kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

あのコは加工肉が好きがやって来た

#1

鏡の後ろの方に あのコ
僕はその手前

ベッドは孤島のようで
でも、それは気のせいさ

ただただ 眠ってた
毎日 アレコレあり過ぎて

ランチと談笑をして

それだけじゃない それだけじゃ
あり過ぎたんだ 毎日
胃のポリープは無口

とにかく とにかくね
不思議な事だらけだ

ポットにお湯を沸かして
大丈夫、コーヒーはいいんだ
そのまま マグに注いで

湯気の後ろに あのコ
僕はその手前

僕の肉はどこから来たんだろうか
それを 千切っては投げ 
    千切っては投げ していた

あのコは 何かを話したそうだ

僕の後ろに あのコ
僕はその手前

いいよ 話して 僕は聞くんだ

何も出来なかったら ごめんね
キミの期待どうりじゃ無いかも

音は全体的に うねって
あのコの声は 波に乗って

海の後ろに あのコ
僕はその手前

ベッドは孤島のようで
でも、それは気のせいさ

そう それは 気のせいだよ















………

あれ?ここに出てきた…

……ここか……


………しょうがないか…ブログじゃないって言ったのは自分だし…

でも…ここだと、途中から介護日記書かなきゃならないなぁ。ブログよりも趣旨が違うような…

でもなぁ、何も用意してないしなぁ…
それにここも、前回はベラルーシのソーセージのこと書いていたから、
余計に呼び寄せちゃったのかもしれない。仕方がない。


自作を読み返すと、時より睡魔に襲われる
何故かはわからないけれど、そうなる。
脳が強制終了するように。 

で、今日はその中でも濃厚な眠気がやってきた。
昼過ぎに読み返して、それから何度か気絶して、振り切るように夕飯の支度はして、22時の今書いている。

読み返している作品は、2011年12月6日に書き始めていた。

誰が読んだかはわからないけれど、この作品をネットに流した(実際どこに流れた知らないけれど)。
で、その後にやたら「ルール」ってwardがメディアに乗った気がする。
今、日本人にとって「ルール」は頻繁に使われる日常語である。

これヤバイんじゃないか?と思ったけれど、もう放っておく事にした。
模倣のスピードはとにかく増していって止められない。

個人主義が発生したのは、ミメーシスが消えたのではなく激化したからだと言ったのはルネ・ジラールだけれど、
これの内容を端的に説明する自信は今のところ私にはない。
それは、言葉に自分自身でも反発が生じるからかもしれない。

…あぁ、下の文章はそれでも理解しやすい。

「ミメーシス的ライバル関係は、未開社会では徹底して破壊的な形で生活に侵入してくるが、現代社会では、その後に厳しい緊張状態を作り出すとはいえ、信じられないほど生産的である。資本主義そのものが、高度に差異化された社会において想像だに出来ないような、ミメーシス的な自由参加を要請してる」

模倣が無いと、人気商品はできない。
真似したいという欲望が無いと成り立たない。
また、そこから新たに作りたい欲望のミメーシス
問題は、そのミメーシス関係がライバル関係になり、模倣のモデルは妨害者に変化してしまうところだ。
現代は、ミメーシスによるライバル関係はうまく隠す傾向にある。


仮に、自作が何かしらモデルとなっていた場合、作品は誰かの妨害者って事にもなりかねない。

なってた?

今回、読み返している自作はその形跡が色濃い。
…いや、次の瞬間には私が誰かをモデルにしているはず。

そして、最初のアタックは失敗している。
繰り返した…何で?
そもそもなんで繰り返したんだんだろうか?

読み返した作品は、そんな混沌とした、けど確かに動機はあった出来事を
『見えるように』したがっている。
ここまで分からなくなってしまうのが嫌だった

………問題の作品そのものを出していないのに、自問していてもしょうがない。
私は、説明しないとならないと改めて思ったにも関わらず『?』ばかり繰り返している。
しっかりして、私! この後、介護日記も書かないとならないのに!
だって、ここはコーゾーさんの介護日記の場所だからね!
なんてルールなの? これが場所を持たない不便さってもんなのね?

あ、また『?』だわ。
今回はこれ以上#あのコは加工肉が好き に行数を割いてなどいられない…
介護日記書かなきゃ。また次回だわ…

あぁ、でも一つだけ
あの作品 #とても変わった手紙 の始まりは ラブレターになっている。
それに気づかれないって何なんだ?



…あ、また『?』使っちゃった。


じゃあ、また次に! 
そう遠く無い日に。







…………………………………………………………………





コーゾーさんの手術の傷は思っていたより早く回復して行った
1日2日は苦しかったようだが、想像していたよりも早く歩き始めた。
それで何度か「夏用じゃなくて、長袖のパジャマが欲しい」と言う。

真夏に、私は長袖のパジャマを探しにちょくちょく出かけた。

病院の外は猛暑が続いていたが、24時間冷房が効いた病院の中はコーゾーさんにとって寒いのだ。
麻痺した左半身はいつも冷たい。冬は、自分の左側が自分を冷やし続けている。

「時々、左側が勝手にグーッと力が入るんだ」
と、ある春先の夜、コーゾーさんは言っていた。
父娘、何十年被りに川の字に布団を並べ、寝床についていた。
布団をひいた寝室兼茶の間の隣のリビングは、まだ物がごったがえしていてほぼキャンバスで埋まっていた。

「意思と関係なくグーッて力が入って、締め付けられて苦しいんだよ」
「へぇ、麻痺しているのに不思議だね。左側は自分の身体じゃないみたいだね」
「そうなんだよ 言う事きかなくて困っちゃう」

コーゾーさんの声は、眠気に混ざって力がない

半身麻痺は「困っちゃう」くらいじゃ済まない気もするが、
コーゾーさんは自分のものであって自分のものでなくなった左側の世話をしている。

一回、どのくらい動けるもんかな?と思って右側だけ使ってスーパーの買い物をしてみようとして、
カートを押して5分たたないうちにやめた。
こんな試練の中にいる老人にガミガミ言うのは酷いよな…と思ったけれど、それでも叱りたくなるようなことをするのもコーゾーさんだ。


コーゾーさんの退院は7月4日に決まった。
奥さんが7日、七夕の日。ここで二人は再開する。

猛暑続きだったが、コーゾーさんが退院日は台風が近づいてきていた。
私はなんだか気分が落ちていた。
低気圧のせいだろうと思う事にしていたけれど、病み上がり老夫婦の始まる生活がただ不安だった。

本やらスケッチ用具やらも重なって、無駄に多くなった入院荷物をタクシーに詰め込んで、コーゾーさんは約二ヶ月ぶりの団地に帰った。
介護ベットも整えられて随分と変わった我が家に、さほど不満は無いようだった。
物を捨てられてナーバスになっていた頃は、すでに過ぎ去ったこと。

入院の洗濯物を洗濯機に放り込んで、とりあえず空っぽになった冷蔵庫を埋めるべく、食材の買い出し。

胃の無くなった人に何を食べさせたら良いのかは、とりあえず栄養士の指導を受けていたけれど、プラス糖尿病も持っているので悩む。
おまけに歯も無い。どうやって消化させよう。

一回の食事は少なめに、一日3食プラス午前・午後で中間食を一回ずつ。計五食。

油分が少なく、柔らかくなりそうな食材。糖分塩分はもちろん控えめ。
一口に切って、茹でたり出汁を取ったり。主食はもちろん今のところお粥。
食後は30分は横にならないように。

この食事の用意だけでもきっと老人二人では無理なので、この時は調理をヘルパーさんに頼む事にしていた。

夕食は、まぁ口に合ったようだった。
食後は私は日記を書き付け、コーゾーさんはベッドでテレビを見ていた。

今まで、来られない分の日数も含めて小分けに惣菜を用意する、その手間はこれからヘルパーさんに頼めるんだから、もっと気楽になってもいいはず…と自分に言い聞かせて、やたら甘いものをリクエストするコーゾーさんを叱りながらの夜だった。
買い物をした時に本屋に寄って、欲しがっていた別冊太陽の「小泉八雲特集」買ってあげた。せめてもの退院祝い。(買う前に1回喧嘩してる)

三日後、奥さんが退院する日。
介護の為のスケジュール確認と、担当ヘルパーさん、訪問介護医師、薬局との面接もそれと同時に予定にある。
奥さんは、義理兄弟が迎えに行ってくれていて、昼過ぎには帰宅することが出来た。

救急で運ばれた時には倍の重さに浮腫んでいたらしいが、久しぶりに会った奥さんは見慣れた小柄な女性に戻っていた。
とても自力で歩けそうに無いと聞いていた頃から、随分と回復しているのがわかった。
室内なら杖なしでも歩いている。
コーゾーさんよりも元気に見える。

迎えたケアマネージャーのkさんや私に「本当にお世話になりました」と挨拶しながら、リビングで待っていたコーゾーさんと抱擁しあう。
「おかえりなさい、本当にお元気になられて良かったです」と、kさんは老夫婦に拍手をおくる。

義理兄弟は「部屋、綺麗になったでしょ?」と言いながら、何がどこに仕舞われているか簡単に説明した。
本棚には、しっかり某俳優さんが表紙のファッション雑誌が置かれていた。

さぁ、ゆっくりしてくださいね…と言いたいところだったけれど、次々に介護内容説明やら週のスケジュールが組まれていく。
奥さんは一人で入浴は危険だろうといった判断で介護サービスに週の何回か通う事になる。

「…それは何時間くらい行くものなんですか?」と奥さんから質問が出る。
「午前中に出かけて、お昼とって、お風呂入って、帰りは夕方くらいでしょうかね…お友達もすぐ出来ると思いますよ」
とkさんが答える。
「そういうのって…みんなで歌うたったり…とか、そんな事すところでしょ?」
「はい、そうですね皆さんでリクエーションしたり、運動とか、あと趣味の教室もあって…」
「好きな時間に帰れないの?」
「…あー、そうですね…送迎も皆さん一緒にするので、別行動はちょっと出来ないんですよ」
「…んーそうですか…なんかねぇ…そういうのは…皆んなで歌うたったり…なんだかね…」

雲行きが怪しい

「外面いいから人当たりは良いけど、1日中の集団行動が苦手なんですよ」と、義理兄弟が説明する。
「好きな事なら大丈夫でしょうけど、それ以外は苦痛になっちゃう」

外面というか、どうやら気を使いすぎる様で、それがストレスを溜めやすいらしい。

奥さんは「そのとおり、よくわかってるわ」と笑う。

「本当に、ずっとマイペースでやって来たんでね…私達」と、老夫婦はタックを組んだ。
コーゾーさんも介護サービスを断っていた。
「そういうところはね、私達はおんなじでね」と奥さんはまた言った。

kさんは「じゃあ、なるべくご意向に沿う場所をいくつか探してみますね」と話をとりあえずまとめた。
入浴は課題になった。

狭い部屋に後から後から人が出入りして、名刺交換して、全て引けたのは夕方になった頃。
私と義理兄弟が残った。
私はこの日まで泊まって、翌日の最終契約が済んでから帰る。
義理兄弟は仕事があるのでそろそろ帰る。

老夫婦二人で久しぶりに食卓を囲んでいるところを、
それぞれの子供が見守る。

「じゃあ、帰るからね」と義理兄弟が席を立つ。
「…帰るの?」
「うん、帰るよ。仕事あるから。じゃあ、また来るね。荷物一緒に片付けようね」

そう言って、義理兄弟は奥さんが寂しい顔になる前にサッパリと手を振り帰っていった。


「y子さんも、そろそろ…お家帰られないと大変でしょ?」
「いえ、私は今夜まで泊まれるので大丈夫ですよ」
「…あら…すみませんね、本当に」

この前にも「今日は泊まりますね」は告げていたのだけれど、奥さんは義理兄弟も込みだと思い込んでいた様だった。
コーゾーの子供だけが残る事に、再び[気使い]が発動してしまったらしく、この後も「もう帰らないと…」を何回か言っていた。
話が通じにくい。
義理兄弟が、認知が少しはじまっていると言っていたので、気遣いストレスで少し混乱していたのかもしれない。
私がいつまでも起きていると負担が増すので、早々に「おやすみなさい」を言って、物置きと化していた北部屋に布団をひいて引っ込むことにした。
奥さんは、やっぱり気を遣って「私も寝ますね」とベッドに潜った。
「ベッド、寝心地良いです」と、ベッドの中でまた感謝していた。

しばらく北部屋の布団の上でケータイをいじっていると、コーゾーさんが風呂に入る気配がした。
すると、ベッドの中から「背中流してあげる」と奥さんが起きて来た。
夜の11時を過ぎていた。
「いいよ、遅いから。寝てな」
「やりたいのよ…あら、まって髪伸びたのね。切ってげるわ」

コーゾーさんの髪はいつも奥さんが切っている様子だ。
髪を切りながら、何か二人は静かに話している。

「手術の傷、見せてあげるね」
と、コーゾーさんは言った。

「………あらー、……こんなに…痛い?」
「今はそんなに。違和感ぐらいかな…最初は痛かったけど、すぐに治ったよ」
「…そう…こんなに……痛そう……」

しばらくして、シャワーの音がして来た。
奥さんがコーゾーさんの背中を流している様だ。


これは、これで老人のセックスなんかな…と思った。
子供の頃、両親が性行為をしているところに偶然、隣の部屋で目を覚ました時も、私はこんな風にじっと聞いてたなぁ…と思い出した。
眠っていて、それまでずっと夜の向こう側を知らないでいた様な気分だった。

初めての男女の気配は、自分が知っている「仲の良い両親」とは違って、
親に置いて行かれている様な気持ちになった。


はるか昔の記憶。
いまコーゾーさんに置いて行かれているといった気持ちは微塵も無い。

コーゾーさんは、私が(というか、兄.私子供達が)コーゾーさんを置いていく日が来るのか、
ひょっとしたら心配しているかもしれない


コーゾーさんは、翌日、母の悪口を言っていた。
今更、言い訳したくなったんだろう。
再び新しい生活で


人は時より、変化におかしくなる
コーゾーさんは、いつもいつも
ものすごく不器用だけれど

良い加減にしろよ、クソジジイ