kozosannokotoの日記

コーゾーさん81歳、左半身不随意、売れない絵描き。そのコーゾーさんの娘が書く介護日記です。

ニュー・ヤマノ・ジュウニン

午後のワイドショーで長渕剛が歌っていた
その番組では12年ぶりの登場らしく、12年というと東日本震災の少し前か

確か、10年くらい前に「神様お願い」的な歌詞があったと思ったけれど、
その日の新曲では「神様なんか信じない」に変わっていて、何があったのか知らないけれど、
元々信仰宣言していない人だからなぁ…と、彼が信じていようがいまいが、気楽な歌詞に私には響いてくる。
(ちなみに曲はゴスペルっぽいアレンジ)

日本の信仰は「公」があまりないので、気楽なのだ
ヒジョーにキッチュ

忌野清志郎にも「神様なんか信じねぇ」的な歌詞がある。
長年、キヨシローが好きな私だけれど、
やはり それは気楽なもんだと感じてしまう
私たちはジョン・レノンと同じような幼児洗礼を大部分が仏教なり神道から受けた訳でも無いが、彼の言葉に影響を受けつつ、
結婚式をチャペルでやって、葬式にお経を唱えてもらうような国民性もすっかり馴染んだ。

文化として混ざるのが悪い訳でも、もちろん無い
異文化は混ざって変化するべきだ

ただ、これと言った公的な信仰心も大部分が無い
ついこの間の戦争では、庶民的な信仰心よりも皇国民の信仰を「公」とした

ちなみに日本の檀家制度は、キリスト教禁教令の頃に潜伏キリシタンを炙り出すために平民に設定された。
檀家という概念は、それまで庶民には無かったが、この制度によって宗教の概念が日本でも持ち上がってきた。

曲が終わり、司会者が
「涙が出そうになりましたよ。この曲を作った頃はウクライナがこんな風になると思っていなかったでしょうが、色々重なって聴こえてきて不思議ですね」 と感想を言った時、長渕剛
「やっぱりね、アメリカの傘下なんかになっちゃダメですよ。日本はもっと日本らしさを出さないと!」と、独特の笑顔で言っていた

ロシアじゃなくてアメリカ批判だったからだろうけれど、
司会者は特に反応するでもなく無視する風でもなく(たぶん少し驚いていた)番組は流れていった。

長渕剛のライブに集っている映像を観たとき、そこいらの街頭で見かける日本の右翼団体よりも、庶民的硬派な右翼っぽさが漂っていると感じたが、それは思想以前の「大和魂」的な意識が長渕剛というアイコンと歌世界の元に集まるのかな?と思った。


だったら一度くらい
「信じたことなんか無かった。ずっと疑っていた」という、素直な歌詞が聴きたい。
その都度言い方変えないで

長渕節を信じたことのない私はそう思ってしまう。
彼の言う「日本らしさ」が真に日本かどうかも疑っている。
彼の「大和世界」が日本全てを覆ったら、私は背徳者の1人になるだろう。




おっと夕飯を作らなければ。隣では前歯の抜けたコーゾーさんがハフハフと何か言いっている。

ここは、長渕剛の曲を生で流したワイドショーのスタジオの向こう側だ。
番組の本質は生きている視聴者だ



夕暮れ近くになる
公団住宅の外の様子に目をやる
夕刻を知らせるその地域の電子音楽は、なんでかいつも寂しげなものなんだろう
ワクワク夜を迎える訳にも行かないんだろうか

そうすると、遊んでいる子供はさらに帰りたくなくなるんだろうか

「お父さん、ご飯食べれる?」
「んー…そうだなぁ」

ふにゃふにゃふにゃ



コーゾーさんが左半身不髄になったのは、だいたい16年ぐらい前
脳梗塞を起こし、その後遺症で左半身は全く動かない
自分の右が、自分の左全ての世話をしている。

今の公団住宅には、その際に引っ越してきた。
その前は、八王子市内の二階建ての借家に、やはり奥さんと2人で暮らしていた。
一階は生活の空間、二階はアトリエとして。
障害者となって家賃の負担と、二階建て家屋では身体の負担が多いので、高層階だが家賃が安くエレベーターのついた公団へと移った。

半身不髄の後遺症は、これでもまだ最初の診断予想より回復している。
コーゾーさんは団地街の中を1日に何往復も歩くリハビリをして、なんとか右は動けるようにした。
外出は今も基本的には自立して出かける。電車、バスも1人で乗る。転んでも助けを遠慮して自分で立つ。
10年前ぐらいまでは車も運転していた。
服を着るのも、風呂に入るのも助け無くやる。

本人の努力もあるが、これらを全て支えてくれたのが今の奥さんだ。
リハビリに付き合いながら、歳上の彼女が生活費を稼いだ。
お互い助け合ってはいただろうが、主な稼ぎは彼女が働いて、障害者になった父に絵を描き続ける事を守ってくれた。

その人が、とうとう倒れてしまったのだ。
原因は元々の持病が、コロナ禍で外に出れず悪化してしまったようだ。
無理も出来無いが、パタリと身体を動かさないで篭ってしまうのも老人には危険となる。
動かさ無い足腰はあっという間に衰えてしまう。
そうすると、内臓にも負担がくるのだ。


遅まきながら、ここで一つ この日記のルールを決めておこうと思う。
コーゾーさんのパートナーについては、日記にあまり登場させない。
さほど彼女の事を知っている訳でも無いのもあるけれど、
公に表すことで巻き込んでしまう危険も増えるので。

私の家族にとって父の再婚が、全て幸せに満ち祝福されていた訳でも無かった、
ナイーヴな面もあるので、そこに具体的に巻き込みたくない。

私自身は、コーゾーさんの奥さんに感謝しか無い。
少しでも健康を取り戻して、コーゾーさんとの生活に帰ってきて欲しい。
今回の介護生活は、そのためでもある。
彼女が帰って生活できる環境に、作り替え無いとなら無い。



コーゾーさんは障害者になった直後からの方が、創作が充実している。
「自分は怠け者だった」と大反省したそうだ。
娘の目からすると、今の奥さんと出会った頃から作風が変わった。
しかしコーゾーさん自身が「怠け者」と自分を評するように、傲慢な部分はあったのか
ガツンと何かにやられた

何にだろう

コーゾーさんが出て行った家の家族達は「バチが当たった」と皆、言っていた。

コーゾーさんの自己評価は、他者にも同じように いや、もっと厳しい評価で映っていた。

コーゾーさんは、困った人なのだ。

元が既に低い評価で、コーゾーさんの頑張りは、あまり他人に評価してもらえ無いようにも感じる。
そんな家庭の中にいては、それは孤独だったろう。

でも、なんというか、
「お父さんも寂しかったろうけど、お母さんはもっと寂しかったよ」と
娘は言うようにしている。 

だって、これも真実だから。


左が動かなくなってから、抽象画に変わる。
テーマは縄文 
山を切り拓いて建てられた公団住宅街は、周りが縄文時代の発掘でも有名である。
高度成長期に開拓しようとしたら、次々と土器が発見された。その生活圏の太古の時代をモチーフとしたそうだ。
多くの日本人と同じく、これと言った熱心な信仰も無いコーゾーさんだが、
何か生かされているエネルギーのようなものを探りたくなったそうだ。

それが縄文文化というのは、どこかアミニズム的なものに惹かれているのかもしれない。

日本人の信仰はキッチュなアミニズムであると言ったのは、石子順造だったか、
石子が差し出した道祖神にいま私が何か言えることも無いのだけれど、
全てにおいてでは無いにしろ、的を得ている批評なんだろうと思う。



名前を忘れてしまったのだけれど、
私自身の信仰心は、アメリカのあるコメディアンの意見に近い。
彼は、あらゆる宗教団体を風刺する芸風なのだけれど、自分は無神論者では無いという。

無神論になる必要がない。と言う
そんなのに、ちょっと近い

また、アインシュタインが手紙に認めていた神論を否定する理屈も、今のところ私には無い。


「地球を人間が支配してきて何年になるだろうか。
一万年?それとも、二万年?私たちによる支配は、これまでの支配者より短いのではあるまいか。
今何が問題なのか。私たちが消滅してゆくことは、宇宙規模で考えた場合なんの関連性があるんだろうか。
こうした疑問に対して世界各国がどのように考えるかによって、私たちが地球に生存していることが運命のいたずらであるのか、それとも神の思し召しの一つなのかはっきりするだろう。
運命のいたずらだ、とすれば、地球に残り私たちの業績を評価してくれる人は1人もいなくなるであろう。
シェイクスピアを読み、ベートーベンに耳を傾け、そして私たちの愚行に理解を示してくれる人も、誰1人としていなくなるだろう。
それでもなお、夕日はグランドキャニオンの空を茜色に染めるであろうが、その壮大な景観を愛でる人が誰1人い無いと言うことになる。

だが、生命については二つの考え方がある。
一つは、私たちは全て死んでいくという考え方だ。もう一つは、私たちは全ていま生きているんだという考え方だ…」


チェルノブイリアメリカ人医師の体験〜』核の時代に生きる  より





コーゾーさんは、困った人である。
今の彼の命を保護してくれるのは
社会的機関に大いにあるが、
彼の失敗を、彼の生きてきた事を理解してくれる何かは、
そういった中には 今のところ、無い


コーゾーさんは、生命を保護してくれる社会的機関に、
絵を描くことは、ひたすら否定されていく
それも後々に書こうと思う。



画像は部屋に積まれた行き場のない絵の山の一部と、それらを子供らで片付け始めた一部の切り取り。



夕飯にかかる。
冷蔵庫の中の、痛みそうな野菜などを早いところどうにかし無いと…と考えつつ
献立を決める。
夜がやってくる。



父宅エレベーターから見える遠くの夜景。