

私は、それが一番嫌で、とてもじゃないが共感できませんし、
そういう事をする奴は裏切ると思っています。



僕が留まったのも、その辺りですね




#とても変わった手紙 は、この後に大きな失敗をしています

そこは認めて、引っ張り上げて葬り去ってあげないとならないなーと思っています。


ではでは
動き出せ #あのコは加工肉が好き!

誰だか知っている人、また次回!






…………………………………………






この頃、私の体重がぐんと減った。
減った原因は、単純に食べてる時間が無かったのと
眠っている時間が無かったから

睡眠不足が一番体重が減る
不眠ダイエット 目の下にクマ付き


日記を読み返すと、老夫婦が退院して8日に帰宅してから、夫と買い物に少し出かけたぐらいで
5日ほどひたすら眠っていたようだ。あまり記憶にない。

8日は帰り際、コーゾーさんをめちゃくちゃ叱りつけたようだ。
これは記憶にある。

今振り返ると「もうここまで生きてきて、今更生活習慣は治るわけがない」と思えばそんなにカリカリする必要も無かったのだけれど、
しばらく頻繁に会っていない親子というのは、そうなった原因は無視できない。

ほんと、許してないわ 私 と改めて思う。

「お父さんて、結局なんもわかってないよね」と言っていた10代の自分に逆戻りである
逆戻りしても、コーゾーさんは既に弱々の老人になってしまった。
ぶつかりがいが無い



目覚めは、何時頃だっただろうか。
山の中の公団住宅は、早朝から野鳥の声が響く。
本当に東京かな と思えるぐらいに 小鳥が元気に囀っていた。

朝食の用意をしていると、奥さんがすぐに起きてきた

「気にせずゆっくりしてください」
「いえいえ、よく寝れましたよ」

そんなやり取り。

「目が覚めて、幸せだなって思えて」
「ははは 良かった」

牛乳を温めて、食パンを軽めに焼いて、バナナを切って、ヨーグルトを…

コーゾーさんも起きてきた

夫婦は向かい合って座り、お互いの体調を気にかけながら
何かお喋りしている。
奥さんはよくしゃべる明るい人で
母とは違うな と思った。

「目が覚めて、本当幸せよ」

また同じことをコーゾーさんにも言っている。

「だってね、入院していた同じ部屋の人ね、家族がいないって人は多かったのよ」

なぜか、ヒソヒソ言う

「あなたがくれた絵ね、ずっと飾っていたのよ。みんな誰が描いたのか聞いてきたから、夫ですって、画家の妻なんです って言ったの」

それは何故か ハガキサイズの壺の絵だった。
入院している妻に、なんで壺の絵なんだと思ったけれど、たぶん奥さんが静物画用に買いためた壺型の花瓶が目に入って、
他に写生するものも無かったので描いたんじゃ無いかと思われる。
発想が、手の届く範囲で止まりがちなんだろうと思う。

奥さんが誕生日の日に、コーゾーさん一人で手紙と一緒に届けたやつだ。
本当は花かお菓子を届けたいのにって言っていた日。

画家の妻なんです ってところが、コーゾーさんは嬉しそうだった。
世界中で奥さんだけが、コーゾーさんを画家だと言ってくれる。

具合が悪くなった時は、それなりに不仲になっていたんじゃ無いかとは察するが、
とにかく二人は仲の良い老夫婦に戻っていた
朝食を食べながら、あちこち二人で旅に出ていた頃の思い出話が止まらなくなっていた。
時間の自由がきく仕事をしていた奥さんは、コーゾーさんに仕事先まで車で迎えに来てもらった時、そのまま気分と思いつきの小旅行に出かけてたらしい。
泊まるところもその場で決めて、気ままな車の旅
運転手は半身不随の夫
車のカセットデッキからバッハが流れる
霧に霞む山道を中古の車は進む

「そんな道を?よく怖く無かったね、半身不随で」
「お父さんね、運転うまかったですよ。片手でよくやるなって感心しちゃって」

そんなところも、奥さんは神経質な母とは違う。

脳梗塞で倒れた時、奥さんが「もう車で出かけられないのね」と残念そうにしていたので、コーゾーさんは退院してからも必死にリハビリしつつ障害者運転免許を取得した。
障害があっても、生活は変えない がモットーだったらしく、タバコもそのまましばらく吸っていたらしい。
変な意地だな と思う。

「本当に、よくあちこち行ったわね」
「元気になったら、またゆっくり出かけられるかもしれないですよ」

話は、それから 二人の出会いになった
美術品販売の職場で出会っていた

「席がちょうど向かいで、オフィスに有線のクラシックが流れていてね、あ、モーツアルトだ ってお父さんが言ってね あらクラシック好きな人もいるんだわ、こんなところでって思って。だってね、周りはカラオケ好きのおっさんばっかりだったのよ」

…うわ、コーゾー狙って言ったな ダサ
娘はその時のコーゾーさんの表情まで予想できてしまう

奥さんは、多分風俗的な文化より、芸術的文化に飢えていたんだと思われる

「それで、美大出てるって話も聞いてね、あとあそこ…定食屋さんに連れて行ってくれたのよ。そういうの初めてだったの私」

詳しくは書かないが、奥さんはそれなりに苦労してきた様なのだけれど、
言うことが少女みたいだ
年齢的に、女性が定食屋に入るって無かったのだろうか

…そんなことも無い気もする

東京に出てきたての田舎の女の子みたい

…で、その出会いの頃は、コーゾーさんは多分母とまだ離婚していない
美術販売の仕事も、母に勧められてイヤイヤ行っていたところで、給料はバイト程度だった
生活は、母が支えていた

「y子さん、綺麗ね お母さんも綺麗な方だったわよね、写真、綺麗でしたもの」

急に言われて 少しギョッとする
片付けをしていた時、そういえば母の居る私たち家族写真はポロポロ出てきた

コーゾーさんは堅い表情をしながら
当時はなんでも母の指令で動かされていて、自由が無かった と言い始めた
ゴニョゴニョと言葉を濁らせながら

「はは、 なんだそれ」とだけ私は言って
空いた皿を片付けに、聞かずに席を立った


なんだそれ マジで


コーゾーさんは気が弱い男だ
相変わらず でも威張るんだよね

あんたら二人は別れた相手の悪口言って、仲良くやってんのか

怒りの皿洗いである

「久しぶりにパンを食べれた」
「そう、病院じゃやっぱりダメだったの?」 と、奥さんが聞く
「そんな事無いんだよ 柔らかいとことなら…」

しばらく体が固まって、コーゾーさんはさっき食べた朝食をトイレで吐いた

青い顔をして、ふうと一息つく

「大丈夫?」
「…うん、急いで食べちゃったみたい もっとゆっくり食べたら大丈夫だった」
「久しぶりのパンだからね」
「…そうなんだよ、美味しくてついつい急いで食べちゃった」
「しばらく お粥の方がいいかも」
「…いや、ゆっくり食べたら 大丈夫」

奥さんが、心配している

「大丈夫なんだよ 甘いものも、禁止じゃないし なんでも食べれる様になるって言ってたよ医者も」
「そのうちね 甘いのも、わざわざ食べないといけないものじゃ無いよ」と、私
低血糖になる事を考えてないだろ?」
低血糖は、極端に食べてるか不規則だからでしょ お父さんは甘いものに逃げ過ぎ」
「病院じゃ、食べなさいって言ってたよ!」
「食べなさいじゃ無いでしょ、食べてもいい でしょ!」

何これ 子供の言い分みたい

「あのね、私も言いたかないよ 好きなよーにどうぞって言いたいわよ」
「お前は 分かってないんだよ 低血糖がどんなに怖いか!」
「わかる わかんないじゃないの! 同じことやって、また倒れるなって言ってんの!」

言うこと聞かない娘にどう言い聞かせようか…って顔をコーゾーさんはしている
奥さんなら はいはい言ってくれるのに 

「お父さん倒れて 困るのは 私らじゃないの、奥さんなの 分かってる?」

奥さんは間におとなしくしていたけれど
宥めるように「これはy子さんの愛情よ」とコーゾーさんに言う

やめて やめて
別に愛情じゃ無いっすわ マジでムカつくわ


コーゾーさんは奥さんを出されると返す言葉がない
実際、守れて無いのだから
困ったように、禿頭を擦っていた


あなたは誰を守ってきたのよ
あなたの絵を守れなかった母に謝って欲しいの?


奥さんは、壺の絵を百均の小さな額に入れて飾った



朝食が済んでからリハビリも兼ねて奥さんと洗濯物をベランダに干していると、
食事の用意を担当するヘルパーさんがやって来た。

冷蔵庫の中を簡単に説明しつつ、大体の一回の塩分量やご飯の量を伝えて、契約のサインをした

ヘルパーさんは、一品だけ試しに簡単おかずを作って帰って行った

その日の用事は全て済んだので
私も荷物をまとめて、そそくさと部屋を出た
別れ際、なんて言ったのかも怯えていない

コーゾーさんは、何度か「ありがとう」を言っていたと思う





長い坂道を降りながら、
吐いたのは、急に食べたからってより、
母の話を自ら急にしたからじゃないのかな…と思った



人間関係の何やらで
急に背中を押されて

あのコは加工肉が好きがやって来た

#1

鏡の後ろの方に あのコ
僕はその手前

ベッドは孤島のようで
でも、それは気のせいさ

ただただ 眠ってた
毎日 アレコレあり過ぎて

ランチと談笑をして

それだけじゃない それだけじゃ
あり過ぎたんだ 毎日
胃のポリープは無口

とにかく とにかくね
不思議な事だらけだ

ポットにお湯を沸かして
大丈夫、コーヒーはいいんだ
そのまま マグに注いで

湯気の後ろに あのコ
僕はその手前

僕の肉はどこから来たんだろうか
それを 千切っては投げ 
    千切っては投げ していた

あのコは 何かを話したそうだ

僕の後ろに あのコ
僕はその手前

いいよ 話して 僕は聞くんだ

何も出来なかったら ごめんね
キミの期待どうりじゃ無いかも

音は全体的に うねって
あのコの声は 波に乗って

海の後ろに あのコ
僕はその手前

ベッドは孤島のようで
でも、それは気のせいさ

そう それは 気のせいだよ















………

あれ?ここに出てきた…

……ここか……


………しょうがないか…ブログじゃないって言ったのは自分だし…

でも…ここだと、途中から介護日記書かなきゃならないなぁ。ブログよりも趣旨が違うような…

でもなぁ、何も用意してないしなぁ…
それにここも、前回はベラルーシのソーセージのこと書いていたから、
余計に呼び寄せちゃったのかもしれない。仕方がない。


自作を読み返すと、時より睡魔に襲われる
何故かはわからないけれど、そうなる。
脳が強制終了するように。 

で、今日はその中でも濃厚な眠気がやってきた。
昼過ぎに読み返して、それから何度か気絶して、振り切るように夕飯の支度はして、22時の今書いている。

読み返している作品は、2011年12月6日に書き始めていた。

誰が読んだかはわからないけれど、この作品をネットに流した(実際どこに流れた知らないけれど)。
で、その後にやたら「ルール」ってwardがメディアに乗った気がする。
今、日本人にとって「ルール」は頻繁に使われる日常語である。

これヤバイんじゃないか?と思ったけれど、もう放っておく事にした。
模倣のスピードはとにかく増していって止められない。

個人主義が発生したのは、ミメーシスが消えたのではなく激化したからだと言ったのはルネ・ジラールだけれど、
これの内容を端的に説明する自信は今のところ私にはない。
それは、言葉に自分自身でも反発が生じるからかもしれない。

…あぁ、下の文章はそれでも理解しやすい。

「ミメーシス的ライバル関係は、未開社会では徹底して破壊的な形で生活に侵入してくるが、現代社会では、その後に厳しい緊張状態を作り出すとはいえ、信じられないほど生産的である。資本主義そのものが、高度に差異化された社会において想像だに出来ないような、ミメーシス的な自由参加を要請してる」

模倣が無いと、人気商品はできない。
真似したいという欲望が無いと成り立たない。
また、そこから新たに作りたい欲望のミメーシス
問題は、そのミメーシス関係がライバル関係になり、模倣のモデルは妨害者に変化してしまうところだ。
現代は、ミメーシスによるライバル関係はうまく隠す傾向にある。


仮に、自作が何かしらモデルとなっていた場合、作品は誰かの妨害者って事にもなりかねない。

なってた?

今回、読み返している自作はその形跡が色濃い。
…いや、次の瞬間には私が誰かをモデルにしているはず。

そして、最初のアタックは失敗している。
繰り返した…何で?
そもそもなんで繰り返したんだんだろうか?

読み返した作品は、そんな混沌とした、けど確かに動機はあった出来事を
『見えるように』したがっている。
ここまで分からなくなってしまうのが嫌だった

………問題の作品そのものを出していないのに、自問していてもしょうがない。
私は、説明しないとならないと改めて思ったにも関わらず『?』ばかり繰り返している。
しっかりして、私! この後、介護日記も書かないとならないのに!
だって、ここはコーゾーさんの介護日記の場所だからね!
なんてルールなの? これが場所を持たない不便さってもんなのね?

あ、また『?』だわ。
今回はこれ以上#あのコは加工肉が好き に行数を割いてなどいられない…
介護日記書かなきゃ。また次回だわ…

あぁ、でも一つだけ
あの作品 #とても変わった手紙 の始まりは ラブレターになっている。
それに気づかれないって何なんだ?



…あ、また『?』使っちゃった。


じゃあ、また次に! 
そう遠く無い日に。







…………………………………………………………………





コーゾーさんの手術の傷は思っていたより早く回復して行った
1日2日は苦しかったようだが、想像していたよりも早く歩き始めた。
それで何度か「夏用じゃなくて、長袖のパジャマが欲しい」と言う。

真夏に、私は長袖のパジャマを探しにちょくちょく出かけた。

病院の外は猛暑が続いていたが、24時間冷房が効いた病院の中はコーゾーさんにとって寒いのだ。
麻痺した左半身はいつも冷たい。冬は、自分の左側が自分を冷やし続けている。

「時々、左側が勝手にグーッと力が入るんだ」
と、ある春先の夜、コーゾーさんは言っていた。
父娘、何十年被りに川の字に布団を並べ、寝床についていた。
布団をひいた寝室兼茶の間の隣のリビングは、まだ物がごったがえしていてほぼキャンバスで埋まっていた。

「意思と関係なくグーッて力が入って、締め付けられて苦しいんだよ」
「へぇ、麻痺しているのに不思議だね。左側は自分の身体じゃないみたいだね」
「そうなんだよ 言う事きかなくて困っちゃう」

コーゾーさんの声は、眠気に混ざって力がない

半身麻痺は「困っちゃう」くらいじゃ済まない気もするが、
コーゾーさんは自分のものであって自分のものでなくなった左側の世話をしている。

一回、どのくらい動けるもんかな?と思って右側だけ使ってスーパーの買い物をしてみようとして、
カートを押して5分たたないうちにやめた。
こんな試練の中にいる老人にガミガミ言うのは酷いよな…と思ったけれど、それでも叱りたくなるようなことをするのもコーゾーさんだ。


コーゾーさんの退院は7月4日に決まった。
奥さんが7日、七夕の日。ここで二人は再開する。

猛暑続きだったが、コーゾーさんが退院日は台風が近づいてきていた。
私はなんだか気分が落ちていた。
低気圧のせいだろうと思う事にしていたけれど、病み上がり老夫婦の始まる生活がただ不安だった。

本やらスケッチ用具やらも重なって、無駄に多くなった入院荷物をタクシーに詰め込んで、コーゾーさんは約二ヶ月ぶりの団地に帰った。
介護ベットも整えられて随分と変わった我が家に、さほど不満は無いようだった。
物を捨てられてナーバスになっていた頃は、すでに過ぎ去ったこと。

入院の洗濯物を洗濯機に放り込んで、とりあえず空っぽになった冷蔵庫を埋めるべく、食材の買い出し。

胃の無くなった人に何を食べさせたら良いのかは、とりあえず栄養士の指導を受けていたけれど、プラス糖尿病も持っているので悩む。
おまけに歯も無い。どうやって消化させよう。

一回の食事は少なめに、一日3食プラス午前・午後で中間食を一回ずつ。計五食。

油分が少なく、柔らかくなりそうな食材。糖分塩分はもちろん控えめ。
一口に切って、茹でたり出汁を取ったり。主食はもちろん今のところお粥。
食後は30分は横にならないように。

この食事の用意だけでもきっと老人二人では無理なので、この時は調理をヘルパーさんに頼む事にしていた。

夕食は、まぁ口に合ったようだった。
食後は私は日記を書き付け、コーゾーさんはベッドでテレビを見ていた。

今まで、来られない分の日数も含めて小分けに惣菜を用意する、その手間はこれからヘルパーさんに頼めるんだから、もっと気楽になってもいいはず…と自分に言い聞かせて、やたら甘いものをリクエストするコーゾーさんを叱りながらの夜だった。
買い物をした時に本屋に寄って、欲しがっていた別冊太陽の「小泉八雲特集」買ってあげた。せめてもの退院祝い。(買う前に1回喧嘩してる)

三日後、奥さんが退院する日。
介護の為のスケジュール確認と、担当ヘルパーさん、訪問介護医師、薬局との面接もそれと同時に予定にある。
奥さんは、義理兄弟が迎えに行ってくれていて、昼過ぎには帰宅することが出来た。

救急で運ばれた時には倍の重さに浮腫んでいたらしいが、久しぶりに会った奥さんは見慣れた小柄な女性に戻っていた。
とても自力で歩けそうに無いと聞いていた頃から、随分と回復しているのがわかった。
室内なら杖なしでも歩いている。
コーゾーさんよりも元気に見える。

迎えたケアマネージャーのkさんや私に「本当にお世話になりました」と挨拶しながら、リビングで待っていたコーゾーさんと抱擁しあう。
「おかえりなさい、本当にお元気になられて良かったです」と、kさんは老夫婦に拍手をおくる。

義理兄弟は「部屋、綺麗になったでしょ?」と言いながら、何がどこに仕舞われているか簡単に説明した。
本棚には、しっかり某俳優さんが表紙のファッション雑誌が置かれていた。

さぁ、ゆっくりしてくださいね…と言いたいところだったけれど、次々に介護内容説明やら週のスケジュールが組まれていく。
奥さんは一人で入浴は危険だろうといった判断で介護サービスに週の何回か通う事になる。

「…それは何時間くらい行くものなんですか?」と奥さんから質問が出る。
「午前中に出かけて、お昼とって、お風呂入って、帰りは夕方くらいでしょうかね…お友達もすぐ出来ると思いますよ」
とkさんが答える。
「そういうのって…みんなで歌うたったり…とか、そんな事すところでしょ?」
「はい、そうですね皆さんでリクエーションしたり、運動とか、あと趣味の教室もあって…」
「好きな時間に帰れないの?」
「…あー、そうですね…送迎も皆さん一緒にするので、別行動はちょっと出来ないんですよ」
「…んーそうですか…なんかねぇ…そういうのは…皆んなで歌うたったり…なんだかね…」

雲行きが怪しい

「外面いいから人当たりは良いけど、1日中の集団行動が苦手なんですよ」と、義理兄弟が説明する。
「好きな事なら大丈夫でしょうけど、それ以外は苦痛になっちゃう」

外面というか、どうやら気を使いすぎる様で、それがストレスを溜めやすいらしい。

奥さんは「そのとおり、よくわかってるわ」と笑う。

「本当に、ずっとマイペースでやって来たんでね…私達」と、老夫婦はタックを組んだ。
コーゾーさんも介護サービスを断っていた。
「そういうところはね、私達はおんなじでね」と奥さんはまた言った。

kさんは「じゃあ、なるべくご意向に沿う場所をいくつか探してみますね」と話をとりあえずまとめた。
入浴は課題になった。

狭い部屋に後から後から人が出入りして、名刺交換して、全て引けたのは夕方になった頃。
私と義理兄弟が残った。
私はこの日まで泊まって、翌日の最終契約が済んでから帰る。
義理兄弟は仕事があるのでそろそろ帰る。

老夫婦二人で久しぶりに食卓を囲んでいるところを、
それぞれの子供が見守る。

「じゃあ、帰るからね」と義理兄弟が席を立つ。
「…帰るの?」
「うん、帰るよ。仕事あるから。じゃあ、また来るね。荷物一緒に片付けようね」

そう言って、義理兄弟は奥さんが寂しい顔になる前にサッパリと手を振り帰っていった。


「y子さんも、そろそろ…お家帰られないと大変でしょ?」
「いえ、私は今夜まで泊まれるので大丈夫ですよ」
「…あら…すみませんね、本当に」

この前にも「今日は泊まりますね」は告げていたのだけれど、奥さんは義理兄弟も込みだと思い込んでいた様だった。
コーゾーの子供だけが残る事に、再び[気使い]が発動してしまったらしく、この後も「もう帰らないと…」を何回か言っていた。
話が通じにくい。
義理兄弟が、認知が少しはじまっていると言っていたので、気遣いストレスで少し混乱していたのかもしれない。
私がいつまでも起きていると負担が増すので、早々に「おやすみなさい」を言って、物置きと化していた北部屋に布団をひいて引っ込むことにした。
奥さんは、やっぱり気を遣って「私も寝ますね」とベッドに潜った。
「ベッド、寝心地良いです」と、ベッドの中でまた感謝していた。

しばらく北部屋の布団の上でケータイをいじっていると、コーゾーさんが風呂に入る気配がした。
すると、ベッドの中から「背中流してあげる」と奥さんが起きて来た。
夜の11時を過ぎていた。
「いいよ、遅いから。寝てな」
「やりたいのよ…あら、まって髪伸びたのね。切ってげるわ」

コーゾーさんの髪はいつも奥さんが切っている様子だ。
髪を切りながら、何か二人は静かに話している。

「手術の傷、見せてあげるね」
と、コーゾーさんは言った。

「………あらー、……こんなに…痛い?」
「今はそんなに。違和感ぐらいかな…最初は痛かったけど、すぐに治ったよ」
「…そう…こんなに……痛そう……」

しばらくして、シャワーの音がして来た。
奥さんがコーゾーさんの背中を流している様だ。


これは、これで老人のセックスなんかな…と思った。
子供の頃、両親が性行為をしているところに偶然、隣の部屋で目を覚ました時も、私はこんな風にじっと聞いてたなぁ…と思い出した。
眠っていて、それまでずっと夜の向こう側を知らないでいた様な気分だった。

初めての男女の気配は、自分が知っている「仲の良い両親」とは違って、
親に置いて行かれている様な気持ちになった。


はるか昔の記憶。
いまコーゾーさんに置いて行かれているといった気持ちは微塵も無い。

コーゾーさんは、私が(というか、兄.私子供達が)コーゾーさんを置いていく日が来るのか、
ひょっとしたら心配しているかもしれない


コーゾーさんは、翌日、母の悪口を言っていた。
今更、言い訳したくなったんだろう。
再び新しい生活で


人は時より、変化におかしくなる
コーゾーさんは、いつもいつも
ものすごく不器用だけれど

良い加減にしろよ、クソジジイ

97年、ベラルーシのソーセージ


今年の2月ぐらいからポツポツと次の作品を書いている。
タイトルだけかなり前から決めていて、どこでどう公開するか、そもそも人に見せるのか定かにもなっていない作品を書いている。

「あのコは加工肉が好き」という、冗談半分で決めたタイトルで、きっかけはアメリカ人のTwitterユーザーが悪趣味に食べ物で遊んでいる写真をあげているのをたまたま見かけ、それらを眺めながら浮かんだタイトルだった。
スパムメッセージってゆう昨今あまり使ってないワードもついでに思い出す。

人間の三大欲求は性欲・食欲・睡眠欲というが、これらをぐちゃぐちゃに暴力的にするというのは、つまりなんだろうな?と疑問が頭に浮かぶ。
簡単にわかるようで、そうでも無い。
オエっとなりそうな食べ物を嬉々として眺めるって、何それ…?
そんなダウナーな食イメージにふと浮かんだタイトルが「あのコは加工肉が好き」

何かが動きそうな気もしてくる。
陽炎で終わるかもしれない
…いや、やっぱ行けるんじゃない?
わかんないや。

先にタイトルを決めたは良いけれど、実は私自身肉はそれほど好きでもない。
スパムソーセージはうんと薄切りにしてカリっとよく焼いたらなんとか食べれる…くらい苦手で、トンカツも豚の生姜焼きもステーキも、大人になってようやく食べられるようになったし、すき焼きは肉よりもシラタキが好きなコだったし、親子丼よりは玉子丼が好きだったし、お中元に貰うボンレスハムなどは見向きもせず、ラーメンのチャーシューはシナチクよりも邪魔で、焼き肉でテンション上がる気持ちがかわからなかった。
せいぜい喜んで食べるのはハンバーグとトリの唐揚げくらい、そんな子供だった。それも「いくつでもいける」なんて事は無い。

「ワタシは醤油とお刺身の無い海外では生きていけない。海外で肉は肉でも鯨肉は好きと言ったら憎まれる」と、思っていた。(私の幼少期ではまだ鯨のベーコンは日本の庶民食だった)…鯨食はやっぱ憎まれる率は高いかも。世界の非難で日本は捕鯨をやめた。

…で、成長にするにつれ…というか成長して家を出て、食費に苦労するようになった頃、(西欧と同じ肉文化の)肉が食べれられる様になった。
好き嫌い克服は、金欠の空腹が一番だ。
…いや、私の実家は年中金欠病にかかっている様な家庭だったので、単にお金が無いって事だけでもない生活の危機感の空腹、それが一番。
親元というのは、それだけでも安心材料。なんらかんら、まだ守ってくれる場所だった。

そうしてやっと肉が食べられる嗜好に成長してみたら、海外ではヴィーガニズムという食思想が誕生していた。

「人間の都合で動物を殺害しない」
これも世界の精肉システムの度がすぎた結果の主張だという気もするけれど、日本は第一産業がことごとく少ないので、結局は世界の生産コンベアーに輸入しながら加担していく。社会では屠殺現場にひかれたカーテンの遮光率が上がる。
飢えないためにと言うよりは、生産性と欲求…資本を増やす目的がシステム化する。
日本でも「無駄な殺生は罪である」といった仏教の教えは遥か遠く。宗教などはゆとりのある暇人に任せておけば良いのだよ。

だいたい、その教えの元で家畜の屠殺業を押し付けられてきた穢多・非人の身分をお忘れか。
差別の根源は穢れと聖の二元論じゃないか。なにやら生命への苦言のように神がかりやがって、テメェの健康気にしているだけじゃねぇか

こちとら腹が減っているんでぃ

メシ喰わせろ
メシ喰わせろ
メシ喰わせろ  肉喰わせろ

…と、頭の中で一人やり取りしていると、今日もTwitterにゲロ飯写真が投稿される。かわいい猫ちゃん写真も、c girlのエロいつぶやきも同列に。
飽食時代のパンクス デタラメな感じ 全部出鱈目 飢えている国はあっち側 先進国の貧しい人々 キミ(アカウントの人)のことはよく知らない。

いや、屠殺は出鱈目では無いんだけれども…

だけれども…



97年に「ナージャの村」という、チェルノブイリ原発で避難地帯に指定されたベラルーシのある村でのドキュメンタリーがあった。
監督は日本の写真家、本橋成一

村人の殆どは出て行ったが、六世帯だけは村に残った。
タイトルになっているナージャは、当時8歳の女の子。
彼女は5人兄弟の末っ子で、村に学校がない(無くなった)ために映画の中盤から父親だけを残して近くの街へ母親と兄弟姉妹と引っ越す事とになる。

他にも、老いた母親の元に帰ってきた老年の息子、去年母親が死に、村の廃材を売り捌くビジネスをしている男、自分の家と無人となった隣家数棟を塀で囲って畑仕事や養蜂に勤しむ男、息子たちは出て行ったけれど自分たちは残ったという老夫婦などなど…残った六世帯はそれぞれに暮らしている。

ある日老夫婦は村を出た息子に手伝ってもらって、大切に育てていた豚を屠った。
3人がかりで首を縛る
豚の悲鳴が響き、首と口から血を流しながら丸々と太った豚は息絶え、それから
毛を焼いて肉を丁寧に捌き、内臓は腸詰にして自家製ソーセージをつくっていた。
この豚がまた夫婦によく懐いていてとてもかわいかった。
豚はあんなに人懐こいもんなんだな…と思う。
秋の収穫の後、厳しい一冬分の食料を倉庫に蓄え、自家製のウォッカでソーセージを食べる。
「やっぱり自分で作るのが一番美味いな」
とソーセージの出来に満足するおじいさんに、おばあさんは
「当たり前のことを…いまさら」と答える。
異国の撮影隊へのサービスの為のいまさらな一言だったのだろうか?

家畜を自分たちで屠るのは日常なのだろうから
生きるために大切に育て殺す

放射能で人の居なくなった大地に、凍る冬が来る。



ナージャの村」の映画の始まりは文章からだ

本橋さんがかつて出会った、チェルノブイリ原発事故の避難指定区域から出ていかない老人の事が語られる。
なぜ避難しないのか尋ねると、「人間の都合で汚してしまった大地から、都合良く逃げるわけにはいかない」と老人は答えた。
その言葉が心に妙に残っていた本橋さんは、老人との再会を望んでいたけれど、老人はその後牛泥棒に殺されてしまう。

老人の言葉を探しに、本橋さんは映画を撮ることにした。


この映画から随分と時が過ぎた
チェルノブイリ原発という名を、ロシアのウクライナ攻撃作戦に利用される戦争で、久しぶりに聞いた。
ベラルーシの大統領は、ロシアと共に攻撃されたら参戦すると宣告している現代

ナージャは今、生きていれば30代の女性。
どうしているんだろう?
放射能で汚された、母なる大地を離れなかった老人達は、もう亡くなってしまっただろうか?
放射能の後遺症はあったのだろうか



ケータイ・タブレットに上がっているゲロ飯
キミ(達)の皮肉は、さほど嫌いじゃ無い
あなたのことは知らないし、凝視もしないし、同じこともしないけど

なんだか引っかかる

なんの肉を喰ってるのか
空腹なのかも
よくわからなくなりそうだけれど

何に飢えているんだろう
それとも年中胸焼けなんだろうか



思想にケチつける訳でも無いし、止める気も無いのだけれど、
ヴィーガニズムはなんだかまだ、私には都市の幻想の中に居るような気がする。
ケチをつける気はない。
だって、私自身がこの幻想から出れているわけでは無いから。

そうそう簡単にはいかない気がしている。




………さてコーゾーさんの日記を始めるとしましょうか。
癌の為に胃を取られたコーゾーさんの。介護日記ですからね、これ。





コーゾーさんの手術が終わった後、ずっと不安に思っている悩みを誰かに打ち明けたくなった。
そこで、確か母親の介護施設を探すの数年前あれこれやっていた友達を思い出し、久しぶりに連絡してみた。
退院したら自宅に戻るのがコーゾーさんも奥さんも希望だけれども、現在入院している老人がほぼ同時に日常に戻れるか確かなこともないし、かといって私が一緒に暮らせるわけでもない。

二人だけで大丈夫だろうか?
できればいつも第三者が関われる場所にいて欲しい
ここは、あらかじめ介護施設は探しておくべきだ

そーいう、なんというか家族の心配という名のエゴが出た。

友達には、施設に大体どのくらいお金が必要になるのか聞こうと思っていたけれど、
お金の無い父親夫婦が、生活福祉で夫婦二人一緒に入れる介護施設があるように思えない

探したら…いや、あまり良いイメージは浮かばない
けど仕方がない 現実はそんなもの
コーゾーさんもいい加減、現実を受け止めなきゃいけない
二人一緒じゃなくとも、共倒れしないだけ良いでしょう?

…で、「久しぶり、元気?」で始まる連絡に、送った友達からの返事は来なかった

そのことに関して、気に病んだりしなかったが、反省した
久しぶりの連絡が介護についてだし

自意識が10代の頃よりも薄くなるので長生きはするもの…か、どうかはわからないけれど、
10代の頃の自分よりも今の方が生きていやすいと、過去の自分に教えてあげたい。
あ、落ち込まないで10代の私。
今、具体的に説明しないけれど……なんとゆーか、都合の良い自己憐憫もしなくなるので。

自分が突然不通にした誰かを覚えている 
どーゆう事情にしろ

そう言う事が、単純に周り回るのです。
直接関係がなくとも
人にやれば、自分にも来るのです


「家族のエゴ」はスッパリ捨てよう。考えを改めよう。
手術した後に「希望は諦めて介護施設に入れ」なんて話はやはり酷だ鬼だ。
コーゾーさんは、自分の身体を引きずり生活するのなんか、今に始まった訳じゃない。

納得していない諦めは、老人を頑なにしてしまうだけだ

そうしてなかなか権力を譲らない家父長制ができたではないか
その恨みのように、必要なくなれば口減しに姥捨をしたのが私たちの歴史ではないか
(一瞬にしてそこまで反省したわけでも無いんだけどね)

貧乏人に理想的な老後生活は無いかもしれないが、「老後は挑んではいけません」というしきたりも無い。 
だいぶボケてはきたけれど、アルツハイマーでも無いしね

ただ、兎にも角にも全て『自力』はいくらなんでも無理がある。
介護サービスをどうにか有効利用して社会と関わってもらいつつ、日々を送るのが一番だ。


今は、とりあえずは…だって、まだ時間はある
不安を一時期引っ込める事にする。



エアコンの注文から数週間後に工事の日程の連絡が入った。
工事日は早めに来て、窓の掃除をした。
寒い梅雨も明けて暑い6月末だった。

何年も磨いていなかったであろうガラスとサッシを拭く。新しいカーテンをかける。
大方窓掃除が終わったところで工事の作業員がやって来た。
早速作業にかかる。暑くてファン付きの作業用ベストを着込んでいる。

エアコンの工事が終わったら、新しいカーペットを敷く。
アトリエ代わりの、「ほぼ外」状態だった6畳の畳は、あらかじめ敷物をしていた為に荷物を撤去してみると思ったよりも傷んでなく綺麗だった。

工事作業中に義理兄弟がやって来た。
リハビリ中の奥さんの回復状況を説明してくれつつ、退院日の目安を相談。
二人同時よりも、コーゾーさんが先の方が良いだろうと言うことになる。

義理兄弟は奥さんの部屋を片付けていると、羽生結弦の特集雑誌や切り抜きに紛れて、ある俳優さんの載っている雑誌を多数見つけたそうで、
それが正直意外な俳優さんで「エロ本を見つけた気分」と言っていた。
「荷物で埋まっていた本棚も復活したから、見えるようにそこに並べとこうと思います」と、義理兄弟は言っていた。

いいじゃないですか。幾つになろうが美しい俳優にトキメクなんて。
退院したら、もう一回新しい生活が始まるんだし…

もう一回   

そんな話をしていると、工事作業は終わった。
設置の基本工事料金の領収書に私がサインして、後からのオプション部分の領収書には義理兄弟がサインした。
二人して苗字は違う。それは家主の親の苗字とも違う。
それぞれの子供達は全員、親の苗字と違う。サインだけだと身内というより知人の集まりみたいになる。

全ての作業が終わり、義理兄弟も帰り、試運転のエアコンを止め、もう一度窓を開けて外の空気を入れる。


部屋を見回す
うんと綺麗にするつもりでいたけれど、まだなんだか物が多い
人の物なんだから気にしなくたって良いのに

このあと、介護ベッドが2台、エアコンの部屋とその隣の部屋に入る。








…あぁ、そうだ
コーゾーさんの取り出された胃袋をまじまじと見た翌日に、洗濯物を届けに病院に向かった。
前日の雨は止んで晴れた日だった。
ちょうど正午に病院に着いてしまう
午後一時過ぎにしか入院患者の荷物は受け付けないので、先にお昼ご飯を食べようと近くのファミレスに入り、ランチを注文。
肉料理を選んだ。なんだか肉が食べたかった。

この数日後の朝、ウクライナ兵がロシア兵に生きたまま灯油をかけられ焼かれたニュースがテレビから流れていた
一緒に居たジャーナリストも処刑された…と、国境無き記者団からの発表があった

私は老夫婦の年金の口座のまとめやら手続きの記入間違いなどで
父夫婦のとっ散らかった家計を使いやすくする事に毎日が気が気では無く、そのニュースを横目に家を出た



日記帳を読み返すと、それらがただ箇条書きに記されている。

サブカルチャーと日本文化

宮崎駿って、絵コンテの段階で空間のデッサンがビシッと合ってるんだって」

と、娘に教わる…

彼女はアニメーションでの3D担当の仕事をしている。
絵コンテ段階で、曖昧になっている(イメージだけになっている)空間を、3D処理で具体的に画面の中に立ち上げていく作業らしい。
詳しく聞いてないので「らしい」という言い方になってしまう。
絵コンテにはその際、通常なら監督からの支持や注文は文章で入っていて、3D担当はその中で実際の空間に合うかどうかを調節しながら演出家の希望に沿うように仕上げていく。

らしい

中には、絵コンテ段階では空間の辻褄に合わない箇所が出てきたりもするが、それを具体的になるように練り直す作業もある

らしい

これを、コンピューター無しで、宮崎駿は手書きで全て絵コンテに描き込めてしまうと言うことだ。
2Dの背景担当では無くて、監督自身がそれを出来てしまう。
その空間デッサンは全てピッタリ合っているそうだ。…と言う事を教わったのだった。
カメラアングルを決める際、彼のファンタジー世界の空間も具体的に構築されていると言うことになる

芸術家でありアニメーターの職人さんでもある
そう言う技術者は、今の日本のアニメ界にどのくらい居るのか、私は詳しくない。
世界にだったら居そうだな…と思えるけれど、ここは日本に限って、どのくらい居るのだろうか?
ほぼ皆無だったら、宮崎駿の技術も天才気質に入るのだろうか?
それとも、とことんアニメーター気質なんだろうか?

そう言うことも、詳しくない。
詳しくは無いけれど、このおじいさんから盗まないとならない物事は、まだ沢山あるんだなぁと思う。
一体何を盗むのか…
簡単に「技術」ともちょっと違う気がする
アニメーションに「詳しくない」と繰り返し言っといて生意気なのだけれど、
今、失っている『生活感』だと思う。
作家の『生活感』を盗む とは、何とも漠然とした言い方だし、きっとそれだけでは無いのだけれど、
今のファンタジーアニメの中でも、この巨匠の『生活感』は生き生きしている…

注[2Dが偉い とか言う話では無いですよ]

宮崎駿の世界には、善良な働き者が存在する。
「性格が善人」と、早合点しないように繰り返すけれど、「善良な働き者」
描き手がそう言う人々を愛しているかどうかの方が重点だ
結果、善人が多いと解釈されるかもしれない

ここは、ちょっと危うい

権力者以外、彼の世界では悪役も労働者としてはよく働いている
この世界の人々は、そうやって食って生活しているんだな…と思う

彼の作品に、現代の東京が出て来ていないのは理由がある様な気もする
けど、近日公開される新作は、ひょっとしたら私の見解を裏切るかもしれない…わからない

ジブリ美術館は東京にあるしね


私はジブリ作品の黄金期を多感な年齢でリアルタイムで観ているけれど、特別作品のファンとは言えない
ジブリ作品からも発生してきた、日本の美少女アニメカルチャーは未だに馴染まないし、
風の谷のナウシカ』のアニメ作品は苦手でもある。(漫画の方が好き)

でも、クオリティの高い大衆的なアニメ作品が動き始めた時代だったな、と思う。

こう言うのは、50年代の日本映画黄金期を振り返る感覚に似ているのかもしれないけれど

アニメーション映画は、その後を継ごうとしていたかもしれない。
…多分、今はそう言う事でも無い。


先日、テレビで2004年の『ハウルの動く城』がやっていて、
特に集中するでもなく観ていても、ヒエロニムス・ボスを彷彿させる戦闘機と魔の(動き)ディテールの扱い方、カット割…他の日本ファンタジーとは別格だと感じてくる。
原作は別にある物語だけれど、精神的な「内の表現」も丁寧。

時間とお金もかけている。

やはり好きでは無いけれど、一番最近の『風立ちぬ』を今改めて観ても同じ様に感じることかもしれない。

ジブリ作品の何が好きでは無いのかは、ちょっと置いておくとして…
2021年の東京オリンピックで、日本はサブカルチャーを「日本文化」として扱っていたけれど、その業界がどのくらい文化として根が張っているのか、素人感覚でもイマイチしっくり来ない。

なんとなく、不安定なんじゃ無いかと感じてくる。

経済効果が上がり、急激なメディアの扱いでそう感じているんだと思う…

この「経済効果」は、創作の『時間とお金』とは別なんだろう
経済効果で『時間とお金』が出来ると言う人もいるのだろうけれど


宮崎駿が、表現者として黒澤明とは別の道が実質的に続いたらいいな…とは思うけれど、難しいのだろうか
宮崎駿オンリーワンで萎んでいって欲しくない。
ウォルト・ディズニーと似たような道は目には着くけど、それは日本の文化とは違う




……さて、日記
癌患者の老人について

コーゾーさんについて




カテーテルの検査は、入院翌日の朝の九時ぐらいからだった
その時間に合わせて病院に行き、検査結果が出たら元の病院に帰ることになる。

コーゾーさんの病室は他に部屋が空いてなかったらしく個室だった。
看護師さんは元の胃腸科の病院と違って若い人が多く、なんというか慌ただしい感じがした。

コーゾーさんんはその病院で、ひたすら不服そうな顔をしていた。
曰く、「スタッフが若いから扱いが雑」との事だった。

「あっち(元の病院)の方がベテランが多くていいけど、こっちは何かなぁ、口が悪いし騒がしいし…」
「…若いから活気があるんだよ」

まぁ、ものは言いようだな…と、自分でも思う慰め方をした
あと一泊入院していたら、一緒に不満を言っていたかもしれ無い
循環器と消化器だと、病院の性質も変わるのかなぁ…なんて思った
…そう言うことでも無いんだろうけれど

とにかく一泊のお世話で、とっとと退散する

カテーテルでは、最初の検査で90%詰まっていると診断された心臓を支える血管は、ガタガタではあるけれど何とか手術には持つだろう と判断された。
よかった、よかった 手術できる。

ものすごくバタバタした前日とは真逆の土曜日
午前中に全て済んでしまったけれど、コーゾーさんは「本屋行きたい」とは言わず
早く元の入院場所に帰りたい様子で、タクシーを呼んですぐに帰った

帰りのタクシーで切手と封筒と便箋が欲しいから持ってきてと、コーゾーさんは言った。
手術までに手紙を出したい人が居ると言う。

循環器でGOサインが出たので、後はひたすら血糖値を下げる事に集中する
その間、介護士の面接があったり、部屋の粗大ゴミを運んだり、冷蔵庫の食べ物を無理に消化して胃もたれしたり、
老夫婦の役所での書類上の手続きに役所を行ったり来たりしたり…と、部屋作りと介護環境を整えていく作業が重なる。
6月9日の診察で、血糖値もまぁまぁ落ち着いてきたので手術日は14日に決定。
執刀医は若い女性のお医者さんになった。

その診察の帰りに、前に言っていた手紙を渡される
見ると、切手を貼る位置が逆で住所が記入されていない。

「住所録、持って来て」とコーゾーさんは言うが、筆跡を見ると封筒に全部収まる気がしないほどの文字のデカさだ。
住所は私が代わりに書いて出しておく事にする。
切って貼る場所も間違える程、耄碌していたのか?と少し驚く。
ガタガタの字が、カテーテル検査で見えたコーゾーさんの血管みたいだと思った。

診察の立ち合いも終わって、帰り道にお昼ご飯を食べていなかったので
一人駅近くの純喫茶に入って野菜サンドとコーヒーを頼む
テーブルがインベーダーゲームのままの、タバコも吸えるような喫茶店(そーいうのは純なんだろうか?まぁいいけど)
私の他にお客はいなかったのだけれど、気づいたら後ろの席に常連らしきおばちゃんがタバコ吸っていた

どこに居たのだろう?
入って来たのも気づか無いほどボーッとしていたっけ?

多分、奥の座敷(住居になっている茶の間)に居た模様。
後ろでタバコを吸いながら酒焼けしたようなダミ声でおしゃべりしている
元気良く喋っていたので「元気っていいよな」と思う
「あの部屋から住所録見つけるの面倒だなぁ…」と、またぼんやり思う

少しくたびれて来ていた。
サンドイッチとコーヒーは美味しかった。


コーゾーさんの胃の腫瘍は二箇所。しかも、胃の入り口と出口に分かれてあった。
この状態で胃の一部を取り除く事は不可能、胃を全摘出という事になった。

生活保護費も入院基準が短期から長期に変更になったので、その月入金された金額はそのまま返還となった。
生活保護なので、入院中の費用は生活費とは認められない。
それプラス、数千円の自己負担金、毎日のタオル、パジャマなどのレンタル料、生活ラインの電話料金、ガス電気代は取られる。
水道代は一定の免除額を超えなければ取られない。ここはほぼ使っていないので心配はない。

前も書いたと思うけれど、こういった大病にも見舞われた高齢の生活保護対象者が、管理サポートする人が居なかった場合、生活保護も老人一人で対応できるだろうか。
今よりも、この先10年20年後の方が、独り身の老人は増えそうだ。
コーゾーさんがもしも私たち子供と全く繋がりが無かった場合、妻は他の病院で入院したままコロナ禍でお見舞いもままならず、別々に人生を終えていてもおかしく無かったなぁと思いながら、その日も部屋の大掃除をした。
手術間近になって、ようやく部屋がどうにかなってきた。

生活保護を受ける際、一つだけ持っていない家電の費用も、全額では無いが援助してもらえる。
コーゾーさん宅には、エアコンが無かった。
夏は高層階の窓から入る自然風を頼りに、冬はホットカーペット、炬燵(脚が壊れている)、灯油ストーブだった。

前年の猛暑の記憶で、エアコン無し生活によく耐えたね…とも思ったが、
それ以上に、老人宅に石油ストーブ……一人は左半身不髄…
もう、これは霊現象以上に恐ろしい 

どうにかしなければ…と思っていたところに有難い話だった。
ぜひ、エアコンを注文しなければ…援助額から言ったら6畳間用くらいしか出ないが、数万プラスで10畳間ほどのものは買えそうだ。
(オーバーした分は自己負担となる)
工事費は出してもらえる。ラッキー。

子供達で話し合い、ネットで探すと安く済むぞ よしよし …で、どれにしましょう?みたいなやり取りが続く
ラインでこれどうです?あれどうです?と送り合い、候補を絞ってその金額と工事費が記載されているページをコピーして役所に送った。

その結果「いくつか候補を送ってもらって、その中から一番安いものになります」
という事だった。つまり、一つだけのデータではOKにならない。
急遽、もう一つの金額記載ページを送り直して検討してもらう。再びOKが出たのはコーゾーさんの手術日だった。

手術の日は、初めて車で八王子へ向かった。
もっと早くそうすれば良かったのだけれど、コーゾーさん宅の近くの駐車場がどのあたりか確認していなかったのと、
片道2時間の運転は嫌だなぁと思っていたので、ずっと電車通いにしていた。
電車なら座れたら眠れるし

でも、荷物の持ち運びも面倒になって来たので、駐車場を調べて車通いに変えた。
駐車場は思ったより近くに安い料金で見つかった。

手術は昼の12時半から
大体、2時間くらいで終わる予定
1階で受付を済ますと、そのまま父の病室に通される
この時、何か手伝いをしないとならなかったのだけれど、
何を手伝ったのか思い出せない。何だったっけ?

病室でコーゾーさんは、看護師さんに少しキツめのタイツか何かを履かせてもらっていたように思う
それが、何のためだったのかも思い出せない
日記に付けていなかった

コーゾーさんが力無い表情でいたので、「いよいよだね、大丈夫?」と声をかけた記憶がある。
コーゾーさんは、「うん…」とやはり元気なく答え、車椅子で看護師さんが迎えに来ると
「よし、覚悟を決めた」と言った。
ヨレヨレの老人が「覚悟を決めた」と言っても、何の勇ましさも無かったが、
周りに言っていなかっただけで、胃を取ってしまうのは、実は怖かった様だ。
そうだよなぁ…やっぱ怖いよな…と思ったけれど
歯の無い顔で「切腹してくる」とこちらを見上げながら言ったので、笑ってしまった。

車椅子で看護師さんとエレベーターに乗り、
手を振りながら、歯の無い武士は行ってしまった
大丈夫だろうか…まぁ、大丈夫なんだろうけれど…

その日も、寒い6月だった。
雨が降っていた
「いつ、呼び出されるかわからないので、手術が終わるまでは病院から出ないでください」
と言われていたので、ひたすら一階のロビーで待っていた
昼食もまだだったので、病院の売店でパンとコーヒーを買って食べた。

待っている間に携帯が鳴り、役所からエアコンの候補二つから、安い方でOKが出た
早速注文…と思ったら、売り切れていた

そう、この年はコロナ禍で部品不足になっていて、エアコンが全体的に品薄…早い時期から売り切れ続出状態だった

もう一つも、完売…
再び振り出しに戻る。義理兄弟達にLINEして急遽相談。
早く買わないと物が無くなる
多めに候補をあげておかないと、また面倒になる。
買えても、工事日だって混み合っている
病人が二人、退院して帰って来る前にエアコンは無いとまずい

4、5台ほど候補があがって、それを全てプリントアウトして明日速達で郵送することに決まる。
ここはアナログ…窓口に直で持って行くか、郵送かしか無い

手術の心配よりもすっかりエアコン問題に気持ちが奪われる。
「早く、これが片付かないだろうか…」なんて憂鬱になってきていると、もう2時間近く時間が過ぎていた

もうそろそろ終わりになるな…でも、そんな時間どうりでも無いのかな…
あと数十分はかかるだろうな…
…はぁ、エアコン問題早く終わって欲しい…と頭の中はぐるぐるしていたら、あっという間に1時間経過する

…あれ?でもいくらなんでも遅くない?と、ようやく手術経過を気にし始めたのは5時を過ぎた頃
結局、看護師さんから声をかけられたのは、夕方6時近く
ロビーには、他の手術患者の家族らしき数人のみ。
あたりはすっかり暗くなって、冷たい雨は降り続けていた。

「予定より随分時間かかっちゃってごめんなさい、あとね中を洗浄するから1時間くらいで終わりになると思うから」

コーゾーさんが言っていた通り、ここの病院の看護師さんは皆感じのいい人ばかりだった。

手術が全て終了したら、私はコーゾーさんの切除された癌細胞を確認する事になっている。

次に声をかけられるまでひたすら待つ。
ロビーに居た、他の入院家族らしき人々は皆呼び出され、
薄暗いロビーには私一人になっていた

車だし、もう6月なんだから…と、薄着で来たことに後悔した
足元もヒールのサンダルで、靴下も履いていなかったので足先が冷たくなっていた。

それから1時間半後、私は手術室の隣にある小さな待合室に通された。

看護師さんに長く待っていて疲れたでしょ?と気遣ってもらいながら「大丈夫ですか?(臓器を)見るのは…」と聞かれ、
「…んー…えーと…どうでしょうね?」と変な答えかたをした。けど、他に言いようも無い。
初めて見るんだし。

少しすると、執刀医の先生がよく出店で味噌田楽なんかが乗っていそうな発砲シチロールの皿を持って現れた。
そこに乗っていたのは、コーゾーさんの名前札が付いた臓器だった。
取り出した胃は、切って開かれている状態だった。
先生は手術用のゴム手袋をしたまま、その臓器を広げて説明してくれた

「これと…ここですね、大きな癌があって…大体、ステージ4ですね…転移は見える範囲は全て見ましたが、今の所は見当たりません…検査出して結果を見ないと何とも言えないですけれどね…」

コーゾーさんの胃は、肉屋で売られている、見慣れたものにしか見えなかった。
それにコーゾーさんの名前が付いている。
ついさっきまで、コーゾーさんの中で働いていてくれていた臓器だと言うことが、その名札で認識できるけれど、やはりそれは肉屋のウィンドーの中にあるホルモンに見えた。

こんなところで、見慣れた名前を見つけると言うのは奇妙なものだ。
この感じは、母の位牌を初めて見た時にも感じた。
母の名前の方が、死んだ身体を見ていなかったので強烈な違和感だったけれど…
「なんであんなところに、お母さんの名前があるんだろう」
と言った感じ

発砲シチロールのお皿の上にあるコーゾーさんの胃に、恐怖は無かった

検査結果は2週間後になる

再びロビーに戻り、次にコーゾーさんが麻酔から目を覚ますのを待った。
手術直後で無理に起こさないでも良いような気分になるが、
麻酔から覚めない方が大問題なので、とにかく待つ。それが手術の際の規約にもなっている。

また1時間ほどで呼ばれる。
手術直後のベッドは病室とは別の集中治療室のようなところで、
コーゾーさんは沢山管が付けられた状態でベッドの中で唸っていた。
生きる為の切腹をしたコーゾーさんは、えらく萎んで見えた。

「がんばったね」と声をかける
「……うぅ……うぅ…痛い…痛い…」と唸っている
突然、心拍数の装置のブザーが鳴り響いた
看護師さん二人が駆けつけてくる

「あれー?どうしたのかな?○○さん、大丈夫?」

ちょこちょこっと何か調整してすぐにブザーは止まる

「……痛い………痛い……」
「はいはい、…よし、大丈夫ね …あ、もう帰られても良いですよ、遅くまで疲れたでしょ?」

看護師さんにとっては日常の仕事現場で私は少し固まったまま見守っていた

「お父さんまた来るからね、がんばったね、お疲れ様、頑張るんだよ」

…と、お疲れ と がんばった と 頑張れ と、矛盾した事を同時に
私は苦しんでいるコーゾーさんに告げていた


外に出ると、雨は糸のように薄い線になっている
気温は低いまま


帰んなきゃ また2時間運転か…そのうち慣れるかな


どう言うわけか、
夜の街の灯が滲んでいる、濡れた道路がやたら
この日の記憶に、残っている


長い長い、ドライブをしている気分だった

どこかに帰っているような気が

何故かしなかった






画像は、老夫婦が倒れる前のコロナ禍で描いたコーゾーさんの水彩画
フレームは、百均の安いやつで済ませている

テーブルに沈んだように見える、変なデッサンの果物達 この中から数枚もらう

芸術と政治

ローマ教皇ベネディクト16世が去年の12月31日に亡くなられた。
95歳 大往生…と言っても良いのだろう。

カトリック信者である絵本作家の長谷川集平さんが
カトリックの世俗化を戒める強い姿勢が日本の信者に敬遠されがちだったが、ぼくは彼の頑固さが好きだった」
と、SNSで書かれていて、日本のカトリック信者はそういった傾向なのかな?と疑問に思う。

現職中に表面化したバチカンの内部問題や聖職者の性的虐待問題は、前教皇の戒めでは通じなかったわけだ
それは、何故だろうか
結構な課題であり、しかもすごく問題が見えやすいことになっていないか?と私には感じられる

もう一つ、ベネディクト16世は、この教会問題こそを戒めるために教皇になられたのではなかったのか?
それ以外、何から始めるつもりだったのだろうか?

つまり、彼のやり方だと「世俗化を戒める」の逆の「問題継続の温床になりかねない」と、世界に判断された
そこを問われたのは、何故なんだろうか 

…で、ここから時が過ぎて更なる疑問が出てくる

なぜ、アメリカで法的に「堕胎手術の禁止」が起きているのだろうか
何か聖化したからだろうか…いや、政治なんだから聖は直接問われていない
宗教家でも無い政治家が「聖化させる」と言い出したら職業を間違えている

そもそも人は世俗化で堕胎し、世俗化で自死の権利を得ているのだろうか
そんな判断はおかしいが、揃って現在極右と言われている政治家たちが言いそうな言葉は浮かぶ

「神から遠ざかっているから」

はぁ…その神とは、一体全体、誰の事なんだろうか

ここまで書いて、改めてご挨拶
私はカトリック信者です
堕胎手術を、医学的な利益のために行うのは反対で、
堕胎手術を法的に反対ではなく、堕胎手術をしなければならないような生活と社会に反対です


思えば、教皇ベネディクト16世の出現からカトリックスキャンダルに伴った風当たりは、
90年代から湾岸戦争で世界に発生した、右極化傾向がずるずる尾を引いているように思える
前パパ様の言い分は、「カトリック教会の堕落は、世俗に影響されている」だった
ある意味はそうで、それだけでは足りないと私は生意気にも感じている…

(日本は元々、皇國として「神のために」戦争をしているので、この気配にすぐ反応しているけど、具体的になった試しが無い。極右は言い分を見つけた感じ)

だから、ご本人の意思や意図と、希望とは遠かったのかもしれないが、
前パパ様は背負うべきことを背負うため、このタイミングで選ばれたのかもしれない

ここは神様にしか、わからない


…あ、これは「コーゾーさんの事」の日記です…
前回から間が開いた
開いたから、こんな話を始めてしまったのだろうか
医療や老人介護と全く関係ない
関係ないけど、私自身の中では大いに関係ある

タイトルも「芸術と政治」だし
…あ、宗教(カトリック)の話から始めているけれど、これも関係ないわけじゃない…

コーゾーさんの芸術は全く政治的ではない
政治思想のせの字も無い
無いけど、芸術はコーゾーさんにとって生きでいる上で追い続ける物事だ
彼が芸術家かどうかは置いておくとして、確実にこれによって生かされて彷徨い歩んでいる

このままでは、タイトルテーマ関連の説明にならない…
説明にならないけれど、意識しておかないとならない事を、あえてタイトルにしている
あと数回先まで書き進んだら説明になるかもしれない

この組み合わせは、本人にはどうしようもない様な運命に惑わされる結果になりかねない

なんだその表現みたいな日記は
日記なのに

とにかく進めよう…自分でも先に書いとかないとどうしようも無いのである

変な感じから日記、スターティン




腸の検査のために、相当量の下剤を飲むことになっている

本来は自分一人で飲んで、トイレで便を出すを繰り返して腸内をすっかり空っぽにするのだけれど、
コーゾーさんは左半身が麻痺しているので、薬を注ぐ事のみを手伝いに八王子まで私は行った。
これが5月27日の初夏
胃に癌が見つかったのは、この数日前のことだ。

朝早く、午前中いっぱい激しい雨が降っていた。
あんまり激しい雨で、いつもなら歩いて駅から病院に行くのを断念して、タクシーの列に並んだ
三十分ぐらい順番を待って、ようやくタクシーに乗れた。約束の時間ギリギリだった。

この年、5月6月は大体が平年よりも寒かった記憶がある
その後、信じられないくらい暑い夏になる。

「トイレが間に合わないかもしれないくらいお腹を下すので、紙パンツがあるといいです」
と、病院に言われていたので、コーゾーさんはちゃんと朝から持参していた紙パンツに着替えて、私を迎えた
それで、かなりの量の液体飲み薬と、1リットルほどの水を数十分かけて飲むように支持される。
場所は、広いトイレ付きの個室を用意された。

父親がいきなり下したらどうしようかな…とハラハラしながら「手術になっちゃったね」という話をした

「来週には退院できると思うんだ」
「…いや、それは無理かな…糖尿病もあるから、血糖値下げるとこから始めないと」
「すごい雨だったね」
「ね、タクシー混んでたよ」

コーゾーさんは、いつも「来週には退院できる」と言っていた
奥さんが集中治療室に運ばれた時も、「長くても来週には退院」と言っていた
時間感覚がボケてるのかと思っていたが、薬を飲むペースはきっちりしているというか、
誰が飲んでもへバりそうな量を、愚痴も言わずにしっかり飲んでいく

なんというかボケた事を言う割にしっかりもしている

数回の便意も、全く漏らさずちゃんとトイレに間に合い、やってのけてしまい、
時間どうりに終わった
便秘がちだったので、きっちりやってのけたけれど、コーゾーさんは少しヘロヘロになっていた。
それが少し気の毒だった

「遠いところを、わざわざありがとう」
「うん、ちょっと駅で着替えの買い足しして、受付に届けてから帰るから。欲しいものある?」
「…うーん描くものかな」

変な手伝いも終わり、外に出ると雨は上がって晴れていた
駅前のファッションセンターで下着とパジャマの追加を買い、文房具屋を探すのに疲れてしまったので、
百均でペンと小さなクロッキー帳を買って、病院の入院受付に預け、その日は帰った。

その後も入院生活が伸びたので、欲しいものリクエストでちょくちょく電話が入る
雨のち曇りの日曜日、言われた本と新たな画材を取りに、コーゾー宅に訪れる。

駅前はフリーマーケットが開かれ、休日の家族連れで賑わっている。
若草色にすっかり変わった緑園内にも人が沢山いて、のんびり散歩している
明るい緑に光り揺れているニュータウン
気になっていたジェラード屋さんでジェラードを買って、ベンチで座って食べながら風景を眺める
この中に左半身引きずり、一人散歩していたコーゾーさんの姿が、影のようにふと浮かぶ

こんな感じで着替えを渡し、洗濯物を受け取り…で、数日過ぎていく

「腸の結果は、特に問題は無かったです」
「はい」
「それで手術に向けて、循環器の検査も受けてもらいたいのですが、この病院は消化器専門なので、他の病院に一日行って頂くことになります」
「…はぁ」

医者に指定された、二つ先の駅近くの病院に予約を取ってもらい、その日はタクシーで向かう
コーゾーさん、久しぶりのシャバである

「検査終わったら、ちょっと本屋寄って欲しい」
「…だめだよ」
「いいんだよ、いいって言ってたから」

誰が言ったんだろう…

「時間あったらね…私、お父さんのところ行って荷物受け取らないと なんか、不在票入ってたよ」
「…そうか…うん、うん、時間あったら寄って」

しかし、その希望は叶えられなかった

予約した割に、ものすごい待たされ、ようやく順番が回って、その後の診察をまたかなり待ち、私は荷物受け取り時間に気が気ではなく、やっとこさ診察に呼ばれた結果「血管が全く見えないので、このままこちらにカーテル検査で入院していただきます」

だった…

「また入院かぁ」とコーゾーさんは人ごとのように言いながら、病室へとヨッチラヨッチラ看護師さんに連行されていく
残念だったね、せっかくのシャバなのに
「あの、ご家族様…」

はいはい、着替えですよね…病院から持ってきます

「あちらの病院にはもう連絡しておきましたので」

ありがとうございます…

とりあえずタクシーは頼らず、ダッシュで駅に向かい、ダッシュで元の病院へ
そのほうが早い

こちらはコーゾーと違って走れんのよ

荷物受け取り、ギリギリに賭けよう…と、全てを済ませ、夜の九時過ぎにコーゾーさん家の最寄駅からもダッシュした

走りながらケータイが鳴る
コーゾーさんである

「今、宅配の人から電話あってぇ 入院しちゃってるからって言っといた」
「……え…ゼイゼイ………で…?…持って帰っちゃった?……ゼイゼイ…」
「玄関前に置いといてって言っといた」

ちくしょう、最初から置き配にしとけや

徐々に足を緩め、長い長い坂道で
冷蔵庫の中にまだ残っていた、あのアイスは食べてやる
と思い、歩いていた


循環器がアウトだと、手術できないな 

どーなるんだろう…

なんて事を考えながら 

夜の団地街を 

歩いていた





画像はコーゾーさんの作業着ズボン
痩せて、ウエストから落ちてくるので、裾上げを留守中に頼まれたもの

蕎麦屋とアイスクリーム

「老人が二人しかいない家なのに、やたら箪笥多いんですよね。」

「あ、言われてみれば」

「5つあるんですよ」

「…(数えながら)ほんとだ、5つもある」

 

義理兄弟とそんな話をしている。

コーゾーさんも入院して、夫婦二人が退院してからの介護ベッド2台が入る部屋を創りあげるために、どこをどう物を減らし生活導線を創るか、それぞれの病院や介護士さんやらと打ち合わせを何度も繰り返した。

LDKの公団に箪笥が5で、でキャンバスに埋もれていたので知らなかったが食器棚は2つあった。

再婚時、それぞれの持ち寄りの生活品を全く減らすことも無くドッキングさせて生活はスタートしている。

大量の紙袋や包装紙やお菓子の袋や総菜が入っていたであろうプラッチックの容器なども、二人して捨てられない。一応、なぜそれを捨てずにいるのか、どう使うのかは理由がある。

理由はあっても、その出番は溜まる速度と比例しないので、ガラクタがごちゃごちゃある…といったビジュアルに出来上がる。

理由はあるにはあるのだけれど、実際にその文脈を室内から読み取るのは大変に疲れる。

 

何故なら、それは二人の世界だから。

 

俗にいうゴミ屋敷化している状態は、まったく読み取り不可能だし、本人にも他人に状況を言語で伝えるのは至難な作業だろう。

コーゾーさん宅はそこまでは行っていない。

物の整頓がうまくいかないのも、捨てられない事も大きいが、二人で一人というくらいの共同作業で動いていた室内で一人が倒れると、更に機能の速度が落ちる。

左側が不自由なコーゾーさんは一人で食器洗いする事は無理だし、洗濯物を干すことも出来無い。

食材を調理できても、切ることは出来無い。

洗い物がシンクに溜まれば、そこから部屋の中の全てが徐々に徐々に荒れ始めていく…といった結果を私たち身内は最初に見たのだ。

 

とは言っても、奥さんがどうにもならなくなって、コーゾーさんが一番最初に助けを求めた近所の方が、シンクに溜まった食器類や鍋などを見かね洗ってくれた後ではあったけれど。

洗いカゴの中に、大量の食器が積んであった。

それを「この家では食器は食器棚には片付け無いのが日常なんだな」と私は誤解して、しばらく洗いカゴの中から食器を使っていた。

「何で取ってあるのかよくわからない小物類」も、コーゾーさんと過ごしている時間は、コーゾーさんの使い方を真似した。(なかなか減らなかったが)

いきなり無くすのは、しかも奥さんが留守中に無くすのはショックを受けるんじゃないかと、私自身は兄や義理兄弟に比べて最初はとても慎重になった。

しかし一緒にいる時間が長い分、コーゾーさんにとって私が一番口うるさく感じているんだろうけれど。

 

当初の大掃除はコーゾーさんの大量の絵の道具やら本やらの処分に集中し、義理兄弟も加わると「タイミングですから」と、それら溜まった小物や包装紙を結果的には大分捨てることとなった。まぁ、遅かれ早かれそうなるのだけれど。

それから食器棚も一つにまとめ、大きな方は捨てましょう、と決まった。

食器棚を減らすということは、食器も減らす。

しかしここは完全に奥さんの領域なので、選別は義理兄弟にお願いし、一緒に整理する事にした。

大皿、小皿、大鉢、小鉢、お茶碗、グラタン皿、グラス、湯呑み、コーヒーカップ…などが床にずらりと並ぶ。

子供の頃や学生時代、友達の家でご飯をご馳走になった時に目にしてきた、よそのお家の食器。それは自分の家にはない物だけれど、何だか懐かしくも感じる。

「これ、よく漬物とか入れてましたねー。じゃ、処分で」とか

「カレー食べるときはこの皿でしたよー、捨て捨て」みたいなジャッジが義理兄弟から次々下されていく。

「あ、これ昔ミスドのポイントで貰えたやつですね」

「そうそうそう、パン祭りの皿もいらんでしょう!」

「こっちの花柄とか古道具屋で売れそう。昭和っぽくて」

「あーありそうありそう。捨てにしましょう」

「でも、こっちの可愛い」

「あ、持ってきます?」

「いいのかな?」

「どうぞどうぞ、持っていけるなら。この砂糖ポット私持って帰ります」

「トング二つあるから、一ついただきます」

「はいはいはい、さっきも見たな。いくつあるんだ。オタマもこんないらないね」

…なんてやり取りを続けてだんだん楽しくなってきてしまう。

 

そんな訳で、義理兄弟が子供の頃「クリスマスには出てきた」というグラスセットをお持ち帰りさせてもらった。

自宅にて↑

 

食器を整理して、おそらくずっと使わず仕舞い込んでいたコースターや布巾などを取りやすい場所に入れ直す。使い古していたのは処分。

奥さんは、貰い物やまとめ買いしたそれらの可愛い小物を何時までもしまっておいて、普段はボロボロになった物を使い込んでいた。

まだ使えるから…という理由で、タイミングをずっと逃しているんだろう。

うちの母親もそんなところがあって、母宅は物で溢れかえっていた。

買いだめしてあった健康食品なんかは、賞味期限が3、4年前だったりした。

一人でこんなに食べれる訳ないのだが、もしもの時の緊急時にたった一人…という不安が次々物を増やしていったんだと思う。

それ以外、ネットで小物買いにハマっていて、手作りのレース編みのクロス、ポーチ、同じ形のバレット数十個、同じ形のジャケット数枚などなど、およそ箱買いに似つかわしく無い物までがたくさんあった。

母のものは兄がほとんど処分していった。

 

兄は整理整頓が大得意で、きっちり物を管理している。

「俺に何かあっても、第三者でも必要書類はすぐ見つけられるようにしてある」とのことで、感心する。今回のコーゾーさんの作品整理と粗大ゴミの分配なんかはお任せした。

彼は、やはり捨てられ無いもの置き場と化していた押し入れも、全て綺麗にした。

その「整頓」は、コーゾーさんの自尊心を傷つけもしていたが、そこは繰り返し「新しい生活の為だからね」と言い含めた。

たぶん、我々子供たちの想像以上にコーゾーさんには葛藤があったと思う。

けど、何をできる訳でもない。リビングの隣の和室でじっとテレビを見ていた。

時々、子供らが「これ、いる?」と確認に来たり「この中かから、要らない手紙分けといて」とか声かけてくるぐらいしか用事がない。自分の家なのに。

この頃あたりから、コーゾーさんは私が作ってきたお惣菜を残すことが多くなってきた。

「一人じゃ食べきれない」が理由にしろ、自分で行く買い物のスーパーのお惣菜や冷凍食品なんかが冷蔵庫に入っていたりする。

口に合わなかったのかな?と思いながら泊まって一緒に夕飯を食べる時だと、よく食べてくれる。

その日、夕方前には帰るので、数日分の食事の買い出しをするのに献立を考えていると、「野菜は切っといてくれたらいいから」とコーゾーさんは言った。

「サラダ用に?」

「うん、それもあるけど…切っておいてくれれば自分で料理もできるから」

 

あぁ…そうね。コーゾーさんは奥さんとの生活を継続させたいのであって、介護生活に突入したい訳では無いのだ

 

「やり過ぎないでいいから」

「…うん」

 

そうは言っても、片道2時間かけて洗濯と茶碗洗いをしに来る状態もこちらとしては「過ぎる過ぎない」の問題でもなかったので、何となく腑に落ちない。役所への手続きや審査の代理でもバタバタしていた。

食材を切っといて冷蔵庫に入れていても、その存在を忘れてまたスーパーのお惣菜を買い足して、野菜をカビさせている。

家計が少ないというリアリティは、コーゾーさんの中の自立には入っていないという事を伝えたいが、コーゾーさんはこの調子でこれまでやってきたのである。今更、どんな言い方をしたら伝わるんだろう。

スーパーの惣菜と一緒に日課としてお菓子の買い出しは欠かせない。

しかし、一度に80歳を超えたお年寄りの食べる量としては多過ぎやしないか?

スナック菓子一人で一袋はペロリと平らげてしまう。

 

「おかず作り過ぎるから、どんどん傷ませちゃうんだよ。勿体無い」と言われると、腹が立つ。

あんたお菓子食べ過ぎよ、ご飯食べなさい!と、再び子育てに戻ったような事を父親に向かっていう事になる。

すると、子供っぽくも神妙な顔で「わかっているんだけど、もうこの年で我慢するの嫌になっちゃって。脳梗塞でたくさん我慢して頑張ったし…」と言う。

 

そうなると、こちらも力が抜ける思いになる。

正直、あなたの身体なんだから、好きにしたらいいよ…と言ってしまいたいが、じゃあ、なんで助けを求めたのよ…とも言いたい。

そんなに全てをコーゾーさんに伝えたって「どうしようもない」感が漂うだけだ。

気を取り直して、一人ならそれでもいいけど、奥さんのためにお菓子は控えろ。とだけ言う。

 

「わかっちゃいるんだけど…」と、禿頭を抱える。

そうよね わかっちゃいるわよね

あたしも、おとーさんの立場だったらお菓子どころか酒飲んでるかもしれないわよ

でも、身体はともかくお金のことぐらい、もうちょっと気にしなさいよ。

 

…は、言わない。

 

ギャンブルも、飲酒も、桁外れな浪費もしない売れない絵描きへの、お金の話はつかみどころがない。共同作業に参加していってもらって、現状把握してもらうしかない。

人間、ただ衣食住が整えば生きていける訳でもないことぐらい、身に染みて理解できる。

 

母は、娘から見てそのコントロールが悪かったな…と思う。頑張って頑張って、少し風変わりな職業能力も身につけて、いつも不安に陥って自分が先に壊れてしまった。

 

奥さんは、どうして来たのだろう?

もう、コーゾーさんには懲り懲りなんじゃないだろうか…

このまま大変な生活から離脱したいんじゃないだろうか…

 

そう宣言されちゃったら、どーすんの?コーゾーさん

 

 

 

紹介された消化器病院診察の日に戻る。

 

「検査入院か…まぁやっぱりなって感じだからな」

「う〜ん、そうねー…なんかでもお父さん、こう言っちゃなんだけど血が少ない自覚あんまり無いんでしょ?検査して『原因がわかりません』じゃないといいね…変な言い方だけど。検査するしか無いんだけどさ」

「そうだなー大変な病気も嫌だけど、検査し損も嫌だなぁ」

 

紹介された消化器病院で検査入院を告げられ、なんでこんなアホみたいな不毛な会話を父娘でしているかというと、何度か誤診(医者の言い分は変わるでしょうが)が重なり、奥さんが負担の大きい検査を繰り返させられた経験があるので、無知なりに疑心暗鬼気味になってた。

コーゾーさんはこの時の不満を時より爆発させるように医療機関への悪口は絶えない。

最寄りの病院も、ものすごい待たされるし。

貧乏人でお金の負担もあって、老人だからか説明の詳細がはっきりせず、たぶん老人扱いもされ、目の前の妻は見る見る症状が悪くなっていく経験は、それはそれは恨みも募ることであろう。しかし、医療機関としては付き添いもお願いしたいところなんだろう。

 

「どこか休憩して帰ろ。昼ごはん食べて」

「そうだね」

 

その日に大きな病院の入院手続きと説明を全て済ませたので、父娘は少しくたびれてもいた。

奥さんの入院、転院手続きで、義理兄弟の手伝いもしていたから多少慣れては来たけれど。

 

「あんまリ食欲も無いけど、アイスクリームが食べたいんだよ」

「あぁ…じゃあ、駅前まで出てファミレス入ろうか」

さっき血糖値の酷さを申告さけれど、今日ぐらい、アイスいっこぐらいいいわよね。

今日は暑いし…

 

ファミレスでアイスか…子供の頃、スケッチ兼ねたドライブに行くと言うコーゾーさんについて行って、兄と母に内緒でファミレスで二人アイスクリーム食べたりしたなぁ…と思い出す。

あのオンボロワゴン。クーラーも効かず、タバコの臭いが染み付いてて、山道を走ると車酔い確実だったけど、よくついて行ったのだ。

窓を開けて風を入れて、秋空に紅葉でキラキラ光る山の木々の風景を覚えている。

少女時代の私は、父親と気の合う娘だったと思う。

その父娘の間に、母が経済的現実と出口の無い不満で割って入る。

我が家は母子関係が父母逆転しているのか、母子関係が作用して結果その形なのか、自分ではよくわからない。成長するうち、母の悲鳴に気づく。

 

あの運転の得意だったコーゾーさんが、今はひょこひょこと杖をつき、左側を引きずっている姿を後ろから眺める。入院中は胃カメラ飲んで、下剤飲んで、腸検査カメラ…大丈夫かしら。退院の一週間後はヘロヘロじゃないの?

車の運転が得意だったあの頃はもう無い。

腹立つこと満載なコーゾーさんを失う日がいつか来るんだろうなぁと思う。

その時、私は多分泣いてしまうんだろう。あぁムカつく。

人混みの多い駅ビルの中でファミレスを探しながら、蕎麦屋の前に来ると

「蕎麦でもいいなぁ」とコーゾーさんは言い出した。

アイスと蕎麦となんの天秤なんだかわからないけれど、前回の病院帰りと言い、この人蕎麦屋好きだな、食欲無かったんじゃないの?と思う。

田舎にしん蕎麦を頼んで、いつものように啜るとすぐに咽せる。

半分食べたところで「もう食べれない」と残した。食欲無いのは本当なのだ。

お会計で自分のお財布を差し出そうとするところを「いいよ、大丈夫」と止めると、「そお?」とすぐに引っ込めた。

わかってんじゃない、経済環境……。

「この後、中央線でお前はそのまま帰りなさい。お父さん、バスで帰るから」

「…大丈夫?一人で」

「大丈夫だよ。いつもやって来たんだから。お前はやり過ぎだよ」

 

はいはい、そうですよね

 

店から出ると「筆立てが欲しい」と思い出したように言い出した。

一人で帰るなら荷物になるし、入院の日までに私が探しておくから。と説得して八王子駅で別れた。

 

検査入院の2日目、病院から連絡が携帯に入る。

胃カメラの結果ですね、割と大きな腫瘍が見つかりまして……まだ腸検査が終わっていないんで具体的な治療方針はその検査後になるのですが、ご家族にご相談しないとならないと思いまして…」

「…はい…えっと…手術になるんですか?」

「そうですね、まぁ腸がまだなんで…手術内容もその後じゃないと決められないのですが…で、ですね、手術するにも糖尿病が今酷いので、血糖値を下げることから始めないと切ることも出来ないんですよ…今、血をサラサラにするお薬も飲んでいますから。で、お家にこのまま帰って血糖値をコントロールするのは難しいと思うんですよね」

「…そうですね」

「あとお歳ですので手術に耐えられるか循環器も見ないとならないです…ですから、このまま入院を延長することをお勧めしたいのですが……」

 

断る理由は無い

 

入院の前日、なぜかコーゾーさんは買い出しをして冷蔵庫をいっぱいにしていた。

「牛乳も買っちゃったし、シュウマイやジュースやネギも買っちゃったし…失敗した」

「うん、だいぶ買ったね」

「あんた持って帰って」

「ネギ持って電車乗るのは嫌だよ」

「そうか…」

「大丈夫よ、数日だし。まだ持つよ」

 

 

病院から連絡をもらった後、ボロボロになっていたダイニングチェアの買い替えをした。

兄が「この椅子だと危ない」と言って折り畳みチェアと交換して、使っていたボロチェアを粗大ゴミに出した後、コーゾーさんが「この椅子だとお尻の筋肉が年寄りは落ちていて痛いから、クッション付きじゃ無いと困る」と訴えたのだ。

「前のはクッション付きで、ボロボロだけどそれでも取っといたんだ」と少し恨みっぽく言った。

私は泊まって一緒に過ごして、初めてコーゾーさんのお尻に床ずれがあるのを知った。

「安いのネットで探すよ、奥さんが帰ってくるまでには間に合わせる」とその時はなだめた。

整頓され始めた部屋の中で、コーゾーさんは物が見当たらないと兄が捨てたと、何かと言うようになった。

私が風呂掃除をした後に、「風呂掃除用のブラシを買っといたのに、捨てられた!あれがあれば一人でも掃除できると思って買っておいたのに!」と言い出したので、いや、お兄ちゃんはお風呂場はノータッチだから知らないと思うよ?と説明した。

脱衣所の洗濯機の横の、洗剤や洗濯ネットがごちゃっと固まった中に百均のスポンジブラシがあったので、これの事?と訊くと「あぁ…それだ」と感情を引っ込めて、その後もぶつぶつ「どこに何があるのかわからなくなった」と不満を言っていた。

 

約束通り、入院前日に買ってきた『筆立てになりそうなもの』を二、三個見せ、コーゾーさんに選んでもらった。

どれも古道具屋やディスカウントショップで探した安物なのだ。

 

「うーん…これはガラスか…これもいいけど、こっちの陶器にしようかな」

 

イーゼルの前には、百均で買ったマグカップが筆立てになっている。

 

「なんだ、結局あの後買っちゃったの。持っていくって言ったのに」

「うん、でもこれはコップで使うから」

「食器、せっかく減らしたのに。まぁいいか一個ぐらい」と、そのマグカップは台所の流しの下にしまった。小さな食器棚は、もういっぱいだったのだ。

 

 

注文したダイニングチェアは、午後四時ぐらいに届くはずだ。

この日は早く来過ぎてしまった。

窓の外はあいからず眺めがいい

緑が揺れて、なだらかな丘になっていく遠くに沿って、団地が小さく並んで見える。

おもちゃのブロックが並んでいるように、それは安全そうな1日の中の風景にある。

 

 

待つ間、何もすることが無い。誰もいない、実家でもない身内の部屋。

 

冷凍庫を開けると、箱入りのチョコアイスが入っていた。

 

一人でそれを食べた。

 

家主が居ない間に、これ全部食べてやる…と、筆立ての記念写真を撮りながら思った。