kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

山の住人の出血

医「かなりの貧血状態ですよ。フラフラしない?」
コ「んーどうかなぁ」
医「しない?私でもこんなに血が少なかったら、フラついていますよ」
コ「…そう言われたらそうかも知れないけれど…」
医「あと、酷い糖尿病だね。(私の方を向いて) 酷いですよ」

一年ぶりのコーゾーさんの診察。血液検査の結果。
行きつけだった脳神経外科で、診断される内容が脳神経と別の病気。

そこの病院は、今の住まいの前に住んでいた場所から脳梗塞で救急で担ぎ込まれ入院し、引っ越してもそのままかかりつけ医にしていたので、団地からはバスで三十分ほどかかる。
予約していても物凄い待たされるとコーゾーさんは愚痴っていて、まぁそんなのは病院アルアルだよ…とは言ったものの、待合室で2時間待たされ、余裕こいていた手前、ため息つくのをグッとこらえながら私は本を読んで待っていた。
こんな私の気持ちをいつもの様に全く読まず、コーゾーさんは「はぁ…」とため息をつきながら
「待っているうちに来るのが嫌になっちゃうんだよ」と今まで診察をサボっていた理由を言いながら、私が曖昧な返事をして本から目を離さないと、待ちくたびれた娘が機嫌が悪くなったと心配になってじっとこちらを見つめ始める。

視線がうざい。君はいくつだ…。(82歳)

専門医の病院だと、当然だがその専科の病症が患者に現れている。
待合室には、コーゾーさんと同じように何かしら身体に麻痺を抱えた方が比較的多く居らっしゃる。
また、脳に関係があるからか、認知症の症状も多少出てきている方もいらっしゃる。
そういう患者の付き添い家族は何度も同じことを訊ねてきたり、思い込みを解こうと何度も説明をしたりしているうちに声が不機嫌になっていく。
コーゾーさんは何故かそういったご家族を見ながら、患者側では無く付き添い側になる。
頑固に家族に主張している患者に
「はぁ…認知症だからどうしようもない…まったく」
などと平気で言いながらため息をついている。何様だきさま。
同意してくれるだろう娘は一向に本から目を離さない。
心配になってじっと視線を送る。

娘はすっかり不機嫌である。

「何を読んでるの?」コーゾーさんは反応のない人が苦手なのだ。
タイトルを見せる。

日本残酷物語①』

「面白い?」
「うん、面白いよ」
「お父さんもね、そういうドキュメンタリーものが好き。小説は、もうまったく読まないよ興味無くなった」
「そうなんだ」

日本残酷物語』シリーズは、ドキュメンタリーというよりは記されなかった日本平民の歴史書
読み入ってしまうが、それを「面白い」と言い換えるのはあまり適切でもないような題材。
けど、そんな事をコーゾーさんに説明する気は全く失せていた。
コーゾーさんとのやり取りに限らず、大半興味はあっても「面白い」では片付かない方が世の中多いが、日常生活たいてい「面白い」と片付けている気がしてくる。
人生を変えられるような衝撃の知識にすら、やはり「面白い」と言っているような気がする。

ちょうど読んでいた章では、昔の日本の、労働力では無くなった老人の扱い、平たく言うと「姥捨」の歴史が紹介されていた。
日本は山に老人をよく捨てた。
古い家族制度の嫁姑問題は、姥捨の因習にも裏付けられている。
家族内の権力を簡単に譲らないのは、力を落とせば捨てられたからだ。
自然と家父長制は更に強固になるのだった。
女性は外に働きに出れず家に縛られていた…という男女差別問題は実態と照らし合わせると言葉が足りない。
女性は…いや、人は死ぬまで家族という最小限の社会構成の中で、家でも外でも働いていた。
ただ、その労働に賃金は無い。ずっと貧しい。

動けなくなれば家から排除される。

近代の山の住人でもあるコーゾーさんは、ギリギリ捨てられない人生となったのだろうか。
捨てられなかったから、そこに住めたのか。
そう思うと現代福祉は確かに脈打っている。…が、コーゾーさんの例がスタンダードな気はどうしてもしない。
兄が「父さんは悪運が強い」と何時だったか言っていたが、そんな調子でギリギリ最悪を免れている気がする。
その間からこぼれ落ちていく誰かがいる様な気がしてならない。


医「何処かで出血している可能性がありますね、一度消化器科で検査してきてもらえますか」
私「はい」
医「近いところで、何処かあります?○○病院かな?」
コ「そうですね」
医「じゃあ、紹介状書きますからお願いします。次は一ヶ月後に予約入れときます」
私「あの…こういう時の可能性としては…何が考えられるんですか?」
医「それを調べてもらうんですよ」

まあ、そうですけれど。

再び待合室。
コーゾーさんは薬を渡す窓口をキョロキョロ覗きはじめる。

「入院してた頃から仲良くなった男の看護師さんが居るんだよ」
「そうなんだ…」
「あ、居た居た」…と、足を引きずり声をかけにいく
しばらく談笑して帰ってくる
「居た居た、まだ辞めてなかった」…じっとしていなさいよ、相手は仕事中なんだから…

「前にね、彼には絵をあげたんだよ」
「……そう」

コーゾーさんは何かと自作を人にあげる。
山の様にあるのだから、そのまま埋もれさせるよりは配ってしまえ、どうせ売れないし…といった事なんだろうけれど、
頂き物に「油絵画」は微妙どころか難問である。
相手は大抵困惑する。
好みもあるし、額も付いたら大きいし重い。
看護師さんには自分で持って行ったのだろうけれど、「持って行って」とあげる相手に簡単に言う。

重いんだっつの。

あげた本人が一番うれしそうな顔をしている。


一年ぶりの新しい処方箋で薬をもらい、担当医師に介護保険申請へ名前を入れてもらった。
帰り際、例の看護師さんが「ちゃんと通ってね」と声をかけてくれて、まったくだよと私も言う。
コーゾーさんはふふふふ と笑いながら表に出る。

この病院は確かに前に来た。 十五年以上前、暑い夏の日だった。
コーゾーさんが脳梗塞で入院した当初、奥さんから知らせを受けて、まだ小さな子供二人を連れて駆け付けたのだ。
子供たちはその前に一度、コーゾーさんには会っていたけれど頻繁では無いし、彼が自分達の祖父である自覚はあまり無かったと思う。
半身がだらんとした車いすの老人が、マヒした口元をまどろっこしく動かしながら「わざわざありがとう」と言った。
でも、思ったより元気で、使える片手と片足で車いすを自在に操っていた。
奥さんが「他の入院している患者さんたちと、車いすで時々競争しているんですよ」と言った。

それが聞こえたのか、コーゾーさんは得意気に車輪をクイッと押し出してスピードをつけて病院の廊下をまっすぐに走らせると、クルッと回転させてこちらを向いた。
昔から運動神経を自慢するコーゾーさんが半身不随で車いすに乗って、やはりコーゾーさんのままだった
どんな風に変わり果てた姿だろうかと想像していたのだけれど…。

看護師さんが「そろそろ病室に戻ってくださーい。リハビリしますよー」と声をかけてきて、
「本当にありがとう」とコーゾーさんはまた言って、スイスイと車いすを操りながら、病棟の奥に消えていった。

次に会ったときには、杖をつかって歩いていた。



びゅうっと風が吹き、コーゾーさんのハンチング帽が飛ばされる。
「おぉ」と頼りない声でコーゾーさんは風の先を振り向き、よろけそうな身体を杖で支える。
病院駐車場に帽子は転がって、私は拾いに走る。

「一緒だったから良かった。一人だったら帽子なくしてたね」と、渡す。
「うん…でも、どうにかなるんだよ」
「じゃあ、帰るか。通り反対側のバス停でいいんだよね?お腹空いたね、もう夕方だ。」
「もう一つ先の駅まで行って、病院の帰りはいつもそこでお蕎麦食べてたんだよ」
「…あぁ、いいよ。じゃあそこまで行っちゃおうか…消化器を調べるって先生言ってたけど、胃腸の調子悪かったりするの?」
「………無いけどなぁ。食欲あるし…」
「本当?じゃあなんだろうね?糖尿病さ、やっぱりお父さんお菓子食べ過ぎだよ。もう生活変えないと」
「…うん、ストレスで食べちゃうんだよ...」
「……まぁ、わかるけどさ…わかるけど…でも、お父さんがコントロールしないと、何かの時、奥さんが大変なんだよ?」
「…うん……」

峠となっている道路を、バスがえっちらおっちら超えていき、目的地へ向かう
京王線駅の蕎麦屋に入って、私たちはかき揚げ蕎麦と山菜蕎麦を食べた。



数日後、春生まれの奥さんの誕生日になった。
お昼に着替えを持って入院先の病院まで行った。
「大変な誕生日になっちゃいましたね。退院したら改めてお祝いしましょう。焦らず元気になってください」とメッセージを添えた。
それからコーゾーさんの家へ、晩のお惣菜を持って向かう。

風がびゅうびゅうと吹いていた。
山の上の高層団地の間を通り抜ける音がする。

「こんにちは」と重い鉄の扉を開けると、
コーゾーさんは着替えながら「ちょうど今から出かけようと思って」
と言った。

「え?どこに?」
「病院に。今日は誕生日だから」
「言ってよ!いま行ってきちゃったよ!」
「うん、いいんだよ。一人で行けるから。あなたは待ってて」
「はぁ?ダメだよ…今からまた行くのはさすがにしんどいし、明日にしようよ」
「なんでダメなの?行けるから行くんだよ」
「…だから、明日でいいじゃん。明日一緒に行こう」
「あなたは居なさいよ。僕は行けるから大丈夫。」
「ダメ!…誕生日一日くらいズレててもわかってくれるよ」
「だめだよ、今日じゃなきゃ。今日の為に手紙書いたし、本当は花でも持って行きたいけど、電話したら病院がダメだって言うから、お菓子もダメだって。手紙ならいいかって訊いたら、いいって言うから手紙にしたんだよ」

お菓子?何言ってんのこの人。救急で運ばれた患者が食べれるわけないじゃん。
コーゾーさんは靴下を履いて、左足に補助の装具を付け始めた。

「ねぇねぇ、聞いてよ話を。明日でいいでしょ?」
「なんで子供あつかいする!」
「…はい?」
「今までも自分でやてきたんだから、一人で行けるんだよ!」

そう言えば、それもそうだ。
病院に運ばれたのは奥さんで、コーゾーさんの半身不随は元々だった。
ずっと一人でバス乗って電車乗って、出かけてたのだ。

「一人で行けるから、あなたは家で待ってて」
「…………んー…ん…うん…」
「大丈夫だから 大丈夫だから」
「………んー…うん………じゃあ、待ってるから…」
「うん、そうして。障害者のタクシー券もあるから。ほら」

そう言って、いつも持ち歩くポシェットの中を見せる。
小さなクロッキー帳とデッサン用の鉛筆も入っている
財布と一緒の常備品だが、たぶんそれを外出先で開いたことはあまりないと思う。

「飴も…うん、ある。大丈夫。お茶も持った」

これらは低血糖予防にいつも持っている。

「じゃあ…気を付つけて…携帯忘れてない?なんかあったら電話してね」
「大丈夫 大丈夫」
「……ほら、マスクしてないじゃんよ」

バタンと鉄の重い扉が閉まり、老人が出ていった。
出ていったあと、医者に診断されていた貧血を思い出すが、大丈夫、今日は大丈夫、と思い直す。
良か無いんだろうが、コーゾーさんに異変は訪れないだろうと思えた。

本当に、身体を引きずりつつ、調子悪そうに見えないのだ。
ひたすら、どんどん老いていくばかりで…

窓の外、見晴らしの良い部屋
本来山の中なので、野鳥の声がよく聞こえてくる
静とした中に、風の音がする。
時々、隣や上の階の物音がする。

鬼の居ぬ間に掃除しちまえと、風呂場と洗面所の掃除をした。
じっとしていると無駄な心配がつのってくる。
風の音がやたら強く感じる
こんな風の中、坂道を立てるのか、あの人は…

ガシガシガシ ガシガシガシ と埃とカビがこびりついていた風呂場のサンをこすりながら



二時間も経たないで、コーゾーさんは帰ってきた。
達成感というか、満足そうな顔をして。

「おかえり、早かったね」
「うん、渡してきただけだから」

いま、コロナ過なので病院はどこも患者に面会は出来ない。ロビーで看護師に渡すだけだ。

「やっぱり、いつでも一人で動いているのが僕はいいんだよ。好きにやっているのが」

今更、こんな状況になっているのに…?
一人じゃお茶碗も洗えないし、洗濯物も干せないし、ほっとくとご飯も不規則で袋菓子一人で全部食べるし、病院も付き添わないと行こうとしないのに?

「鬱になりそうだったんだよ。何にもできなくなっちゃうかと思ってさ…」

風の音は、夜にはやんだ。



それから二週間ほど経過して、やっと紹介された消化器病院へ受診した。
私も生活保護の手続きで自宅とコーゾーさん宅と役所を行ったり来たりし、
部屋の大掃除を続行し、足りないものを兄弟たちと分担して買い出しに行き、
奥さんは集中治療室から一般病棟に移れる事になり、それからまたリハビリの為の転院となり、
その準備に忙しい義兄弟のサポートしたりしていて、すぐには行けなかった。



医「酷いね、糖尿病」
私「あぁ、そうなんです」
医「検査入院しますから。いつ来れますか?」
私「入院…になりますか」
医「うん、腸と胃をいっぺんにやっちゃいますから。数日お年寄りだから通うの大変だろうし。今週、いつがいいですか」
私「あ、そんなにすぐに…」
医「だって、紹介状出てけっこう経っちゃってますよ。次の受診でまだ検査してない訳にいかないでしょ」
私「…そうですよね…」
医「こんなに血が無いと、私でもフラフラしますよ。三分の一は無いから。フラつきませんか?」
コ「……別に……しないかなぁ…」




それから三日後、
コーゾーさんは検査入院になった。
その時の入院は、一週間の予定だった。